その屋敷は街では有名だった。
禁足地の領主が住んでいて、とんでもない資産があるらしい。
それでここでありがちなのは、領主がとんでもない醜悪な姿をしているとか、悪い魔法使いだとか、性格が悪いだとか言う話である。
だが、近頃街に戻ってきたばーさんが言うには、「私はそこで長年メイドをやっていたけどね、領主様はとても美しいお方なのよ」と語る。
ばーさんには大層な退職金があったと言うし、街のそこいらの年寄りよりずっと肉付きもいい。
街から働きに行く人は他にいなかった。
街を治める代官が屋敷と禁足地に人が向かうのを禁じているからだ。
ばーさん曰く、子供の頃、親が偉い人を殺してしまったらしく、街に居場所がなくなって、屋敷に入れてもらったという。
ただ、他の年寄りにそんな事件の記憶はなかった。
ばーさんはみんな子供だったからねぇと柔和な笑顔を見せて、過去の出来事に拘泥する様子はなかった。
長いこと屋敷は禁じられた場所だったので、街の人は何かと噂をする。
それが冒頭のよくわからない伝説ではあるのだが……ただ、ばーさんが帰ってきたところから話は変わっていく。
街の人はばーさんに色々な話を聞こうと詰めかける。
代官はそれに怒り、ばーさんを軟禁してしまった。
人間とは現金なものだ。
悪い噂があれば、触れたこともない出来事に憎悪し、いい噂があれば会ったこともない人に憧れる。
そういう事情で屋敷に行きたがる人が出てくるのだ。
代官は関所を設けて、禁足地とその屋敷への出入りを禁じた。
しかし、あるやんちゃな若者が、「そんなに立派な領主様なら、俺にだって良い働き口があるだろう」と、関所を迂回して屋敷へ向かったらしい。
彼が戻る気配もないのを、「食われたからだ」とか、「よっぽど居心地がいいのだろう」とか街の人は噂する。
噂はどんどん広がっていく。
ある裕福な商人の娘が、領主様は美男子で永遠の美貌を与えるという噂を信じ、代官と交渉したらしい。
どういう話があったのか不明だが、その娘と召使の娘の二人は屋敷に向かった。
そして戻ることはなかった。
ばーさんはいつか姿を消して、それから噂話は下火になった。
それから幾年かあと、街は戦禍に巻き込まれた。
敵国の騎士が駐留し、代官は捕らえられた。
私はその代官の娘だ。
騎士は父が屋敷の秘密を吐かないのだと、私を脅迫した。
「わたくしも何も知りませんわ。父は何かと秘密主義なんです」
騎士たちはそれなりに紳士であったのか、拷問らしい拷問を受けることはなかった。
ただ、私に屋敷に行き領主に騎士団長の面会を約束させるよう求めた。
騎士団ともなれば、屋敷を取り囲めば良さそうなのに。私がぼやくと、随伴の兵士は「街の因習は大切にしろって言われているからな。それで大変なことになった事がある」と笑った。
父には会えないし、一人で判断するしかなかった。
兵士は門扉の前で立ち止まり、私は浅く開いた扉より屋敷に進む。
門番らしい人間も、庭師らしい人間も見えない。だが、庭園は美しく広がり、屋敷は古いながらも美しい。
屋敷の中に入ると、一頭の巨大な鹿が佇んでいる。小さな家ぐらいある。
毛並みは美しく、均整の取れた角は芸術品のようだ。
瞳は吸い込まれるようで、一度見つめられると目を離せない。
頭に様々な光景が流れ込んでくる。
きらめく小川、静かな森、暖かな草原。
全ての理想がそこにあると理解した。
救いたいと言う思いで満たされる。
いつか見た商人の娘もいる……人の姿を失っているけれど。
私は使命を帯びて街へ降りる。
屋敷は騎士達を受け入れましょう。
これで禁足地は豊かになるだろう。
街が覆われるのも遠い未来ではない。
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