その子は、しばしばトレセン学園の門扉を叩いていて、トレーナーや学園関係者の間でちょっと有名であった。
段ボールで作った耳と尻尾を付けた正真正銘のヒトである。
彼女は、自らの名前をハリボテエレジーと呼ぶので、生徒の間でも「エレジちゃんまた来てる」と呼ばれるほどである。
今日は、ファン感謝祭だ。学園の中に入れるとあって、当然、あの子もやってきたのだ。
日がな一日、トレーナーらしき人を見掛ければ「トレーナーさんですよね!? 一度、私の走りを見てください!」と声を掛けるのだ。
いい加減、警備員につまみ出させようとしたその時、あるトレーナーが「面白そうだから、一度見せてくれないか」と答えたのである。
たづなさんが「いいんですか?」と尋ねるが、「一度、ウマ娘と走れば諦めも付くだろう」と言うのが、彼の意見であった。
学園のコースが、イベントで使われないタイミングを見計らって、レースが設定された。
感謝祭の参加者は、何事かと目を見張る。
勿論、ハリボテエレジーの名前を知るウマ娘やトレーナーも興味本位で見物している。
彼女は、その様子を見て、"期待されている"と喜んでいるようだった。
「トレーナー、こんな茶番に付き合わせるなんて……」
一緒に走らせるウマ娘二人がぼやいている。
「あとでニンジン焼き奢ってやるから」
そんな風に食い物で釣って宥めるしかない。
一般的に、ウマ娘と人間が同じ競技に出る事はない。
スピードもパワーも人間とは桁違いのウマ娘だ。どちらも傷つく可能性が高い。
逆を言えば、彼女たちウマ娘がオリンピックや各種プロ競技に参加することは出来ないのだが……
レースは、千六百メートル芝。良バ場である。
三人の走者がゲートに入り……スタート!
二人のウマ娘がいいスタートを切る。
実質二人分の競争だ。
外枠三番から出走のハリボテエレジーは、当然その後をついていく事になるのだが……鈍い。人間だもの、仕方ない。
一分半と少々で二人のウマ娘はゴールする。
いい走りだ。
しかし、ハリボテエレジーは道半ばである。
二分と少しのところで残り三ハロンの標識を過ぎた。
必死な走りの彼女を見て、あるウマ娘が「頑張れ!」と声を張り上げた。
声は次第に高まり、無関係な感謝祭の参加者まで声援を上げるようになった。
それはさながら実際のレースのようであった。
タイムは、三分四十二秒でゴールした。
「これは驚きだな」
トレーナーはすぐさまある所へ連絡を入れた。
彼女は引退したウマ娘で、今、オリンピック強化チームのコーチをやっている。
先のトレーナーとは旧知の仲である。
「お、久し振り! 今日はごめんね、忙しくって行けないんだ」
彼女は電話に応答すると、選手達にもも上げを指示した。そして、トレーナーの言葉に相づちを打った。
「で、紹介したい人間がいるって? なんでトレーナーのところに?」
至極当然な質問だ。ウマ娘と人間とでは、走る環境が違う。彼女もこの仕事を受けるにあたって、相当な勉強をしたものだ。
そんなお門違いのトレーナーから、人間の選手の紹介とあったら、何のことやらよく分からない。
「千六百メートルで、三分四十二秒。人間としては世界記録だ。もし、彼女が中距離走に出たら、金メダル総なめだぞ?」
彼女にとって、何が何やらだ。なんで人間が千六百走っているのか。そして、そのタイムをトレーナーが知っているのか。何より、そのタイムは、世界記録よりも一秒以上早いという異常なタイムであることも。
「一度会ってみるよ」
釈然としないまま電話を切った。
問題は、ハリボテエレジーの方である。
「君、いい走りをしてるね!」
と褒めてみたのはいいものの、一向に本名を教えてくれない。
流石に、身ぐるみ剥いで身分証明書を探し出すわけにも行かない。
ハリボテエレジーは、「トレーナーのチームに入れて貰えますよね!?」と食い下がるばかりである。
「君の事なんだが、もっと輝けるチームがあると思うんだよ」
そう言って、先に電話したウマ娘に紹介しようとした。
トレセン学園ではないのですね……としょんぼりしたが、「地方のトレセン学園なのですね?」
と、勝手に合点して喜んでいた。
痛々しさに胸を突くものがある。
オリンピック強化チームとのアポを取って一週間後。
彼女は不本意ながらトラック上にいた。
「ちょっと走ってみてよ」と言う訳である。
位置について、よーい!
ピストルの音が鳴る。
段ボールの耳と尻尾をつけた彼女は、他の走者と共にトラックを回る。ゲートはなく、白いラインがあるだけだ。
芝と違い、そして人間用の靴と言う事もあり、ぐんぐんと伸びていく。
「これはまさか!?」
タイムは三分四十秒を切っている。
「速い、速すぎる……」
他のコーチ陣からもどよめきの声が上がる。
しかし、ハリボテエレジーは不満顔である。
「ウマ娘と走らせてください!」
他の選手からしたら、こんな"気の狂った"奴に負けるとは悔しかった。
何とかして説得を試みようとしたが、人間の言う事には耳を貸さず、件のコーチの話は聞だけは聞く。それでもどうやったらトレセン学園に入れるのか? と言う話しかしないのだ。
そんな事情もあって、彼女はまたトレセン学園に向かうのであった。
さて、オリンピック強化チームとしては、ハリボテエレジーをどうしても獲得したかった。
今で出れば世界記録を大幅更新しての金メダルが確実だからだ。しかも若い。あと何年金メダルが得られるものか……
そこでコーチ陣は一計を案じ、URAとトレセン学園に連絡を入れた。
「は、はぁ……」
あのトレーナーが、理事長にこってりと絞られていた。
「責任をとるよーに」
ハリボテエレジーは、一ヶ月間みっちりと練習をした上でデビュー戦と称するレースで走らせて、そこでどうせ未勝利となるので、勝てなかったら引退を突き付けようと言う訳である。
色々と酷な話ではあるが、人間さんの金メダルが掛かっているのだ。色々と仕方ない。
それからは、校内からでも好奇の目に曝された。
ウマ娘のコーチが、人間の指導をしている。それもあの「エレジちゃん」である。
学園の生徒は、良い子ばかりなので、ややぎこちなくはあるが、ハリボテエレジーを受け入れていった。
その様子は、痛いほどの笑顔を見れば分かる。
「可愛い子なんだけどねぇ」
寮長のフジキセキは、彼女も分け隔てなく「ポニーちゃん」と呼んだが、しかし、他のウマ娘との事を考えて、彼女だけ一人部屋となったのだ。
彼女は、制服とジャージを着るのを感激するし、食堂で他のウマ娘とご飯を食べることに喜ぶし、授業も真面目に受けた。
人間向けのトレーニングメニューをこなしているし、彼女が本当にウマ娘だったら、優秀な子なのだろうと思われた。
ハリボテエレジーは一ヶ月の学園生活を満喫したところで、デビュー戦と称するレースに出ることとなった。
とばっちりを受けたのは、トレーナーのチームのメンバーである。
これでも優秀なチームで、重賞レースでそこそこ勝っている面々である。
そんなウマ娘と一緒に、しかも東京レース場で走れるとあって、彼女は有頂天になっていた。
URAはウマ娘の為の組織であるため、彼女が人間である事は伏せていた……けれど、流石に段ボールとガムテープで出来た彼女の耳と尻尾を見れば異常なことはすぐに分かった。
彼女の出走の経緯は、各新聞社に送られたが、これをどう扱ったものかと各社悩み、そして黙殺することを決めた。
なので、東京レース場に早めに来た人々は、何の事だか分からなかった。ただ、物々しい雰囲気だけは確実だった。
ハリボテエレジーは、一ヶ月の生活ですっかりと友達を増やしていたので、ウマ娘だけはやたらと見掛けた。
そんな彼女たちが注目するレースである。物販やグルメにうつつを抜かしている一般客達もつられてコース前に集まって行く。
第一レース前の言うのに、大勢の人が詰めかけたのだ。
この第零レースは、きちんとした実況もついた。
これはURの心意気のようなものだ。
ウマ娘に憧れる人間に少しでも希望を持たせたかったのだろう。
そして、レースはスタートした。
手を抜いて走る事は彼女にとって失礼な事。
五人のウマ娘は、ハリボテエレジーに気遣いつつも、好調なスタートを切った。
ハリボテエレジーは、それを必死に追いかけるのである。
異常なのは一目瞭然であるが、あの日、ファン感謝祭に詰めかけたファンも、場内で応援していた。
「ハリボテ?」
「ハリボテエレジー?」
口々に彼女の名前が伝播していく。
第三コーナーに入る。「曲がれええええええええ」応援の声は一斉に上がる。
それは重賞レースばりの声援である。
他のウマ娘はゴールしているが、観客の熱気は本物だった。
「頑張って!」
「エレジー!」
懸命に走る彼女への声は止まない。否、盛り上がるばかりだ。
今、そうして六着のゴールをした。
レース後、トレーナーは「約束だからな……」と泣きじゃくる彼女を説得した。
「約束ですからね……私、引退します」
そうして、彼女は――普通の女子中学生として、普通の中学校に通い始めた。
あれ? 金メダルは?
それはまた、別の話である。
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