今撮影しているのは、人気漫画原作のディストピアSF映画だ。
突然現れた超生命体(彼女は名前を持たないが、「嵬」と呼称される)が、国を支配していく話である。
最初に現れたのは身長400mを超す空に浮かぶ生命体だったが、人類との交渉のために、身長140センチぐらいに縮む。
あらゆる武器が通用せず、しかも彼女の前では誰も嘘が吐けない。
あらゆる政治家が、自分の罪を吐き出さざるを得なくなり、国の政治は混沌とする。
彼女と彼女が選んだ人物が国を改革し指導していく。
国民生活は向上し国民は皆、彼女を称賛する。
邪魔する者は、彼女の前でその悪意を告白させられ、発狂しながら自刃することになる。
嵬は自分の代理人を一人ずつ作っていき、この"幸福と繁栄"を世界に広めようとする。
嵬自身は、人類を愛し、暴力を憎む存在であり、そのような存在は排除していく考えなのだ。
ストーリーとしては、主人公の女性官僚が嵬に魅入られて、国の中枢へと入っていく。
彼女は最初の代理人として選ばれ、そして嵬の考えを理解する。
しかし、嵬は人類の根本的な暴力性の前に衝突するだろうと彼女は考え、実際そのような現場を目にする。
圧倒的な力を前に暴力をねじ伏せ、そしてそうした人間に自害を強要するのだ。
彼女は嵬と関わっていくなか、自分もそのように染まりつつあると理解する。そして、それ故に突如叛旗を翻す。
彼女は嵬を抱きしめ、「私は貴方になれないわ」と言って自害する。
ラストは後継者として目覚めた人間が世界を支配し、主人公の立ち上げた地下組織がレジスタンス活動をする世界を描いて終わるのだ。
さて、問題は私がその嵬の中の人なのだ。
嵬自体は結構可愛い感じのある生命体だ。
全身淡いピンク色で、ワンピースを着ているような身体だ。袖部分が姫袖のようになっている。(設定上は全部身体の一部だ)
顔は鼻の突起と真っ赤な口紅と牙のある口以外はのっぺらぼうで、耳の位置にヒレだかアンテナだかの形をした突起があり、踵に届く程のケーブル状の髪が生えている。
爪は多少長めで深い赤色だ。
胸元にも真っ赤な宝石が埋め込まれている。宝石の周囲に血管のようなものが浮き出ていてそれが脈動している。
私が選ばれたのは低身長のスーツアクターであることが一番だが、これでも演技派で通っている。
フィルムテストでもしっかり演技して、監督からGOサインが出ている。
一つだけ変わったところがあるとすれば、私のメイクを出来るのはたった一人のメイキャップアーチストであるということだけだ。
一人を全身メイクするのなんて絶対に時間が掛かると思うのだが、それが信じられないぐらいテキパキと物事が進む。
着用する全身スーツは準備もなくするりと入るし、マスクも被ってから周囲をいい感じにメイクするまであっという間だ。
曰く、自分専用の素材を開発したかららしい。一人でやるのは、その秘密を漏らしたくないからなのだという。
メイク中は鍵が掛けられ、誰も中に入れない。
メイク時間は当初四時間とか言われていたが、小一時間で終わってしまう。
彼のお陰で撮影は順調だ。
なんせ一回の撮影で三時間も節約できる。
嵬の登場シーンは多いだけに、その恩恵は絶大だ。
彼は常に見守ってくれるが、メイクのトラブルは一切ない。
血の飛沫が顔にかかるシーンがあるが、その時もウェットティッシュで適当に拭うだけで解決してしまう。
重量感のあるメイクだけに、特殊メイク経験者は「重たいでしょう?」とか「暑くない?」と心配してくれるが、全然そんなことはなく快調だ。
丸一日暑い環境で撮影しても汗一つ搔かないし、メイクを脱いだ後、「あれ? シャワー浴びたっけ?」と思うほど体臭もしないのだ。
どういうマジックがあるのか分からないが、しかし、それ故に彼は秘密にしようとしてるのだなと思った。
予定通りに撮影は進み、予定通りにクランクアップした。
撮影中におちゃらけた映像も撮影した。無敵の超生命体が主人公と馬鹿やっている映像とか、軽くダンスをキメたりする映像だ。
基本的にシリアスな作品だけに、こういうオフショットは楽しい。
最後に、嵬が普通のOLだったら? と言う映像作品をオマケで撮るぐらいだ。それは明日撮影する予定だ。
問題は、問題のメイキャップアーチストが行方不明になったのだ。
メイクを外せないのは困るだろうと、他のメイクさんが無断で剥がそうとするのだけど、全く剥がし方が分からないのだという。
皮膚との接着剤が特殊で、知りうる限りのメイク落としでは歯が立たないのだ。
「下手に剥がすと皮膚ごと持っていきそう」
頑張ってくれたメイクさんは頭を下げる。
「いいよいいよ、全然苦しくないから!」
私は別段こんな状態がまだ続いても良かった。先に言うように快適だからだ。
そういう訳で、「今日はその格好でいて!」と言われ、そのままの格好でホテルに投宿することになった。
シャワーも何も浴びられないし、流石にレストランに行くこともできないので、ケータリングのお弁当を食べる。
撮影中もこの身なりでご飯を食べているし、なんなら私のSNSでその様子をアップロードしている。それがウケにウケたのはいい思い出だ。
それを思いだして、私はスマホで自撮りをして「お疲れ様! 私は暫くこのままだよ」とアップロードしたのだ。
フォロワーさんはどよめき、私はその様子を楽しんだ。
ホテルは割と眺めのいい部屋だったので、適度に自撮りをして暇な時間を謳歌していた。
SNSでは嵬祭りとなっていて、まだクランクアップしたばかりだと言うのに、可愛いイラストが沢山アップロードされている。
元々人気のある漫画なので、それが三次元の姿になっているとなれば、ファンは飛びつかざるを得ない。
夜も更けて眠くなり、倒れるようにベッドに入り、そして深い眠りに落ちた。
漫画の印象的なシーンが思い出される。
役が決まる前から好きな漫画だったからなぁ……
夢だか感慨だか分からない夢を見るのだけど、漫画の一シーン一シーンが実写で嵬の目線だと言うのに気付く。
撮影していないシーンや、映画のエピソード以降のお話しまで思い出されるところがあった。
寝覚めは悪くない。
アラームを止めるとなんだか世界が明るく見える。
特殊メイクの目の部分はマイクロホールになっていて、慣れれば視界も悪くないのだけど、若干外が暗く見えると言う問題があった。
一晩も経てば慣れるのかもしれない。
それで撮影班がお迎えに来て、撮影現場に向かう。
今回の撮影は、嵬が普通のOLだったらと言うお話しだ。
ざっくり言えば、自分の部屋で目覚めて、身支度をして、街中を歩き、電車に乗る。
会社についてパソコンを叩いたりしながら仕事をして、嫌な上司に怒られ、給湯室で陰口を叩かれ、帰りはコンビニに寄ってビールとコンビニ弁当を買って部屋に戻る。
そして部屋でスマホをいじりながらビールを飲んで、ぽつりと「世界を変えたいな」と呟いて映像が終わる。
部屋には前日のコンビニ弁当とビールが残っていて、軽い汚部屋状態だ。
ワンルームの小さめの部屋である。
本番では絶対正義の絶対強者であったが、今回は腰の低い人物を演じる。
歩く商店街や駅は許可済みで、リアルの電車に乗り込むのだ。(勿論、同じ車両にはエキストラさんしかいないけど)
現実世界の中に嵬と言う存在が紛れているというのは、原作ファンとしてもとても嬉しく、興奮してしまう。
自分の姿がより一層愛おしく感じる。
会社での嫌な事も、気付いて気付かない振りをしていると言う感じで、ただただ仕事に打ち込む姿を描くのだ。
オフィスの中でピンク色の存在が事務仕事をやっていると言うのはかなりシュールで楽しい。
お弁当とビールは普通に食べた。
今までのケータリングの食事シーンは、割とお洒落な雰囲気で撮影していたけど、今回は結構やさぐれている感じがある。
つまんなそうに食べて、スマホをいじっている姿がもの悲しい。
撮影は終わったが、未だに例の彼は見つからない。
そして、メイクを剥がす方法については、色々と声を掛けているがイマイチ決まり手がないらしい。
しかし、丸二日この格好で仕事をして、全く違和感を感じない。むしろ今までより自然な感じがする。
「体臭とか気になりますか?」
私が尋ねると、「むしろいい匂いがするぐらいだよ! 何か香水とか使った?」と返事が来るぐらいだ。
丸一日かぶり物をして、不快感を感じられないではいられないし、体臭がしないのも不思議だ。
しかし、この姿で何も困らない自分に驚く以外の事はなかった。
仕方がないので再びホテルに泊る事になる。
剥がす方法が見つかるまで、彼が見つかるまでと説得されつつ、私はこの格好を謳歌し、自撮りを続けSNSではお祭りが続いていく。
まさか軟禁状態が四日目に突入するとは思わなかった。
しかし私は体臭はおろか、体調に不具合など発生していない。
スタッフから連絡があり、このとびきり面白い状況が終わってしまうのかと残念な気持ちになってたら、脱ぐという話ではないらしい。
夏の最中だが、キャンペーンイベントに参加してくれないかと言う打診が入ったのである。
嵬の前で希望者が懺悔して、私がそれを断罪するという話である。
まぁ、冗談のようなイベントだし、ネットで配信されると言う事もあって、相談内容は割とネタ要素のあるものだ。
嵬のイラストを描いているけど、胸を必要以上に盛ってしまったとか、嵬のエロ同人を描いているとか、ちょっとばかりお馬鹿な内容だったりする。
最初にお悩みを呼んでいて、スタッフと打ち合わせて、適当な台詞を決めておく。
全部嵬が「許す」と言うので誰も自害しなくても済むという、ハートフルなイベントである。
最初に友情出演の芸人さんが場を盛り上げている。
そこに私が登場して、「嵬様!」と芸人さんがひれ伏す。
しかし、何が起こったのだろうか、私が登場して手を前に出すポーズを決めると、立って見ていた観客も、脇に控えている相談者も、みんなその場にひれ伏すのだ。
立ち位置的に厳しい場所でも、覆い被さるようにひれ伏している。
えっ!? これ、そう言う仕込み!?
私は動揺しつつ、嵬の台詞として登場する「直れ!」と叫ぶと、皆は立ち上がり注目した。
私は相談者の一人を指さし、「お前」と言うと、彼はひれ伏し、相談内容を語る。
こんな緊張した話ではないと思いつつ、彼の相談内容は台本とは違っていた。
「自分は小物の芸人で、ふらふらとしつつ、家族や兄貴に迷惑を掛けている。このまま芽が出そうにないが、どうしたらいいか?」
と言うのである。
私は戸惑いつつも、嵬の声色のまま、「もう自分で心が決まっておるだろう。真面目に働き、恩義に報いろ」と言う。
彼は真剣な眼差しで涙を流し、「ありがとうございます!」と深々と頭を地面に付けた。
他の相談者も神妙に、自分の人生の失敗、汚点を話していく。
私は思いつきで――しかし心にはっきりと浮かぶ言葉を述べていく。
彼等は私に心から感謝している様子で下がっていく。
イベントが終わり、脇の芸人さんは「嵬様の有難いお言葉。絶対に裏切ることのないように」と締めくくり、観客も含めた一同は深く深く頭を下げたのだ。
私が舞台から抜けると、喧騒が戻ってくる。
今思うと、イベント中、信じられないぐらい静かだったなと気付く。
異常な事は、差し当たりそれ一回きりだった。
同じ芸人さんが出てくる、近いイベントでは、私は割とお茶目なキャラとして登場する。
わーわーと騒ぎつつ、「嵬様」の声もV系バンドのファンがボーカルに投げかける言葉ぐらいの重さだった。
私のこの姿も随分と馴染んでしまい、遂にはこの格好でシャワーまで浴びる始末だ。
袖の中、スカートの中も捲り上げて洗っちゃえるぐらい慣れてしまう。
しかも、少し念じるだけで身体が乾いていく。
かなり便利な機能だ。
もはや自分が元の自分に戻れないだろうなと意識せざるを得ない。
しかし、この身体が自分の身体だと思うと、自分の姿が愛おしい。
裾とか袖のヒダを捲ったときに、それぞれに感覚があるのが分かってしまった。
自分の体をあれこれ点検しては、我ながら感心してしまう。
身体が慣れていけばいくほど、身体の機能が分かっていく。
動かせるところや、便利機能に気づく。
自分の声とは違う鳴き声も出る。
その声は、とても麗しい音色の鳴き声だのだ。
我ながら聞き惚れるし、それを聞いたホテルの従業員と宿泊客が「心地良い音を聞いた」と口々に話していた。
私の姿はホテルでは既に慣れていて、レストランでもご飯を食べられるようになった。
誰も嵬の事をとやかく言わないのだ。
映画は公開され、様々な映像も公開される。
信じられないぐらいの勢いでチケットが売れ、上映する劇場は当初よりも増えて行く。
同じ地区に複数の映画館があって、時間が被るタイミングでも客足が途絶えないという。
何かがおかしいと感じつつ、求められるがままイベントに参加する。
それはあの時と同じだった。
「嵬様!」
申し合わせた筈もないのに一同ひれ伏す。
「直れ」
私の言葉も自然に出てくる。
ゲストには主題歌を歌ったアーチストが登壇する。
私の前に現れると、突然号泣する。
「申し訳ありません!」
彼は自分の薬物依存を告白した。
そんなのは噂話でさえ出てこない、質実剛健なアーチストだと思われていた。
その彼が訥々と自分の事を語る。
絶賛公開中の映画の宣伝ではあり得ない。
「貴方の懺悔、しかと受け取りました。
治療に専念し、これからも皆に歌を捧げる人になるのです」
はっきりいって、人に頭を下げるタイプでもない。自己を持って貫くタイプの人だった。その人が、涙ながらに私に許しを請うのである。
しかし、周囲が騒然とする事はない。
主人公の女優さんも私に懺悔する。
駆け出しの頃、同期の子を蹴落とし自殺に追い込んだ事を告白する。
「彼女に祈りなさい。今の気持ち、決して忘れずに」
彼女も号泣し、私の足下にすがりついたのだ。
MCが「嵬様の御慈悲を賜りました! 皆さん、良き人生を嵬様に捧げましょう!」と言って閉幕した。
女優さんは毎日節制と懺悔の日々、主題歌の彼も警察に出頭すると、薬物依存の治療を始める。
その後、彼等は立派に成長していくことになる。
私の前に立つ人間は、何かしら罪を告白し懺悔する。そして改心して新たな道を歩む。
日本中が集団ヒステリーのようになる。
国民は「政治家は悉皆、嵬様の前で懺悔せよ」と言う声が高まる。
それで我こそはと言う政治家が現れる。
表向きには清廉潔白な人物だ。
しかし、彼は官僚時代に自分が関わった汚職事件の責任を、部下になすりつけて自殺に見せかけて人に殺させたことを告白した。
私は「分かりますね?」と問いかけていた。意識していたのかどうかが怪しいが確かに言ってしまった。
彼は涙を流しつつ、何か全てが洗い流されたような顔をする。
そして懐に忍ばせた短刀で、腹をかっ捌いて自害した。
彼が事切れるまで誰も動こうとしない。否、全く動けなかった。
私は静かに「彼は救われました」と述べた。
続く政治家も、自分の罪を告白し、次々に自害していく。
許される者も確かにいるが、それは延々、秘密にしなければならない事を語ったからだ。具体的な人名を出して、誰に指示されたとか、このような意図があったのだとか述べているのだ。
観客はそれを固唾を飲んで見守る。
狂った懺悔の会は終了したが、国民の嵬に対する期待が膨れあがっていく。
自分は自分以外の何かに突き動かされているのを理解しているが、しかし自分の心の中にそれが正しい事だという気持ちも生まれているのだ。
日本の政治家は、私の前で懺悔をして生き残ったものがなると言う形になっていった。
選挙も投票も全て形式的だ。
生き残った政治家は身を粉にして国に尽くし、国民は国に殉ずる覚悟で働く。
私は国が狂っているのを感じるのだけど、悪い事のようにも思えなかった。
国は富み、その恵みは恵まれない人々へと向かう。
それがこぼれ落ちる程となれば、世界へと向かう。
嵬のいる日本を敵視する国が出てくるが、私が訪問するとその国も絆されるようになる。
世界平和への道は続いていく。
悪人は懺悔し、許されない人間は自害する。よく働き、よく救う。
私はここに来て、代理人が欲しくなる。
そこで一人の女性に出逢う。中央官庁の若き官僚だ。
何処かで見た景色だ。
遠からず世界は二つに分かたれるだろう。
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