2023年10月10日火曜日

【全年齢版】Ear of Rice and Scissor

  今回ばかりはマズい事になった。

 軽い気持ちで手を出した相手が、半グレの連中だった。調子に乗って六人組をぶっ飛ばしたはいいものの、それが別の組織のシマだったらしいのだ。

 俺は全く意図せず、抗争の火種を点けてしまったのだ。


 何にしても落とし前として俺をぶっ殺さないと収まりが悪い。

 或いはいっそのこと、二つの組織が潰し合えば便利と、俺の身柄を抑えたい人間もいる。

 何れにせよ、捕まったら身の破滅だ。


 俺は全国の歓楽街を逃げ回る。日本全国に手配され、地方都市のこの街で遂に追い詰められた。

 逃げろ! 逃げろ!

 俺の本能が囃し立てる。

 狭い路地に迷い込み、行き止まりが妙に気持ち悪い稲荷だった。


「困っているな?」

 少女の声が聞こえる。

「助かりたかったら、我が下僕、我が眷属になれ」


 俺は息を切らしていて限界だった。

 追手の足音が近付く。

 あぁどうにでもなれ!

「なる! 俺を助けてくれ!」

 あらん限りの声で叫んだ。


 その直後、俺は知らない街の街角を彷徨っていた。

 土砂降りの雨に、ネオンの明かりが滲む。

 客引きも流石に表に出てこなくて、タクシーがしきりに行き交う。


 視点がやたら低い。頭がふらふらする。

「お主はこれから我が眷属。しっかりと信仰を稼いで貰うぞ?」

 どこかしら声がする。

「誰だ! 貴様は誰だ!?」

 心の中では明確に叫んでいるが、自分の耳に聞こえる声は「こやん! こやん!」となっていた。

 それは女の声にも小動物の声にも聞こえた。

 取り敢えず二足歩行出来るみたいだが、手はもふもふで、犬みたいになっていた。


「お主は狐として信仰を集めるのが役目だ。

 自由を手に入れたければ、人の子の言葉を喋りたければ、信仰を集めると良い。

 私から言えることはそれだけだ」

 それだけ言うと、言葉は止んだ。


 信仰って具体的になんだよと思いつつ、雨に身体は濡れ、跳ねた泥水を浴び続けることになる。

 こんな姿を人に見られて、碌な事もない。

 俺は急ぎ足で歓楽街からの脱出を試みた。


 その時、近付いてくる女二人の声。

「ひとみー、いい加減めそめそするのはやめようよ。

 あの子も、あんたみたいな人間に飼われて幸せだったと思うよ?」

 泣いている女を、もう一人の女があやしているようだった。


 俺は避けようとしたのだが、その"ひとみ"と言う女と目が合ってしまった。

 女の顔がみるみるうちに明るくなるのがわかった。

「かわいい……」

 傘をその場で落とし、俺に抱きついてきた。

 「やめろ!」と叫ぶけど、人間の声は出ない。

 暴れてみるが、腕力でこの女にさえ敵わない。

 畜生! こんな身体にしやがって!


 嫌がる俺をいともたやすく持ち上げ、抱きかかえた。

「こんなに濡れて! 寒いよね? お姉さんの家に行こう?」

 隣の女は傘を拾い、その女の上に掲げた。


「なんなの? その生き物……ヤバイんじゃないの?」

「でも、可愛いじゃん? 可哀想だよ、こんなところにいちゃダメだよ!」

 急に態度の変わったひとみを見て、ツレの女は「まぁ、しゃーないっか」と笑った。


 俺はそのまま女にだっこされ、地下鉄を乗り継いでマンションの一室まで連れて来られた。

 明らかに犬を飼っていた形跡があるが、犬の気配はない。


 俺が何かリアクションしようとしたら、女は自分の髪よりも先に、俺の身体を拭いたのだ。

「すぐお風呂に入るから待っててね」

 風呂に入れるならそのままでもいいだろうと思ったが、仮に自分が犬だとしたら部屋が大惨事になるなと思った――そうか、自分は犬扱いされているのか……


 部屋を見渡す。

 割と丁寧に生きている感じのする。部屋は整っていて、汚れもない。

 犬用のクッションにも犬の毛はほぼ残ってないようだった。


 彼女はそんな俺の様子を見て、「あぁ、ワンちゃんがいたんだよ。事故で死んじゃってね……」と突然泣き出しそうな顔をする。

 女に泣かれるのは苦手だ。

 「こやん、こやん」と鳴き、身振り手振りで誤魔化そうとする。

「励ましてくれるの!? うれしい!」

 彼女は強く抱きしめてきた。


「お腹すいた?」

 腹が減っているのは事実だ、俺は素直に頷いた。

「ワンちゃんのご飯食べる?」

 女は店から開封済みのドッグフードを取り出すので、俺は首をぶんぶんと振った。


 結局、レンチンご飯とふりかけを食べることにした。

 しかし手は肉球ともふっとした体毛で覆われている。自分では箸どころかスプーンさえ掴めない。

 ひとみは「熱いからふーふーしようね」と、スプーンの上のご飯を念入りに冷まし、そして俺の口に運んだのだ。


 美味い! なんでこんなに美味いんだ!?

 今まで食ったどんなに高いメシより美味く感じたのだ。

 必死にぱくつく俺に、「美味しい? よっぽどお腹が減っていたのね?」と笑った。


 レンチンご飯一つだけで満腹になった。

 そのまま横になりたい……ソファに無理して上がる。

「ほらほら、お風呂入ろうね?」

 俺はあっさり持ち上げられ、風呂に連行された。

 女は急に服を脱ぎ始める。

 風呂なんだから当たり前だ。

 別に女の身体ぐらい親の顔より見ていたが、このひとみという女、かなりの上玉だなと思えてしまった。


「人間の裸が珍しい? 人間は毎日換毛するんだよ」

 女は優しく語りかけ、迫ってきた。

「一緒にキレイキレイしましょうね」

 見上げる構図でこんな光景を見てしまうだなんて思わなかった。迫力があって尻込みしてしまう。

「怖くないからねぇ」


 そうして身体を洗われる。

 犬用のシャンプーでもこもこにされて、ブラシで丁寧に洗われる。

 女の方は簡単に自分の体を洗うと、俺を抱えたまま湯船に浸かる。


「可愛いねぇ……貴方はどこから来たの?」

 何と答えても「こや」とか「こやん」としか鳴けないので、適当に相槌を打つ。

 女は適当に犬気持ちを代弁するようなバカではないらしく、単に「何を言いたいの? わかんないよ?」と優しく笑うばかりだった。


 それからブラシとドライヤーで身体を乾かす。

 毛が絡むところがあれば、鋏で丁寧に切り取り、時間を掛けてゆっくりとブラッシングしてくれた。

 風呂の前より圧倒的に気分がいい。

 全てがスッキリして、自分自身に清潔感を感じる。

 礼ぐらいは言わなければと思い、頭を下げる。

 ひとみはそんな俺を見て「かわいー!」と言って抱きしめた。

 それからベッドまで引っ張られ、抱きつかれたまま眠ってしまう。


 別に女と寝ることなど大した事がないけれど、妙に気持ちが高ぶってしまう。

 なんでこんな事になったのか……


 俺がこの世界から消えて、あの一件はどうなっただろう? 死んだという扱いになるのだろうか? しかしそうなると、死体を誰が確認したのかで状況が変わる筈だ。

 こういう時、適当な死体をでっち上げて、俺だと言うことにすると言うのは、十分にありえる話だ。

 そうだとしたら……大規模な抗争に至らないで済むかも知れないな。

 俺みたいな人間は、表も裏もなしに居所なんてなかったのだろう。


 いつの間にか眠りにつき、そして朝になっている。

 朝ごはんはトーストとヨーグルトだった。

 彼女は同じものを食べながら、自分の齧ったパンを千切って寄越し、俺の口にしたスプーンでヨーグルトを掬って食べていた。

 衛生観念がよくわからない女だ。

 しかし、トーストもヨーグルトも特に珍しいもの、高級なものには思えないが、やはり驚くほど美味いのだ。


 そして彼女は身支度が済むと、俺に首輪をつけようとした。

 俺は断固として拒否する。

 ひとみは「だって車とかいて、外は本当に危ないんだからね!」と力説する。

 俺は嫌々女の手を握ろうとする。

 握ると言っても両手を彼女の手のひらに添えるだけだ。


「じゃぁ、おてて繋いで行きましょうか!」

 どこに連れて行くつもりなのか分からないが、こんな女がやくざ者な理由がないか。


 歩いて十分ほど、彼女の職場に到着した。

 犬向けのトリミングサロンだ。

 店長らしい女性と話している。

「よかったー! これからも一緒にいられるよ!」

 どうやら、俺を職場に連れてきていいのかどうかと言う話だったらしい。


 店長が顔を近づけ、「君は誰? 可愛いね」と微笑んだ。

 それで店長とひとみ、他の従業員は「名前はなんて言うの?」というところから、「まだ決めてないから一緒に考えて!」と言う方向に進んだ。

 俺の意思とか無関係か?


 出てきた案がやたらとキャピキャピした可愛いものばかりで、「突然現れた天使だから、エンジェルちゃんがいい?」とか「真っ白だからミルクちゃんにしようよ?」とか問いかけられ、俺は全力で首を振った。

 その時、店長が「雨の時に出会ったんでしょ? なら時雨とかいかがかしら?」と言った。

 今までのネーミングセンスに比べればずっとマシだった。

 俺は元気よく首を縦に振った。


「この子も時雨がいいみたいね?」

「時雨ちゃん? それでいいかな?」

 俺は「こやん」と鳴いて頷いた。


 それから俺は看板キツネとして出勤した。

 空いた時間に俺の身体も綺麗にトリミングされる。

 肉球に絡む毛をバリカンで刈られ、肉球や鼻をクリームでマッサージしてくれる。

 目の周りを拭いてくれて、耳の中や口の中を、不織布の指サックで綺麗にしてくれる。

 最後に肛門まで綺麗にされた……羞恥心が物凄いが、しかし自分のケツも拭けない体たらくでは、こうしてもらうしか他がなかった。


 常連のお客さんは俺を見るなら可愛いと喜び、抱っこを求める客が多かった。

 犬は適当に相手をするのだけど、人間ではないのでなんだかナメられた態度も取られる。

 懐く犬もいれば吠える犬もいて、犬によって性格は違うんだなと思った。


 次第に「これ、時雨ちゃんに食べさせてあげて」といろいろなものを貰う。

 高級ドッグフードは流石に口にしなかったが、お菓子や果物、旅行先のお土産で珍味系の缶詰とか色々なものを貰った。

 そして、そのどれもが美味しくて感動してしまう。


「時雨ちゃんは何でも美味しそうに食べてくれるから嬉しいわ」

 店の人もお客さんも、俺に癒やしを求めていたのだ。


 冬になり、寒くなると、大型犬用の靴だの子供服だのを着せてもらう。

 雌だと思われているようで――実際男に付くべきものがないのでそれは確かなのだが――可愛らしい女の子の服を着せられる。

 妙にマッチしているのが、巫女服や和ロリと言う感じのもので、みんながみんな「神々しくてお賽銭あげたくなるわ」と笑うのだ。


 ひとみも良くしてくれるし、店の人も近所の人も良くしてくれる。

 夕方、学校帰りの小学生や、女子中学生、女子高生が俺目当てでお店の前に集まったりする。

 店長は気のいい人なので、手が空いていれば俺の手を引いて、子供の相手をさせたりする。

 乱暴な子はいない。皆、優しくしてくれる。


 ある日、横暴な態度の男の客が現れた。

 あれこれ注文が細かく、挙げ句、綺麗に仕上がった犬を見ては、クレームを付けるのだ。

 店長も従業員もほとほと困っているところに、俺は飛び出た。


 何が出来るとも思わなかったが、ここまで良くされている店で何食わぬ顔もできない。

「こっちが大人しくしていれば! これ以上、好き勝手するならタダでは済まさないぞ!」

 まさか人間の言葉が出るとは思わなかった。

 しかし、可愛い声で全く迫力がない。


 客はなんともバツの悪い顔をした。

 他の客の視線も集中していたので、「払わねぇっていつ言った!」と叫ぶと、周囲を睨めつけるようにしながら、代金を払って犬を引っ張っていった。

 後で聞けば、怪我があったとか何とか因縁をつけて回っている男だったらしい。


 男が立ち去ったあと、ひとみが抱きついてきて、「時雨ちゃん大丈夫!?」と体を擦った。

「だいじょうぶ」

 やっと喋れるようになったのだから、何か言ってやろうと思った。

「あんなのには負けないよ!」

 意図に大きな違いはないにしても、可愛い感じに喋ってしまう。


 その日の帰りにひとみは、「お祝いだから、何か美味しいものを買いましょう」と笑い、寿司が食いたいなと思ったので、「おしゅしとおしゃけのみたい」と舌足らずに答えた。

「時雨ちゃん、お酒飲むの!?」

「おしゃけだいすきー!」

 どうにもこうにも、可愛いナイズドされて格好が付かない。


 ひとみがスーパーで買い物してる時、私は表で待たされる。

 流石にケダモノが中に入るのはマズいと警備員に言われたからだ。

 往来は私に注目し、たまに声を掛けてくる。

 お婆ちゃんに油揚げを貰うことも多い。

 この油揚げと言うのは、DNAに響くんじゃないかと思うほどに美味しくて、周りもそれを察して良くしてくれる。


 そんな時に「あーら可愛い! お姉さんのところに行きましょうね!」と声をかけるオバさんがいた。

 私は「いやだ! ひとみとかえる!」と言うが、女は私の手を引き、それでも嫌がると抱え込もうとした。

「やめて! たすけて!」

 必死に藻掻き、精一杯叫ぶと、警備員さんがすっ飛んできた。

「これは私の子よ!」

 女は叫ぶが、警備員に「嘘はやめなさい!」と一喝された。

 その瞬間、手が緩んだのを見て、私は逃げ出した。

 警備員さんの後ろに逃げると、「あら嫌だ、本気になって!」と捨て台詞を吐いて、女は逃げていった。


 買い物を終えたひとみは、スーパーの店長さんから謝罪され、理由もわからぬまま、「今度からはご一緒にお買い物を楽しんで頂けたら」と言われた。

「そうおっしゃって頂けるなら、ありがとうございます」

 ひとみはあんまり釈然としない顔だったが、私がひとみにしがみつくと、「まぁいいか」と笑った。


 家でお寿司を食べながら、帰りの出来事を説明したら、ひとみは目を丸くして驚いた。

 そして「もう、時雨からは絶対に目を離さないからね!」と誓い、そしてぎゅっと抱きしめてくれた。


 私は「痛いよぉ」と訴えると、「そうだ! お酒飲もう!」と日本酒を勧めてくれた。

 もっと飲めるつもりだったけど、お猪口三杯ぐらいでふらふらだ。

 もう一回ひとみが抱きしめてくれて、これでもいいのかなと思った。


 私がお話しを出来るようになってから、日常の事が少し便利になったけど、だからといって特に大きく変わる事はなかった。

 でも日々、私を一目でも見たいと言う人が訪れる。

 私との会話は当たり障りのない事ばかりだ。

「何処から来たの?」「そんなに遠くから来てくれたの? 嬉しい!」「元気にね。健やかにね」

 そんな会話でも色んな人が満足して帰っていく。

 色々なプレゼントをくれる。


 ひとみやお店のみんなはそんな事に嫌な顔ひとつしない。

 でも、みんなの腕が立つことが世間に知られるようになると、犬を連れたお客さんも増えてくる。

 むしろ、私と会う為にわんちゃんを連れて来る人も少なくない。

 お店は繁盛しているし、商店街も繁盛している。


 みんな幸せそうで嬉しい。

 信仰って……こういう事なのかな?

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