魔族軍は一瞬で瓦解した。
勇者一行が奇襲をして、魔王様を倒してしまった。
魔王様は何かと頼るになる魔族だし、全魔族への広域で強力なバフは誰にも真似できなかった。
それを奇襲とパワープレイで勇者は解決したのだ。
それから幹部だのなんだのが次々に討ち滅ぼされた。
私も抗った一人であるが、死闘の末、首を落とされた。
首が落ちると言う感覚は不思議だ。
身体の感覚が一瞬でなくなり、手を動かそう、足を動かそうと言う動作が空虚なものになる。
ゆっくりと世界は回転し、そして泥にこの顔が塗れるのが分かる。
声は出せない。
魔力を以て勇者に言葉を掛けようとするも、頭部に残った魔力は僅かばかりだ。
勇者が背を向け、歩いて行くのを見ていくしかなかった。
世界が暗くなっていく。
あぁ、これがお仕舞なのだと。
そうして意識が遠のく。
ただただ暗い所を歩いている意識がある。
ここはどこだ? 私は何処を歩いているのだろうか?
そして目の前に扉があるのに気付く。
全く暗闇で、何も見えないのに、扉があるのが分かる。
私はそのノブを握り、そして扉を開ける。
「やぁ、やっと来たね」
一人の人間の少女がガラス板を手に持ち、こちらを見てニヤリとしている。
「そのマナ……魔王様ですか?」
彼女から感じるマナの波動は間違いなく魔王様のものだった。
「お、気付いてくれて嬉しいね」
少女をよく見る。小柄で愛らしく、人間を欺くにはちょうどいいのだろう。
「随分と可愛らしい身なりをしてますね」
「※※※※も可愛いと思うけど」
そう言われて、脇に張り付けてある姿見を見て、自分の容姿も人間の子供のようであることを悟った。
魔王様の座るクッションのようなものは、綿が入っているには形が整っている風で、その前に小さなテーブルがある。
部屋は小さく、木材でも石でもないような素材で作られている。
魔王様はクッションに身を任せて、そして小さなガラス板を撫で続けていた。
「この世界は魔素が少なくてね。魔力が発揮できないんだ。
人間の姿になるにしても力は弱く、実際何も出来ないよ」
そうであれば真の姿を現せばいいではないだろうか?
魔王様は説明してくれる。
「この世界には、魔族も魔物もいない。そのような姿で闊歩すればとんでもないことになる。
第一、我々の姿を考えてみろ。前の世界のような姿になれる訳がないだろう?
一度なってみたが、これは傑作だぞ。
まぁそのお陰で食えている部分もあるが」
そう言って、魔王様は立ち上がった。
「今日からお前は鼎芹那だ。
鼎は古代の釜を意味する。薬剤調合の天才のお前としては十分だろう。
芹を名前に使う場合は、多くの場合芹摘姫の伝説から来ている。
那は古語で、何処か何故かと言う意味だ。お前の探究心を表すだろう。
良い名前であろう? 昨晩、必死に考えたのだからな」
魔王様は胸を張っていた。
私はどうしたものかと思う。
魔王様はにんまりとしながら先のガラス板をこちらに向けてくる。
機械的な目が四つほどこちらを見ている。
「光るよ?」
ガラス板の目の一つが眩く光り、そしてカシャリと言う作り物の音がする。
「よし、これで身分証を作って貰おう」
そう言って、相変わらずのガラス板を触れ続けている。
「それは何ですか? マジックアイテムですか?」
魔王様は笑いながら答える。
「まぁ、そんなところだよ。この世界の人間は、技術で魔法を手に入れたようだ。魔素の希薄な世界だからな」
マジックアイテムの操作が終わると、「いいとこに行こう」と言う。
「いいとこ? ですか?」
「そうだ。これから当面はこの世界に居るからな。
あ、そうそう、私のこちらの世界の名前は新城真生だ。この部屋が新しい城と言う訳だな。
今日から様付けはなしだ。呼び捨てでも何でも好きなように呼ぶといい」
そう言って、私の手を引いた。
外に出れば、我々の世界とは全く違う風景が広がっている。
石のようで石でないもので覆われた地面や建物の壁。車輪付きの破城槌ほどの車が、馬が駆けるよりも早く駆け抜けていく。
私は目を見張る。しかし街ゆく人は誰一人、その驚異に疑問を持たず、ただただ不機嫌そうに、或いは上機嫌な顔をして歩いていた。
「魔王様……この世界は?」
「慣れるしかないよ! 芹那ちゃん!
あと、それと……私は真生! 真生ちゃんって呼んでね!」
魔王様は威厳も何もない、ただ一人の少女のような顔をして話し笑う。
「まお……ぅさ……ん。慣れろとは?」
「生き抜くためにこの世界で自分を再構成してみたのだけど、元の世界に戻る方法が分からなくてねぇ。
いやぁ、咄嗟のことだから困ったよ」
咄嗟とは!? 己の意識を異世界に転生する術式なんて、幾ら何でも我らの魔法体系にもない。
「お、驚いてるねぇ」
魔王様は上機嫌だった。
「いやぁ、私って天才だからさ、ヤバイって思った瞬間に必死に組み立てたんだよね。
実証も何も出来ないけど、死んじゃうよりいいと思ってねぇ」
我々はダンジョンの入り口へと辿り着いた。
祠のように石で段が築かれている。
ダンジョンはそれほど複雑ではないような気がしたが、幾つか分岐している。
最初の分岐では、片側から外界の空気が吹き込んでいる。
「ここは? この地下世界に何があるのですか!?」
「いや……別に何もないけど?」
魔王様はあっけらかんとしている。
「ダンジョンですよ!? 意味なく入る場所じゃないですよね!?」
私が詰め寄ると、「あ……うん……そうだね。ちょっとした転送装置があるね」と苦笑いした。
地下の一つの大きな空間、私は警戒しながら進もうとするが、魔王様は手を引っ張ってくる。
「別に魔物も人間の戦士もいないよ」
「そんなに神聖なところなのですか? そのようには見えませんが?」
壁も床も平らに、或いは綺麗な球面に作られていて、不思議な術式の灯りが灯されているが、隅々を明るくするほどの力はなく、何処となく薄暗く、陰湿な雰囲気がする。
「だーかーら! この世界に魔物はいない! 山にでも行けば獣ぐらいいるだろうがな」
空間の奥に貧弱で小さな門のような装置、そして何らかの操作盤がある。
魔王様は慣れた様子でそれを操作する。
紙切れを吸い込ませ、そして小さな板が出てくる。
「これをタッチして入るよ」
真生様は自分の板を私に見せると、小さなゲートの一つにそれを触れさせる。
「ピ!」と言う鳥の声にしては無機質な音がする。
「芹那ちゃんも!」
魔王様はゲートの向こうで手を振る。
魔王様がそういうのならば……
「魔王様? この儀式はなんですか?」
「うーん、転送装置を使うためのトークンだよ」
そう笑うと、奥の幾つかある階段の一つを、何の迷いもなしに降りていく。
地下の一番奥。否、その奥にも漆黒の闇に包まれた世界がある。
「魔王様、灯りが必要ですね?」
私が尋ねると「いらないよ」と笑った。
「まおぅさ……ん、何を待っておられるのですか?」
地下世界の一段下がった所には、鉄の棒が横たわっている。
この空間には多数の人間がいるようだが、そちら側に降りていく者はいない。
魔王様のガラス板と同じようなものを触れている人間が多い。
魔王様は私の呼び方に違和感があるようだ。
「その呼び方嫌だなぁ。さぁ、真生ちゃんって呼んで?」
「無理です! 無理ですよ!」
「こんな姿なんだし、その呼び方の方が不自然だよ!」
「魔王様を呼び捨てにするだなんて!」
「仮の名前だから大丈夫だよ。
そうそう、この国も昔は呪術に使われると困るから、仮の名前と本当の名前があったんだよ。
真生は仮の名前だから大丈夫だよ。
ノーカン! ノーカンだから!」
魔王様はその少女の姿でケタケタと笑っている。
「ノーカンとはなんですか?」
その質問をしていると、風が穴の奥の方から吹いてくる。
それもかなりの強風だ。
空間に短い曲が流れる。
どこに楽団がいるのだろう? 聞いた事のない楽器だけれど。
人間の言葉で何だかんだと説明が入り、そして轟音と共に、鉄の箱が突っ込んで来る。
「魔王様!」
「真生ちゃん!!!」
心臓の脈拍が早い。
こんなに恐怖するだなんて。
我々は眩い光のその鉄の箱に乗り込む。
扉は自動で開き、自動で閉じる。
この魔法、どれほどの魔力が必要だろうか?
大勢の人間が乗っていて、これがゴウゴウと音を立てながら高速で走っている。
「そう、驚かなくても」
魔王様は笑いながら説明してくれる。
人間の世界では多くの場合、電気という力を使うらしい。それは言わば雷の力だそうだ。
例のガラス板もその電気の力で動いている。
鉄の箱は電車と言って、地下を走る電車のことを地下鉄と言う。
その地下鉄の灯りも、その地下鉄の扉の上で光っている目まぐるしく表示を変える板も、全て電気の力だという。
「こんな繊細な術式……」
私は唾を飲んだ。
「まおぅさ……ん、私達は何処へ連れて行かれるのでしょう?」
そう言うと、魔王様はむっとして「真生ちゃん!」とだけ言う。
そして黙ってガラス板を触っている。
「その……答えてください……」
「真生ちゃんって言うまで答えないよ!」
魔王様は少女のように頬を膨らませた。
電車は暫く走ると止まり、そして扉を開ける。
人は乗り降りして、そして扉を閉めると張り始める。
「真生……ちゃ……ん? そ……その我々はどこへ……?」
「いいところ!」
魔王様は満足そうだった。
"いいところ"とは、部屋を出て四半"刻"弱で辿り着いた。("刻"=人間では性格に発音できない言葉なので代用、概ね1.18時間を意味する)
そしてまた地下迷宮だ。
入った時よりもずっと入り組んでいる。
人の波がぞろぞろと続いていく。
魔王様は私の手をしっかりと握って引っ張って行く。
「離れないでよ?」
魔王様は何処かしら楽しそうだった。
到着した街は、大屋根のある通りと、壁のような建物で出来ている。
その通りを人混みを掻き分け進んでいくと、一つの建物に至る。
正直、建物と建物は密接していて、一つの建物に見えるが、その中の一角というだけだ。
白い壁で割と新しめの印象を受ける。
魔王様は壁のパネルを操作すると暫く待つっている。
「この国では待つ事が多いのですね」
「不便に思うかい?」
「どうでしょう?」
私にはこの世界の仕組みが未だによく理解できてなかった。
扉が開き小部屋に入る。
小部屋と言うには窮屈な空間だ。
魔王様はまたパネルを操作する。
小箱が動いているのは分かるが何処へ連れて行かれるのか?
小箱は建物内の違う場所に出る。
「ほらこっち」
魔王様は私を引っ張って行く。
小綺麗な建物は何処かの屋敷にも見えるし、それにしては安っぽくも見える。
小さな商店が並んでいるようなところで、概ね可愛げのある装飾のある店ばかりだった。
「あっ! 真生ちゃん!」
フリフリの服を着た女が声を掛ける。
「オーナーは?」
「もう来るって言ってたのになぁ」
「アカリちゃん! この子が芹那だよ。私の元部下~」
アカリと呼ばれたその女は「へぇ」と覗き込むと「私アカリ! よろしくね!」と手を差し伸べた。
「鼎芹那です……」
私は初めて自分の名前を自分で言った。
それから部屋の奥にいる、タマキと言う女とか、ユイと言う女に挨拶する。
アカリ以外、どいつもこいつも子供っぽい奴ばっかりだな。
店は飲食店であるのは明白だが、小綺麗で出されている料理も上等に見えた。
エールを飲んでいる男、何やらどす黒い茶を啜っている男、高く積み上げられたパンケーキに、あのガラス板を向ける女などがいた。
「真生……ちゃん? ここの人って……」
アカリは別として、タマキやユイには他の人間にはないタイプのマナが流れているのが分かる。
「そうだよ。同類と言えば同類かな? ちょっと違うけど」
二人の給仕は客に媚びるような仕草をしながらお喋りを楽しんでいるようだった。
「私も?」
私もあの格好をしろというのか!?
「そうだよ?」
魔王様はあっけらかんとしてる。
「そうだ! 私、可愛いんだよ?」
と笑い、奥へと引っ込む。
アカリは話かけてきた。
「まぁ、人生色々あるからさ。
私もさ、ある世界で大賢者やってたんだよね。いやぁ、今思い出すと顔が熱くなるね」
私は訝しみつつ話を聞く。
「舞菜香ちゃん……ってこの店のオーナーの事ね? 彼女が色々やってくれるから今があるんだよ。
この街って、色々あって、異世界の人を引き寄せやすいんだよね。
まぁ、そんなに頻度は高くないけどさ、でも真生ちゃんみたいに引き寄せたいって時には完璧な立地だったりするんだよね。
いやぁ、私もさ、禁忌の魔法なんかを一発逆転で使おうとしてこのザマだよ。
前の世界がどうなったのか気になるけど、出て行くことが出来ないから、しょーがないから仕事してるって感じなんだよね」
自分でも分かる、自分は険しい顔をしている。
「あぁん。そんな顔しないでよ。
その身体に慣れてないんでしょう?
コレばっかりは、この世界に異様に魔素がないのが原因だからね。
私の持ち前の魔力使っても、こんな小娘になるんだから、まぁそんなにしょげないでよ」
よく喋る女だ。
辟易してるとアカリが何かに気付く。
「あ、オーナー! おつかれーっす!
って、紗々もいるじゃん」
そのマナを感じたときに私は一瞬で気付いた。
これはあの憎き勇者のマナと同じ波動だ!
私が掴みかかろうとした瞬間、アカリに足を引っかけられ、派手に顛倒した。
「おぉ、元気がいいのぉ」
目の前にいたのは、マナの性質が明確に異常な一人の人間だ。
我々と同じ少女の容姿をしている。
この世界の人間のマナを見たけれど、それとも異なっていて、私の知る世界のソレではなかった。
「紗々、こやつと因縁があるようじゃな?」
「オーナー……その……前の世界で……」
「そうじゃろうな。まぁ少し奥で待っておれ」
オーナーと呼ばれたその人間は、私に手を貸しながら、アカリの足払いを褒めた。
「真生から聞いておるぞ。元側近じゃったようじゃな。
儂はお主を歓迎するぞ。
じゃぁ、前の世界の話は、前の世界で終わりにせぬかな?」
奥から魔王様が出てきた。
アカリと同じフリフリの――男に媚びたような衣装を着て。
「あー」
魔王様は勇者とすれ違い、気まずいような顔をしながら顔を出した。
「オーナー、そういうのはもう少し落ち着いてからにしません?」
魔王様はオーナーに苦言を呈した。
「今日も明日も同じじゃろ?」
「もぅ!」
魔王様は私に向き直って優しく語りかける。
魔王様が言うには、魔王様はこの度の戦いで死んでしまった魔族や人を一人でも救おうと思っているそうだ。
そして、この世界で召喚魔法の研究を続け、初めて成功したのが勇者だった。それは偶然で、否、召喚魔法自体が現時点では行き当たりばったりで、正確性も確実性もないという。
前の世界の勇者は魔王様を手に掛け、それから粗方の魔族を殺すと、聖都へ凱旋した。
しかし、戻ってからの人間の国は醜い権力闘争に明け暮れた。
勇者一行もその最中で謀殺されたという。
「それでもあの人を許しません」
「許さなくてもいいけど、私は許したんだって言うのは気にしておいてね」
そう言って、魔王様は私の頭をぽんぽんと叩いた。
それから魔王様は店の説明をする。
「このお店は、所謂コンセプトカフェって奴だね。
昼間は女の子。夜は怪物の"着ぐるみ"が給仕してくれるんだよ?」
と言うと、彼女はニヤリとした。
私は取り敢えずお店でゆっくりしてくれと言うことになっていた。
とは言え、居心地が微妙に悪い……何と言うか、チャラチャラしている感じがするし、接客も軽薄にさえ思える。
そもそも、魔族が人間相手に給仕だななんて、冷静に考えて屈辱的だ。
それが魔王様ならば尚更だ。
見ているこっちがムカムカしてくる。
あの紗々と言う女も魔王様と仲良くしているようで余計に腹が立つ。
「あーん、怖い顔しちゃってぇ」
タマキがやってきた。
「芹那ちゃんもここで働くんでしょ?」
そう尋ねられてどう答えるべきか悩んだ。
「そ……その、こういう店はちょっと……」
私の答えに「そっかぁ」と笑い、「まぁ"人間"それぞれだしねぇ」と付け加えた。
「私は!」
「私もだよ!」
タマキは被せるように答えた。
「私さ、前の世界ではまぁ、なんて言うか悪いドラゴンでさ。
私の前の世界のドラゴンってなんていうか、高慢で暴力的で、マジ碌でもない生き物でさ。
それを殺したのがユイなんだよね」
「怒ってないの?」
「色々因縁があったからねぇ。
最初に会ったのがユイが見習い騎士の頃でさ、エラい騎士様についてドラゴン退治に出掛けて、私が返り討ちした時さ、何となく見逃しちゃったんだよね。
その後、師匠の復讐とか色々あって、何度も襲われて、何度も殺しかけて、でも運良かったり、仲間が強かったとか色々あって逃げ延びて、その度に強くなって行くから笑えたよ。
そんでもってアイツが国一番の騎士にまでなっちゃったのよね。
それで、国の命令で私を倒せって言う話になるじゃない?
ユイが言うには気乗りしなかったらしいよ。なんとなくね。
私もユイも割と感覚で生きてる生き物だから、何処となく気が合うところがあったんだよ。
それで、ユイが命令受領して私殺しに行くじゃない? その時、いきなり政変が起きて、ユイが何と言うか陰謀に巻き込まれたんだよ。
いやぁ、私とユイが殺し合いしてる所に、近衛騎士団の他の連中が雁首揃えてさ、ユイを後ろから討とうとするからさー。
私なんかむかーって来ちゃって、それから何となく暫く共闘することになっちゃったんだよね。
でもまぁ、私って札付きの悪い龍じゃない?
政変が収ったところで、やっぱりユイへの命令が生きていて、私を殺すか自分が死ぬかってなっちゃってさ。
アイツ、"自分が死ぬからお前は生きろ"だなんて言うじゃん。
"馬鹿いうなよ! 殺し合って決めるに決まってるだろ!"ってガチギレしたら、じゃぁ戦おうってなる訳。
どっちも死ぬこと覚悟してたけど、手を抜くのは失礼ってもんでしょ?
そんな訳で、三日三晩戦い続けて、そして私が死んじゃったんだよ」
タマキはそこまで言うと、「それで今、むっちゃ嫌いだよ!」とケタケタと笑った。
「ねぇ! ユイ!」
タマキは大声で叫ぶと「タマキうるさい!」と叱られていた。
ダメだこいつら、絶対に参考にならない!
でも、そうなるとユイがここへ来た理由が分からない。
「それで……なんでユイが?」
「あの馬鹿、私が事切れるってところでさ、目の前で自刃しやがってさ!
マジ馬鹿だよね!」
とぎゃははと笑っている。
「だからうるさいって言ってるだろタマキ!」
ユイが私の席にやってきた。
「タマキうるさいぞ!」
ユイはタマキにのし掛かるようにして、タマキの横から顔を出した。
「また武勇伝語ってるの?」
「そりゃそうでしょう」
「ホントあんたって子は……」
二人の距離がやたらと近いのだ。
「この子、調子に乗りやすいから、腹立つならすぐに言ってね」
「ユイだってこの前、キャスドリで調子載ってリステル一気飲みしたじゃん」
ユイはタマキの頭をワシャワシャやりながら「元はと言えば、あんたが悪いんでしょ!」とじゃれついている。
タマキは「きゃーやめてー!」と言いながら、奥へ引っ込んでいった。
「あぁ……なんかごめんね。あの子、あんな調子だからさ」
ユイは笑いながら頭を下げてきた。
「あ……うん……」
私は言葉に詰まった。
「お店のことで何か聞きたいことある?」
「その……魔王様とあの勇者……なんでこんなところにいるんですか?」
私が尋ねると、「"こんなところ"とは失礼だねぇ」と笑い、そして訥々と語り始めた。
「オーナーがさ、街で彷徨ってたあの子を拾ってきたんだよね。
まぁ私達も拾われた側だけどね。
それで、あの子は必死で前の世界に戻りたいって願ったんだよね。
私もタマキもまぁ、前の世界がそんなに好きじゃなかったクチだから、そこまで必死にならなくてもって言ってたんだけど、凄く責任感のある子だからね。
そういうのが許せなかったのかも。
だから、オーナーが色々とお世話しながら、なんとか感とか店に引っ張り込んだんだけど、最初はそりゃぁ酷かったよ。
でもね、ある時オーナーが言うんだよ。
"儂らのような生き物が生きているだけでも十分じゃろう"ってね。
それで"ただ生きてるのには意味がない"って返すモノだから、戻れないなら引っ張り込むにはどうしたらいいか考えろって話になって、それからきちんと仕事をするようになったかな。
このお店、結構実入りが多いから、少しばかり贅沢とか出来そうなのに、そういうの全然せずにお金貯めて召喚術研究して、触媒のなんか高い宝石よういしてさ。
本当に必死だった。
紗々が来たのに五年ぐらい掛かったかなぁ?
来たときは驚いたと思うけどね、お店に紹介したとき、多分相当嬉しかったと思うよ。
紗々の方もさ、自分が倒した相手が自分によくしてくれるなんて、そんなに落ち着ける話ではなかったと思うけど、それから一緒に暮らそうってやって仲良くやってるんだよ。
二人にどういう話があったのか分からないけど、真生ちゃんは自分の運命を飲み込んで、自分の使命に気付いたんじゃないかな?
ほら、あっちであんなに仲良くやってる」
ユイが顔をやった方向では、謎の装置でエールを注いでいる勇者に、魔王様がちょっかいを出している。
それで、そのエールを客に出すと、後ろから抱きついて身体を揺らしている。
勇者はそれを嫌がる素振りも見せず、一緒に揺れていて、それから普通に簡単なダンスを踊った。
客はそれを見て喜んで拍手している。
踊り終えた二人が私の席にやってきた。
勇者は少し気後れしているっぽいが、魔王様は「今の見た!?」と元気に聞いてくる。
「えっ! あっ! はい!」
そして勇者を引っ張り込んで「この子、結構ヌケてるところあって可愛いんだよ!」と紹介する。
「そ……その紗々です。上手く言えないけどごめんなさい……」
そう言うと、「なーに湿っぽいこと言ってるのぉ!? みんな元気に生きてるからよくない!?」と魔王様は勇者の頬を突いた。
「自分だってクソザコなところあるのに」
勇者は可愛げのある顔で魔王様に突っ込むと、「そう言うこと言わないの!」と笑った。
私はどういう顔をすればいいのか分からない。
取り敢えず作り笑いをしてその場を凌いだ。
陽は徐々に暮れていく。
食い物もよく出て行くし、酒も茶よりも多く出るようになる。
エールや葡萄酒、薬草酒のような見慣れたものから、なんだかよく分からない色の酒も出て行く。それを混ぜ合わせて出したり、文化の違いを感じる。
出て行く料理もパンケーキは分かるが、よく分からない料理が多い。
そもそも、魔族は手の込んだ料理と言うモノを作ることはあまりない。
パンケーキなりパンなりを作るのが限界で、大抵は塩と香草で肉だの魚だのを食べる。
下級魔族ともなれば、それもなくそのまま齧り付く。
そんな風だから、食にこだわりのある魔族と言うのはそれほど多くなく、香草だって味付けよりもバフ強化の方が重視される。
だが……この身体でこの香りは応える。
腹が減ってしまった。
そんな時に、魔王様がやって来る。
「はーい! キューバサンドと、ジンコークだよぉ」
更に料理が載っていて、ガラスの容器に黒い液体が注がれていた。
料理は何やらパンに肉だのなんだのが詰まっている。
兎に角上手い匂いがしている。
「めしあがれー」
魔王様が可愛い口調で勧めてくる。
私は無言で齧り付いた。
美味い! なんだこれは! 美味すぎるぞ!
私がガツガツと食っている姿を魔王様はずっと眺めている。
「美味しい?」
「はっ! はい!」
「よかったぁ。それ、紗々が作ったんだよ!」
そこで私の手が止まるかというとそうはならかった。
パンからはみ出して溢れそうな肉を掬うように食い、歯ごたえのいいパンに齧り付く。酸味が絶妙なソースが口に広がり、甘辛く焼いた肉を咀嚼する感覚が気持ちいい。酢漬け野菜の風味が混ざって、絶品と言える料理になっている。
必死で食ってしまい、そして飲み物に手を伸ばす。
どす黒く発泡性のある謎の飲み物だ。酒臭さを感じるので、酒なのだろう。
一口含むと、芳醇な香りと刺激、まろやかな甘み、鼻に抜ける刺激。
美味い!
「もう、そんなに急がなくてもぉ」
魔王様はニコニコしながら私の完食を待った。
「ここで働けば、まかないも出るよ?」
その一言で、私はこの仕事をすることを決めた。
客は満員。皆にこやかに酒を飲み、食事を楽しんでいる。
店員は働き蜂のように駆け回り、そしてその合間にお客さんと喋っている。
こんなことが私にできるのだろうか?
そして、店じまいの時間だ。
客を一人一人追い出していく。
大抵の客は納得したように会計を済ませて出て行く。
みんな片付けに精を出している。
そして机を寄せるとか椅子を片付ける。
私はどうしていいのかよく分からないでいる。
邪魔にならないように店の隅に立っていた。
「これからが本番だよ!」
一通り片付くと、魔王様やタマキ、オーナーが真の姿になる。
真の姿と言っても、魔素の制限されたこの世界では、小さくか弱い姿だ。
魔王様は身体は少女の大きさのままに、鹿の頭蓋骨のような頭部と岩のような鱗と棘、そして尻尾を表した。
「ふふーん、格好いいでしょう?」
格好はいいけれど、チビなのでなんとも威厳はないし、声も人間の時と同じなので拍子抜けしてしまう。
「そ……その……恥ずかしくないですか?」
「何を言っている! コレが大ウケなんだぞ!」
魔王様は胸を張った。
タマキはドラゴンだ。
身長は伸びたが、大人の男性ぐらいの大きさか。腹がぼてっとしていて、愛嬌のある顔をしている。
何と言うか……可愛い。
そしてオーナーは、九尾の狐の少女だ。
顔から手足から全部毛皮に覆われている。
胸がデカくて、妖艶な姿をしているのがなんだか癪に障る。
勇者とユイは、魔法で出現させた甲冑を身につけている。
尤も、見た目、魔法防御らしいモノが掛かってないので、何と言うかガワだけの偽物の甲冑である。
アカリは一人、可愛い格好のままだった。
皆が姿を解放している故、何となく魔力場が狂っている感じがする。
少しクラっとする。
否、この状態が普通の筈なのに、魔素のない空間故、変な気分にさせられるのだ。
魔王様が「気分が悪いなら解放しちゃいなよ?」と言うので、お言葉に甘えることにする。
あの二人がこのサイズなら私も似たようなモノか。
自分にかけられていた容姿制御の魔法を解除する。
それを全員が見つめていた。
「おぉ~」
私も身長は人間の大人ぐらいか。
緑色の表皮は外骨格だ。
鏡を見せられて自分の真の姿がデフォルメされているのだなと気付いた。
「開店するよ~」
アカリが店を開き、そして一人一人チェックしながら中に入れていく。
ユイが教えてくれるには、会員制のお店らしい。
基本的に顔見知りしかやってこない。
一応お題目としては「着ぐるみクリーチャーカフェ」である。
尤も、この姿を本当に着ぐるみだと信じている人間はあまりいない。
真の姿を見ながら、その容姿を楽しみ、交流を楽しむ。
そう言うお店なので、割と客との距離が近い。
暇そうにしているお客さんを見つければ横に座って話をしたり、角を触らせたりする。
と言うか、ムネのあるオーナーは結構際どいことまでしている。
大丈夫かよ!?
と思いつつ、私が客に引き寄せられる。
「新しい子なんだ?」
「は……はい……」
「昆虫モチーフで格好いいよ!」
「あっ、ありがとうございます……」
「少し触っていい?」
「あっ……そういうのは……」
私が困っていると、勇者がやってきた。
「お前、嫌がってる子に手を出そうとしているな!?」
やや芝居がかっていて、そして客の横につくと、「なんだ、最近来てなかったじゃん」と普通に話掛けていた。
私はあの勇者になんとなく救われた。
悔しいけど救われた。
勇者は客と話しつつ、色々説明していく。
「いやぁ、手強い相手だったよ~」
チェスの話ぐらいの気安さで、自分の武勇伝を語る。
何処まで語っていいのだろうか?
「真生ちゃーん!」
魔王様が客に呼ばれていると、「よせ! 今は魔王様だ!」とこれも芝居がかっていた。
タマキはでっぷりした腹を触らせたり、太い尻尾に抱きつかせたり……
何でもある店になっていた。
そうして夜は更けていく。
賑やかに、楽しげに。
夜営業も終わり、片付けをして、そうしていたらもう随分な時間だ。
大屋根の商店はどこも閉じていて、「芹那ちゃーん、こっちー!」と魔王様は私の手を引く。
何故か勇者も同行していた。
「今日は、"新圳"いこうか?」
魔王様が勇者に聞くと、「明日、ポイント倍デーだから、明日の方がいいよー」と不満そうだ。
「えーでも、美味しいじゃん! 今日は塩つけ麺にして、明日は新圳スペシャル食べればいいじゃん!」
魔王様は我が儘っぽいことを言うと、「ほら、芹那ちゃんもそう思うでしょ?」と言われた。
私は何を食わされるのだろうか?
なんだかんだで、不思議な佇まいの店に入る。
今まで嗅いだことのない、濃厚でそして食欲をそそる匂いが充満している。
勇者は先に、何かの操作盤を操作して、コインと紙切れを突っ込む。
そしてより小さな白い紙切れを手に取った。
「芹那ちゃん、お腹どんなもの? 沢山食べる?」
魔王様に尋ねられて「えっ!? はい! 普通には」と答えると、「よし、じゃぁ、スペシャルを食べて貰おう!」と笑う。
魔王様も勇者と同じように操作盤を操作して、そして小さな紙切れを手にした。
私達はカウンターテーブルに座り、例の紙切れを店員に渡す。
店員にごちゃごちゃっと聞かれたと思うと、勇者は何も臆せず、「固め、濃いめ、少なめ、ニンニク抜き」と応え、魔王様も「硬さ普通、ひやあつのニンニク抜き」と答えた。
で、私は……となった時に、魔王様が横から答える。
「この子は、全部普通のニンニクマシで!」
「真生……ちゃん。今のは?」
「呪文だよ?」
「どういう魔法体系ですか?」
「えっと……新圳系?」
「は、はぁ」
私と魔王様がぎこちないやり取りをしていると、勇者がくすくすと笑い始めた。
「紗々、可哀想だよ!」
魔王様が頬を膨らませると、「あっ、ちがくて……なんか初めて連れてこられた時の事、思い出しちゃってさ」と大笑いした。
魔王様は「あの時は大変だったんだぞ? 先ず、麺を啜るところから教えなくちゃならんかったからね」と言ったところで、魔王様は焦った様に私に向き直した。
「芹那って……箸って知らないよね?」
この国の人間が、この頼りない木の棒で食事をするという事が先ず信じられない。
魔王様は手取り足取り、箸の使い方を教えてくれる。
「先ずは、ペンを握る手の形を作って……」
店は割と満員に近くて、右へ左へラーメンが出ていく。
出てくる前に何とかして習得しないと。
真剣に二本の棒きれをカチカチとやる。
魔王様に認めて貰わないと!
「おー、上手い上手い!」
と言ってる辺りで、勇者のところに大きな器が来た。
何やらスープの上に切り分けられた肉が何枚も載っている。
美味そうだ。
そして次に魔王様。
汁のない皿に、黄色い麺と肉や卵、あと謎の食材が載っている。それともう一つの器に熱そうなスープが入っている。
それで私の目の前に来たのは、スープの上に肉や卵や謎の具材が載っている謎の料理だ。
「まっ! 魔王様!? こ、これは?」
「ラーメンだよ。幸福になる呪文を唱えて、ちょっとしたトークンを支払うと出てくるよ」
「そっ……そうなんですね!?」
魔王様と勇者が手を合わせて何やら呪文を唱える。
「今のは?」
「食材になった生き物と、食材を作ってくれた人、それを届けてくれた人、そして作ってくれた人への感謝の祈りだよ」
「それはこの国の宗教ですか? やらないと火炙りにされたりとか?」
そう言うと、魔王様は大笑いして、「心遣いだよ! 黙って食べても誰も何も言わないけどね。でも、こういうのって、世界に自分一人じゃないんだって確認出来るでしょ?」と言った。
私も急いで、魔王様に言われたとおり祈りを捧げる。
「いただきます」
魔王様より、勇者の方が似たタイプのラーメンだ。
癪だがアイツのやり方を真似るか……
下から麺を引き出して、息を吹きかけて……そして……なんだ!? 一気に麺が口の中に入っているぞ!? どういう魔法なんだ!?
しかし、ズルズルとはしたない音を立ててるな!? 流石、下品な人間のすることだ!
魔王様は自分のラーメンを楽しそうに食べている。邪魔してはいけない。
そう思って、魔王様を見れば、魔王様もズルズルと音を立てている。
なるほど、この国はそういう文化か!? 何処かの蛮族が食事に奇怪な儀式を行うとかある。そう言う国なのだな?
先ず口に含んで、息を吸う要領で?
口の中が一気に焼ける! 熱い!
そうか、ふーふーしてたのはこういうことか!?
しかし口の中で脂と塩分とあと何やらよく分からない色んな味が混ざって、とんでもない味になっている。
なんだ! このスープは!? 精神に響くぞ!
麺はもちもちと歯ごたえがあり、それでいてすんなりと胃に落ちていく。
そしてこの肉はなんだ!? ほろほろと口の中で溶けていく。そして口の中が一瞬で幸福になってしまう。
卵は異様な色をしているが、これはこの卵がそう言う味なのだろうか? よく分からないが、兎に角濃厚な味わいに満たされる。甘辛い白身ととろりとした黄身。絶妙な火の通り具合だ。
謎の具材も上手い。
先ず、この真っ黒な紙はたったこれだけなのに海の風味を感じる。しかし塩分は完全にスープからのそれなので、濃厚で味わい深いスープにこの風味が混ざって絶妙な感覚を覚える。
緑色の植物の茎(?)は、謎の辛味を与えて、それでいて爽やかな香りを与える。
細々としたこの黄色い粒は!? なんだこの匂いは!? 臭い! 臭いがしかし……スープに混ざってとんでもないハーモニーを奏でている。
この木の短冊を柔らかくしたようなものは? 歯ごたえが面白くて、コレ一つを抓んでいてもいいと思えるしっかりした味が付いている。
そして……何かの根だろうか? 白く細いそれはまとめて口に入れると、シャキシャキとした感じが楽しく、スープによく絡んで実に美味い。
食べる程、麺を口の中に入れる方法が分かってくる。
音が気に入らないが、気持ち良く口に入る時ほど音がうるさい。
しかし、周りを見ても、そんなことを気にしている人間は見掛けない。
皆威勢良くずるずると音を立てている。
気付けばあの大きな器に盛られた麺も具材も食べ尽くし、そして匙で掬ってスープを飲む。
やはりスープが美味い。
このスープだけでどれぐらいの料理が作れるだろうか?
考えただけで恐ろしい。
昼過ぎに食べたキューバサンドも美味かったが、このラーメンと言う料理、余りにも恐ろしい。
「ごちそうさまー!」
魔王様に真似て、感謝の祈りを捧げ、そして店を出る。
それで魔王様が地下鉄と呼ぶ迷宮に潜り込み、そして再び始まりの土地へと戻ってくる。
それでもなお勇者が一緒だ。
「どこまでついてくるんですか?」
私が勇者に尋ねると、魔王様が代わりに答えた。
「えっ? 普通に部屋までだけど」
どうやらあの狭い部屋に二人寝泊まりしているようだ――それが三人になると。
「ふざけるな!」と、喉のところまで出かかった。
しかし、召喚術の為に金がないとか言っていた――そうか、勇者は魔王様に協力しているのか……
「わ……わかった」
私が察するのを感じたのだろう。
魔王様は「ありがとうね」と頭を撫でてくれた。
ここを出る時に使った、シャワーと言われるお湯の出るアイテムだの、食べ物を冷やすアイテム、温めるアイテム、湯を沸かすアイテム、部屋の温度を変えるアイテムなどを説明される。
そして驚いたのは……用便後に局部を水で洗うアイテムだ。
そんなもの必要か!? しかし……便利なのかもしれない。
ただ、用途ごとにアイテムを用意しなくちゃならないなんて、この世界は不便だな。
そう言うと、「魔力なくても誰でも使えるのって便利じゃない?」と笑った。
シャワーを浴び、そして冷蔵庫の中で冷えているビールと言う、金属容器に入った酒を飲む。
「芹那がやってきたお祝いだよ!」
三人で乾杯をした。
所謂エールの種類が違うものなのか。案外すっきりして、そして喉を抜ける心地が良い。
夜も遅いからと、大きなクッションを引き延ばして、ベッドのような形に変える。
勇者は布団を引っ張り出してくる。
「どうやって寝る?」
「そりゃぁ……魔王様が真ん中で」
「真生ちゃんな?」
なんだかんだと布団に潜り込む。
「真生ちゃん……ふと思ったんだけど、誰でも道具が使えるって言うけど、この国って誰もが同じじゃないですよね?」
「難しいこと考えるねぇ。
私達のいた世界よりずっと平等だよ。ずっとね」
「平等ってなんですか?」
「人が差別に遭わない事、生まれとか性別とかそう言うので、仕事だの住居だのが強制されない。そう言う事だよ」
私は訝しんだ。
「魔族がいないのは分かりました、エルフやドワーフはいるんですか? 見た感じ見掛けなかったですけど」
「いないよ。人間しかいない」
魔王様はあっけらかんとしている。
「それなら平等って当たり前じゃないですか?」
「本当にそう思う? 魔族だって、生まれながらの素質って違うでしょ? 種族も同じじゃないじゃない? 魔族だって出た家で役職が決まるじゃない? 全ての魔族は魔族の中で平等?」
「違いますけど……」
私が言いよどむと、勇者が言う。
「前の世界の人間は、地位とか産まれとかで随分と扱いが違った。パーティを組んだ神官の女だって、女だって言う理由で凱旋してもちゃんとした役職に就けなかったしなぁ。
それでも女が街を出て、国を出るってだけでも随分とマシだって笑ってた。
私だって勇者の証しが現れなかったら、ただの小作人の倅で一生村から出る事もなかったし、帯剣も入城も許されなかった。
それに比べれば、普通に若い女が一人で出歩いて、それなりに好きな仕事に就けてるってだけでずっとずっと平等だよ」
二人して、この世界に絆されてしまって! ちょっと食事が美味いからっていって!
「でも、それって偶然人間しかいなかった。偶然魔物が出てくるような世界じゃなかったってだけでしょう? そのご大層な平等になって当たり前じゃないですか?」
そう言うと、二人はクスクスと笑った。
「"知恵"のある生き物は、それが魔族だ人間だって隔たりがなければ、今度は肌の色だの国だの人種だのなんでも理由を見つけて差別するものだよ。
この世界にもオーナーみたいな人間じゃない者だって存在するんだよ。でも、それを隠して生きているのは差別が怖いからだよ」
今ひとつ納得出来ない。
「でも、それだったら無能な人間だって上に立てるじゃないですか?」
勇者はすぐに口を挟んだ。
「前の世界だって、人間の貴族がどいつもこいつも優秀な人間だったと思う?」
私は口を噤むしかなかった。
魔王様は語る。
「難しいものだよ。
人間の能力なんて、はっきり見えるモノじゃないからね。
魔力もスキル適性もないような世界だと、目に見えないものをなんとか測定しようと必死になる。
でも、それってあくまでも代用変数でしょ? だから完璧じゃない。
だから、本質的に優秀でも能力が測定されない場合もあるし、無能な人間でもその測定に特化すれば優秀って扱いを受ける。
でも、家とか人種とか性別で決めつけるよりずっとマシってのが、この世界の……この国の考えかな。
まぁそれがうまく行ってないのは確かだけど」
「本当にマシなんでしょうか?」
「難しいね。本当に難しいよ。
あっ! でも一つだけはっきりしてる事がある。
この世界って、私達のいた世界みたいな物語が人気なんだけどね、その物語の価値観って、随分と今のこの世界寄りなんだよ! 面白いよね!?」
魔王様は本当に面白いと思っているのかは兎も角、理想郷なんて何処にもないんだなと思うしかなかった。
私と魔王様と勇者、並んで寝ていて思う。
理想とはなんだろう? でも、あの世界では、絶対起こり得なかったことだ。
「芹那は賢いからね」
そう言って顔に触れてくる。
魔王様の背後に、既に眠りに落ちた勇者が張り付いている。
私はムっとしたけど、黙って寝る事にした。
翌日は謎のけたたましいメロディで目が覚める。
あのガラス板から音が出ている。
魔王様はそれをささっと止めると、「おはよー」と言って背伸びをした。
「おはようございます。魔王様。あっ! 真生ちゃん」
私が言い直すと「結構結構」と笑った。
「ほら、紗々! 起きるよ!」
魔王様は横で寝てる勇者を揺すり起こした。
トーストと目玉焼きを焼き、コーヒーと言う、どす黒い茶を飲んだ。不思議な香りだ。
それから服を着る。
幸いと言えばいいのか悪いのか、体型が同じなので、同じ服が着られる。
魔王様曰く、術式が詰め切れてないので、どうしても性別も体型も揃ってきてしまうらしい。
そういう訳で、誰の趣味なのか、割とフリフリな服を着せられてしまう。
その上、化粧を施される。
「これにはどのような効果があるのですか?」
「ナメられにくくなる」
「バフ効果ですか?」
「まぁ、そんなものだよ」
なにはともあれ仕事だ。
昨日と同じように地下鉄に乗る。人が多い。
押し合いへし合いと言った感じで"駅"に辿り着く。
大層な"平等"なことだ。
店に着くと、開店準備から始める。
今日はミズキとユウキと言う子が加わり、昨日とはメンバーが少し違った。
挨拶もほどほどに、あの恥ずかしい衣装を着せられる。
デザインとしてはメイドの着るようなものなのだが、色が派手でだしスカートの丈が短い。過度に装飾が施されていて、それをみんな嫌な顔ひとつせず、それどころか喜んで着ている。
全く信じられない!
そして開店だ。
午前中の入りはそれほどではないが、昼が近づくにつれて徐々に客が増えて行く。
こんな奥に入り組んだ店で、よく人が入るなと思う。
入り口が人だかりになると言う事はないが、しかし入れない客を何人か断るようなことにはなっていた。
「はいコレ! 三番さんにねぇ」
アカリに皿を渡される。
私は「こちら、牛すじカレーとサラダ。あと、ジントニックになりまーす」と他の店員のように対処する。
カレーとは何だろう。こんな黒だか茶色だかはっきりしないどろっとしたものが、白いつぶつぶにまぶされている。しかし、香りだけは上等で、こんなに見た目と香りが相反する食い物はそうそうないだろう。
あんかけパスタ、鉄板ナポリタン、キューバサンド、チキンソテープレート。
次々に出ていく。
曰く、"悪魔的に美味い"と。
作ってるのは主に大賢者と勇者だが。
いつの間にか、人が列を作っている。
これはどういう儀式だ?
一段落すると、「賄いできたよ」と声がかかる。
出てきたのは、例のカレーだ……香りはいいのだが……
思い切って頬張ると、口の中で様々なスパイスが重層的に襲いかかってくる。
そして心地よい甘みと、深い深い味の重みのようなものが口内を満たしていく。
それから心地よい辛味だ。毒物的な辛さではなく、明らかに美味いと感じるタイプのそれであった。
肉はなんとも言えない食感。もちもちとしていて柔らかい。ほくほくとした芋や根菜。
白い穀物はこのソースに実によく絡まり、そしてこれ自体も噛めばよい甘みを呼ぶ。
完全に騙された。こんな珍妙な料理があろうか?
私が感動していると、アカリに「あなたって本当に美味しそうに食べるよねぇ」と笑われた。
何だか急に恥ずかしくなる。
「美味しい?」
「無茶苦茶!」
「ありがとう」
そして例の祈りを思い出す。
「ご、ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
また呪文だ。
「それってどういう意味?」
「美味しく食べてくれてありがとうって意味だよ」
アカリはにんまりしながら私の背中を叩く。
「午後も頑張ろう!」
午後はパンケーキやフレンチトーストと呼ばれる、牛乳と卵にパンを浸すして焼くという謎の料理がよく出る。
赤い実や小さな葉、冷たい牛乳からできたペースト、牛乳の脂肪分の塊、これまたどす黒いソースなんかを盛り付ける。それは妙に凝っていて、客はそんな皿に喜んでガラス板を向けている。
「真央ちゃん、誰も彼も持ってる、あのガラス板は何ですか?」
魔王様は含み笑いをしつつ、「あれはね……あらゆる情報にアクセスする端末だよ」と笑い顔で答える。
「嘘ですよね?」
私がイラっとした様子で答えると、「嘘じゃないよ。ちょっと大袈裟だけど」と笑った。
「スマホって言う端末だよ。世界のあちこちにサーバーって言う情報を処理する装置があって、そこに電気とか光で通信して情報を取ってきたり、情報を入れ込んだりするって感じかな」
私は素直に「よく分かりませんが……使っている人はみな雷や光の術が使えるってことですか?」と訪ねた。
「だから……この国は、使う意思と技術があれば誰だって道具は使えるよ」
魔王様は自分のガラス板――スマホと言ったか――を私の方に翳した。
そして魔王様は私の腰にぎゅっと腕を回し、そして頬がくっつくまで接近する。
「ちょっと! 真央ちゃん!」
私が抗議すると「笑って〜」と言う。
私は無視して「だから何なんですか!?」と顔を横に向けると、真央ちゃんは突然私に向き直し、そしてキスをする。
その瞬間、カシャリと言う、前にスマホを翳された時の音がした。
「ま! 魔王様!」
私は驚いた。そして叫んだ。
周囲の客は少し驚いたかも知れない。
魔王様は「撮っちゃったもんねぇ」と笑った。
「撮ったとは?」
そう言うと、魔王様はまた顔を寄せてくる。
私は驚いて身をのけぞらせた。
「そんなぁ。警戒しないでよ!」
魔王様は笑いながら、画面を見せてきた。
そこには私と魔王様がキスをしている様子が克明に描かれている。
「これはどういう魔法ですか!?」
キスという恥ずかしい行為よりも、この”撮った”と言う行為の方に驚いた。
「スマホの目が捉えた様子を、電気にして保存できるんだよ」
なんという巧みな技だろうか!? なんという繊細な術だろうか!?
私は驚愕した。
そして、自分の術なんて大したものじゃないなと思えてしまった。
「そうまぁ驚かなくても」
雷の力をそんな繊細に制御できる魔族なんて、世界広しと言えども存在しない。そして、間違いなく人間にもいないだろう。
「そんな凄いアイテム……誰もが持っているんですか?」
「誰もがってほどじゃないけど……まぁ大抵は持ってるね」
「私も欲しいです!」
思わず魔王様にすがりついた。
「そう言うと思ったよ。
買ってあげたいけど、ちょっと手続きが必要なんだよ」
「手続きってなんですか? ただ売ってるものを買うだけじゃダメなんですか?」
私は必死だった。
魔王様が、「まあまあ」と頭をなでていると、不意打ちに再び”撮られた”のだ。
私は音の鳴る方向に顔を向けると、オーナーが大笑いしていた。
「真央も悪い奴よな」
オーナーは魔王様に紙の袋だの何だのを手渡した。
「ありがとうございます!」
そう言って、魔王様はオーナーに抱きついた。
魔王様は私と席に座り、荷物を一つずつ説明する。
「これが免許証で、これがマイナンバーカード。
この国は、この国に住むすべての人を管理していてね。そこにアクセスする為のカードだよ。
まぁあんまり使うことはないけど、ないと困る事が多いからね。
きちんと、登録の方も……あまり大きな声で言えないやりかたでしてあるから安心して」
「国の全員ですか!? それは何人ぐらいいるんですか!?」
「うーんと、一億三千万人ぐらいだね」
魔王様はしれっと答える。
「そんな事が可能なんですか!?」
「まぁ……なんていうか電気の力を使ってね」
またしても電気の力。
電気の力がないと、何もできないのか……
私が少し嫌な顔をしていると、魔王様は言うのだ。
「何だって電気は使うよ、この部屋が明るいのも電車を動かすのも、作物を育てたり守ったりするのも、病気の人を治したり生き長らえる為にも、ご飯が腐らなく安全に食べられるようにするにも、なんでもかんでも電気を使うよ。
電気無しで暮らせてる人なんて、世界で見ても数えるほどしかいないんじゃないかな?」
魔法に頼らずに生きるようなものか……
そして、お待ちかねのガラス板……スマホも出てきた。
「色々大変だから、機能の大半を制限してます。
芹那ちゃんがもっとこの国のこととか、人間の事を理解できたら、もっとさわれるようにします!」
魔王様の顔は真剣だった。
「は……はい!」
そう言うと、様々な使い方を教えてくれる。
最初にやったのは指紋の登録だ。
指紋……この世界の人間は指の皺の形で個人を識別できるらしい。
「便利ですけど怖くないですか?」
「そう? 悪いことができないってコト?」
「何やっても自分に結びついちゃいますよね?」
「そうだよ。でも、悪いことしなければいいことじゃない?」
「魔王ともあろう人が、そんなこと言いますか?
だって、”悪い”だなんて人それぞれじゃないですか?」
「だから法律があるし、人の目があるんだよ。
差別の話したでしょ? そういう風に見られるのが怖いんだよ。この世界の人は」
なんだか世界の闇を見た気がする。
「でも、人が直接何かする訳じゃなかったら、気にしない人も出てきませんか?」
「それはそうだけど、そういう人は尊敬されないよ。
うーんちょっと違うな。ろくでもないような人にしか尊敬されないよ?」
尊敬されない……か。奥歯に物が挟まったような言い方だ。
「”いただきます”って言うのと同じ理由だよ。
この世の中は、大勢の人の仕事や成果のお陰で成り立っている。そういうものが自分には関係ないって思える人に、何かしてやりたいと思う?
自分は常に受け取る側、人が自分に何をしてくれても感謝しない。
そんな人に他の人は恩恵を与えないよ」
そう言うけれど、そんな単純なことにも思えなかった。
「でも……人間の国には税金だけ掛けて、自分からは何もしない貴族もいましたよね?」
いつだったか、貴族の屋敷を襲った時、人間に逆に感謝されたことすらある。
「でも、その貴族の首を刎ねたのあなたじゃない?」
「別に私は神でも王でもないじゃないですか?」
魔王様は頭を振る。
「そういう必然性に人はしがみつくものよ。
むしろしがみつくに値するという意識がなければ、この世界なんて、私達の世界よりいくらでも酷くなるもの」
人間には人間の法がある。罰せられるもの、罰せられないもの、明文化されないもの、されるもの。絶妙なバランスで成り立っている。
それ故にそこから外れるのを恐れるのだ。
何が起こるか分からないから。
否、分からないと言うことを知っているから。
「君はこれから……色んな人間を見ることになるよ。色んな魔族を見るみたいにね」
魔王様は悪い顔をすると、ニヤリと笑った。
「じゃあ」
私はそう言って、魔王様にくっついた。
そして、早速写真を撮ってみる。
上手い具合に自分に向けられない。
「ちょっと待って!」
と何度も言って方向を定める。
カシャリと鳴って、魔王様と二人っきりの写真が撮れた。
「楽しい?」
魔王様が試すような顔をする。
「楽しいですね!」
「それは良かった!」
そしてお仕事に戻る。
なんだか妙に張りが出たような気がする。
しかし、"正しい方法ではない"とは言え、国に登録されるのを嬉しがると言うのは何だろう?
もう、二度と戻れない――魔王様が諦めてしまった道なのだから、それは確かなのだろう。
でも、それでも、人間として生きることをそんなに喜んで良いのか?
自分の心の中に素直になりきれない部分があった。
心の中では嫌々やっているこの仕事でも、一応表面は繕っているつもりだ。
「美味しいよ!」とか「可愛いねぇ」と言う言葉に、「ありがとうございます」と答えているけれど、さて、これが何処まで自分のものなのだろうか?
私がこの世界の言葉を喋る事が出来るのは、特殊な術のお陰らしい。
つまり電気の力でもこの世界の人間の術でもない。
魔王様はこの術を、オーナーから会得したそうだ。
粗方の言葉は分かるが、あくまで共通の単語がある時だけだ。
地下鉄とかスマホとかは向こうの世界――正確に言うなら魔族語には存在しないから分からなかった。
逆に※※※※とか※※※※みたいな言葉は、この世界にはないので翻訳出来ないのだ。
私が人間とのコミュニケーションで詰まれば、誰かが助けに来てくれる。
だから特に問題は生じないし、そのお陰で語彙が増える。
悪い事ではない。
帰りはご飯を食べに行ったり、コンビニとか言う商店でなにぞ買って帰るのだ。
私の舌がいい加減な所為なのか、何を食べても美味しいし、なんでも好きになった。
電気ポットも電子レンジもすぐに使い方を覚えたし、小さなキッチンで何かしら料理らしいものも作る事もある。
そして今日は、私達の休暇だ。
私達の魔王様は客に貰ったプラネタリウムのチケットを取り出した。
「今日は科学館へ行こう」
魔王様の馴染みに市の職員がいるらしく、余ったチケットがたまに貰えるらしい。
店のある街から割と近くで、プラネタリウム自体は世界一の大きさだという。
さて、ここまで言われたところで、私はプラネタリウムがなんなのかよく分からなかった。
世界一の大きさと言われてもなぁと言う感じだ。
それでいつものように化粧をして、着飾って外へと出掛ける。
この世界には曜日という周期があり、我々が花の日、空の日と言っているのと同じようなものだと言う。この世界の大抵の国は七日周期で今日は水の日らしい。
我々の暦にも水の日があり、人間どもは水の入った盆を机の上に置く習慣があるなどと言っていたのを思い出す。だが、この世界には特にそう言う習慣はないらしい。
一般的な人間は、土の日と太陽の日が休みだと言うが、余暇施設であるところの科学館とやらは、案外人がいるのが分かる。
魔王様は受付で招待チケットを渡して、何やらやり取りした後、別のチケットを手に入れた。
チケット、チケット言っているが、紙切れであるのに変わりはない。
高額な貨幣は紙になるし、道端で渡されるチラシと言う印刷物も紙、我々の店の宣伝に使うのも紙、荷物を入れる箱まで紙で出来ている。
前の世界でも人間が発明した紙はかなり便利な発明品ではある。しかしそれでも安い品ではない。それがこの世界ではこんなに使われているのだ。
紙は木材から作ると言うから、どれほどの木材が使われているのか分からない。
この国が幾らか湿潤な地方であるとは言え、これほど紙を使ったらはげ山だらけだろう。
私がそんな話を話すと、「この国の人間は紙を再利用するんだよ。一回ドロドロに溶かして、汚れを洗って、そして新しい紙の原料と混ぜて……」と、勇者がいちいち教えてくれた。
この施設は、この世界の魔法体系であるところの科学の教育施設だと言う。
電気がどのように作られ、使われるか、それらにはどのような原理が存在するのか、説明と遊具で構成されている。
尤もこっちが真剣にその内容を読んでみると、子供がやってきて邪魔をする。
イラッとしながらも、二人に話を聞いてみる。
二人が答えられることもあれば、答えられないこともある。そんなときに出てくるのがスマホだった。
全体的に根本の説明になっていないが、しかしイメージしやすいのは確かだった。
物体は小さな粒の集まりだとか、全ての生き物は、そうした粒の集まりが規則正しく並ぶことで、自らの設計図をこの身に宿しているとか、その設計図も持った小さな一つ一つの部屋がいくつも集まって、動物を作っているのだとか。
冒頭の粒ももっと小さな粒の相互作用でできているし、それらがたかだか三種類の力に還元され、或いは実際は一つの絶対的な法則に還元できるのではないかとも言う。
そしてそう言った構造と法則が、この世界、大地から天空まで普く空間で成り立っているのだという。
そして、プラネタリウムはその天空の構造を説明してくれるのだ。
巨大な丸天井は、聖堂のようにも思えたが、球面部分がずっと地面に近い。
中央に珍妙な機械があり、真っ白な丸天井に席の位置や注意事項などを投影していた。
これも電気の力なのか。
機械を取り囲む座席は、安楽椅子のように自分の姿勢に合わせて倒れ、左右にも自由に振れる。
暗闇が訪れて説明が始まると、この椅子のお陰で天球全てを見られるようになっていると説明される。
方角と今日の日没時間、最近の天体的なイベントの説明が始まった。
この大地は球体をしていて、それが太陽を中心に回っている。
月は一つ、地球の周りを回っている。
我々の世界には、大きな月と小さな月がある。
この星の大潮は、満月と新月の二回だが、我々の世界のように月が二つあると複雑になる。
この複雑さ故に海に出る者には大きな困難が待ち受けるのである。
暦は多くの地方で大きな月を基準にしているけど、人間の貴族や僧侶は小さな月が基準にすることがある。大きな月は一年で15.13周、小さな月は一年で2.49周する。大きな月の暦は閏月と閏年が複雑で、小さな月の暦は閏年が割と単純だ。
しかし、種まきの季節だの刈取りの季節だのを知るには、大きな暦のほうが何かと直感的なのだ。
この世界のこの星は、月と地球と太陽の関係の単純さ故に、科学を産んだのだろう。
説明はわかりやすくも興味深い。
この国の様々な地域の神話を交え、そして最新の観測結果や天空を突き抜けて飛ぶ船による話も出てくる。
五十分の投影時間はあっと言う間だった。
私はすっかり興奮してしまった。
魔王様は「芹那は学者肌だからねぇ」と笑い、私は様々なことを学びたいと思った。
魔王様曰く、「この世界のことを正しく知るのに一番便利なのは学校の教科書だよ」とことだった。
教科書にしても科学にしても、完全な正しさではない。なるべく正しい事実でしかない。
これは重大なことだ。
ここで「これこそが真に正しいのだ」と言う言葉が出てきた時、その正しさを誰が証明するのか?
それぞれの知識が、意味が、証拠が、それぞれの根拠になり、それぞれを縛り付けている。
地に働く力と天に働く力とがそれぞれ無矛盾に釣り合っているからこそ、力学の”概ね”の正しさを証明している。
微に入り細を穿つ実験と観察が、それらの”概ねの”正しさを証明している。
絶対的な正しさは孤独な存在だ。他の誰かがそれを担保してくれない。だからこそ怪しいのだ。
教科書に書かれるのは、”概ね”の正しさの積み重ねだ。
だからこそ、算数も国語も社会も理科も全部が等しく重要なのだ。
教科書は図書館に取り揃えられていると言う。
「ご飯を食べたら図書館に行こうか」
魔王様に誘われて、私達は科学館を出た。
「折角だし、お寿司行こう!」
魔王様の提案に勇者は喜んでいる。
私達の街から一駅前で降りて、少し歩いたところにお店があった。
珍妙な店である。
ここも大きな建物に寄生して店が入っている。
中に入れば、客席の前を小皿料理を乗せた皿が行き交っている。
合理的であるが……
席に置かれたスマホの大きなやつを手にとって注文をする。
写真を見ても何が何やらなので、魔王様のおすすめを食べる事にした。
「真央ちゃん……このお米の上に乗っているものは何ですか?」
「魚だよ? 生のね」
流石に冗談だろうと思った。
この世界のどこに生魚を食べる人間がいるのか? 私はマーマンではないぞ!
そうやって私は二人に「騙されませんからね!」と、二人に言い放った。
二人はそれを笑いながら聞いているのに腹が立った。
あっという間にその小皿が届いた。
これが寿司か……確かに何か生の肉でもない謎の食材が載っている。
「だから生魚だってぇ」
魔王様が笑いながら見ている。
「私食べませんよ! いくらこの国の食事が美味しいって言っても、生魚なんて!」
「生魚を食べないと言う事は、君はマーマンの文化を理解する気がないと言っているようなものだぞ? それはマーマンを見下すことになりやしないだろうか?」
魔王様が無茶苦茶なことを言い出した。
「私は道に生えている草を食むことはないですが、牛を見下したことはないですよ?」
「そうか……そうか……
じゃぁ、これはどうだろうか?」
魔王様は勿体付けながら言う。
「実はマーマンは寿司を食わない」
「そ……そのさっき言ってたことは何だったんですか?」
「忘れろ」
何もかもが無茶苦茶だ。
「マーマンが好きとか嫌いとか無関係に、私は生魚なんか食べませんからね!」
魔王様と勇者は顔を見合わせて「じゃぁ、二人で食うか」と、透き通ったルビー色をした魚を口にした。
「うまーい!」
申し合わせたように喜んでいる。
わざとらしい。
それからオレンジ色の魚とか、真っ白な魚とか、貝とか魚卵とかを見せつけるように食べる。
魔王様と勇者は「これ、頼んじゃう? 頼もうか? 二人で食べよう」と何やら高そうな皿を選んだ。
ずるい! ずるいぞ! こっちは一口も食べてないのに!
届いた皿は、一皿に一つだけしか載っていなかった。今まで二個セットなので、同じ値段としても実質倍の値段だ。
その魚はピンク色をしていて、脂が載っているようで、醤油は弾くように滴った。
二人は私に見せるように大袈裟に食べ、そして大袈裟に喜んだ。
二人は「もう一個頼もうか?」と話している。
完全に私は蚊帳の外。
「あー、こんなの食べられるなら、マーマンと友達になってもいいかも!」
勇者は臭い演技を見せてくる。
「あー、一人一つまでみたいだね……どうしようね? 芹那の分頼んじゃって、じゃんけんで決めようかな?」
「私、負けませんよ!」
あーあーあー! 二人がじゃれついてる!
ムカツク、ムカツク!
そして件の寿司はすぐに届いた。
私は掠うように皿を取り、そして醤油を掛けて、一気に頬張った。
「うまい……」
脂身が口の中で溶け、そして、魚の凝縮された美味しさが口の中に広がった。
ずるい……こんなのずるい!
私は端末を掴むと、手当たり次第寿司を注文した。
魔王様はその様子を見て大笑いしている。
「マーマンになっちゃうよ?」
「私がマーマンになるなら、魔王様はダゴンですよ!」
そして私の頼んだ寿司が届くと、追ってどんぶりが二つやってきた。
「回転寿司のラーメンって美味しいよね!」
早く言え!!!!!!!!!
お店を出てからバスと言う、道を行く乗り物の一つに乗る。
電車の小さいタイプかと思えば、少し違うらしい。
電気を作るのにも使われる石油を燃やしているそうだ。
かまどぐらいの大きさの"エンジン"で動くらしい。かまどとは大違いだな。
もっとうるさい乗り物かと思っていたが、存外乗り心地は良い。
幾つか止まり、そして走り出すを繰り返す。
バス停、信号、信号、バス停。そんなのの繰り返しだ。
暫く乗って、そして降りたところから少し歩けば図書館だ。
図書館。どんな高貴な人の施設かと思えば、割と間口は明るく広く、そして実際年寄りも子供も気圧される事もなく自然に入って行く。
「区の図書館だからそんなんでもないけど」
そう言って入れば、目の前には本棚ばかりだ。
勿論、魔王城の図書館に比べればこんなものは児戯も児戯。だが、逆にこれに相当する施設は前の世界にどれほどあっただろうか?
同じ市内に大小二十以上の図書館があるらしい。
知識とは財産であり、書籍は実際に高価な財産である。
前の世界では、紙が発明されてから羊皮紙よりもずっと価格が下がったとは言え、一冊の本を作るには、或いはその写本を作るのにどれほどのお金が必要だろうか? どれだけの知識と時間が必要だろうか? それがこんな簡単に、しかも無料で解放されるだなんて!
「魔王様! こんなの盗んじゃう人とかいないの?」
私は興奮していた。
「真生ちゃんな……」
と断りつつ言う。
「芹那が思うよりも紙の値段も安いし、紙を大量に複製する技術があるからね。だから本は思ったより値段はしないよ。
まぁ、安いものでもないけど」
私は震えつつ、本棚の間を巡る。
オーナーの術のお陰で、この国の文字が読める。
そうだ、科学館で気付くべきだった。読めるのだ。
文字が読めるというのも一つの特権だ。
それ故に本は高貴な人の財産であったのだ。
そして気付く。
「真生ちゃん……ここの人達はみんな文字が読めるの?」
魔王様は笑いながら言う。
「そうだよ。この国の識字率は殆ど百パーセントだよ。
まぁ、本当にその内容を理解しているか怪しい人間は多いけど……一応、文字が分かると言う意味では、この国の殆どの人が文字を読めるね」
とんでもないことになった。
うっかり自分が書き起こした事が、うっかりと人に見られてしまうのだ。
これは危険な事ではないか?
「今の政治家がどこまで考えているか分からないけれど、国民がベースで持っている知識が高ければ高いほど、その上にいる人達の知識も高くなるんだよ。
裾野が広い分野の方が、トップの力は強いんだよ。
少なくとも、数十年前まではそれが国是だったし、実際にそのお陰でこの国はずっとずっと強くなったんだよ」
私はこの婉曲な言い方に違和感を覚える。
「今は違うのですか?」
「さぁ、どうだろうね?」
そう言えば、勇者がいない。
魔王様は「勇者なら料理本のところにいるんじゃないかな?」と言って、私を教科書のコーナーに連れて行く。
教科書には様々な教科があり、しかもいくつもの種類がある。
同じ年齢用の同じ教科でも複数あるぐらいだ。
十歳そこそこの算数の教科書を見て「これって全ての子供が習うんですか?」と尋ねる。
「そうだよ。一応、みんな答えられるってことになってるよ」
魔王様の言う事がなんとも歯切れが悪い。
「なっているって?」
そう言うと、魔王様は淋しそうな顔をした。
「どんな世界でも、落ちこぼれはいるからね。
それをきちんと使える人材にした方が、世の中の為になると思うけど、そう言う人間は堕ちるに任せる方が嬉しいってタイプの人が多いんだよ」
「何処の世界もそうなんですね」
「私もこの世界では落ちこぼれの方だよ」
「そんなことありません!」
そう言うと魔王様は「図書館では静かにな」と指を唇に置いた。
魔王様は静かに話し出す。
「十年かかった……
紗々が来てから十年かかった。
その間、私自身、何も成果らしいものがなかった。
暮らしぶりが良くなることもないし、日々の仕事はいつも通りだ」
魔王様は十五年前にこの世界にやってきた。そして、何とかして誰かを救おうと召喚術を研究して五年で勇者を呼び寄せた。
しかし、それから全く成功しなかったらしい。
「芹那を呼び寄せる手がかりを掴むのに五年。実際に呼べたのが五年だ」
私は言葉を失った。
そして、魔王様がそこまで私を思っていてくれたなんて。
「魔王様、何故私だったのですか?」
「一つは偶然かな……研究をしていて、手を伸ばすヴィジョンが見えたんだ。芹那が手を伸ばす」
魔王様は、神秘主義じゃないと断りつつ、それがどうしても気がかりだった。それに私以外の手がかりは見つかる気配すらなかったらしい。
「芹那が来てくれて嬉しいよ。少しはコツが分かったかも知れないし」
その寂しそうな顔に、私はいても立ってもいられなかった。
「私もお手伝いします!」
魔素の少ないこの世界では、術式自体を工夫しなければ、小さな炎さえ作るのは難しい。
初歩的な魔法は、単純な術式を積算して所定の効果を上げる。そして、これは十分な魔力と魔素が存在していれば、いくらでも複雑にすることができる。
だが、魔力も魔素も希薄な状態でこんな正攻法は使えない。
そもそも単純な魔法と言うのは何かといえば、世の理に干渉する魔法だ。
十分に単純な魔法はその習得も容易と言うわけである。
魔法体系とは、この初歩的な魔法をどのように作るかと言うところで分類される。
よく知られる一般体系や、補助体系、高速体系などには、その世界の外側にアクセスすることが原理的に不可能だ。
つまり、世界の外に干渉するならば、正確に言えば特定の世界に干渉するには、この基盤部分をこちらとあちらを組み合わせる体系として作り上げなければならない。
つまり一般的とは異なる方法で干渉するとなれば、過去に膨大に積み上げられた体系を一旦白紙にして考える必要がある。
召喚魔法と言えば、普通は同じ世界のものの移動だ。
それを二つの世界で行うには、こちらの理の破れを使って、向こうの世界の理の破れに干渉し、その上で召喚魔法を使うということになる。
これは口で語れば簡単なことだが、理の破れは言わば禁制状態であり、その発生確率は極めて小さい。それを魔法によってかき集める必要があるわけだ。
つまり、その確率のかき集めを二度行う必要がある。
例えば一つの六面ダイスで任意の目を出すには六分の一の確率になるが、これを二つのダイスで行うには三十六分の一になる。
問題はそのダイスの目が膨大な数なのだ。
薄い魔素、弱い魔力でこれを引き寄せるには、天才的な発想が必要だ。
そして、それを可能にしたのが魔王様だった。
ただ、あくまで確率の引き寄せでしかないので、ハズレが非常に多い。
それをなるべく解決する方法として、引き寄せられそうな人を探す魔法と、実際に引き寄せる魔法を別体系で組むと言う事をしている。
体系を一から組み直すなんて芸当は、常識的には沢山の学者と魔法使い、魔道士が一つずつ組み上げていくようなものだ。
魔王様は、引き寄せる方を五年で完成させた。
そしてその方法で偶然にも勇者を引き当てた。
しかし、それはあくまで勇者が世界の理の破れに近い存在故である。
魔王様は再考し、そして人を探す魔法を手に入れた。
それに五年掛かっている。
魔王様がこの世界に移って、そして私がこの世界に移るまで十五年掛かっている。
しかし、向こうの世界ではたかだか五日間の間の動きだ。
しかも、勇者が政争に負けたのは魔王城での一件のあと二十年経っているという。
明らかに時間軸も狂っているのである。
そういうわけで、私が偶然に理の破れに近かったと言うだけの理由で、私はこの世界に引っ張り込まれた訳である。
しかもその間に五年の月日が必要だったのだ。
私と魔王様は、術式の改良に取り組んだ。
尤も、可読性のない術式ゆえ、その全貌を理解するのにどれほど時間がかかるだろうか?
難しい。
難しいが取り組まなければならない。
この魔法に使う触媒は、硬ければ硬いほどよいらしい。
色々探していて、確率の向上と価格のバランスが取れているのが、キュービックボロンナイトライド(CBN)だ。
本当は透明度の高い天然ダイヤモンドが一番いいのだが、魔法に適したダイヤモンドは一概に高いのだ。
ダイヤモンドは透明度と大きさ、そしてカットによって決まる。
カットはともかくとして、前二つは必須条件だ。しかし、それを毎回毎回使い捨てるほどの財力はない。
勿論、魔王様が仕入れている工業用のCBNだって、決して安いものではない。
自然、魔法の試行回数は少なくなるのだ。
「芹那、今度、魔法を試してみるよ。一度どうやるか見たほうがいい」
そう言って、次の休暇を待つことになった。
とりわけ日常が変わる訳では無いが、魔王様は一時的に魔力を増大させる魔法の準備をしている。
勿論、上限もその効果時間も限られたものだが、少しでも確率を上げるには必要なことだ。
朝早めに起きて、魔法を自分に掛けている。
まず、私がしなければならないのは、この世界で、この魔法を覚えることだ。
まだ自分が生まれてすぐぐらいの頃を思い出す。
小さな魔力、少ない知識。そのなかで一歩ずつ魔法を学習したことを。
特別なことはない。
そう。特別なことはないのだ。
さぁ、覚え直そう。
焦る必要はない。
どうやらこの世界で私達は歳を取らないようだし。
魔王様はこの世界とも、前の世界とも言えぬ呪文を使い、魔力をCBNに集中させる。
私と勇者は手を繋ぎ、魔力を供給する。
魔王様の魔力上限が上がっているので、スムーズにCBNが励起していく。
見た目は変わらないが、明らかに世界の理と衝突している。
表面が昇華していっているのが分かる。
こんな大掛かりな魔法が、こんな卓上でできてしまうのは、やや滑稽だが、わたしたちの非力さを考えるとこれが精一杯だ。
勿論、CBNの大きさの問題もあるけど。
魔王様は完成した魔法で世界を探っている。
ここまで来ると、あとは祈るしかない。
私と勇者は、魔王様の手を握り続ける。
効果が切れるまで時間は限られている。
CBNから溢れた"情報"を魔王様に向けるように、私達は魔力の壁を作る。
それは貧弱な壁だ。
いくつかは押し留められ、多くは私達の目の前を過ぎ去り、すぐに意味消失する。
魔王様は消え去る前の”情報”を拾い、精査する。
一つずつ静かに丁寧に。
CBNが砕け散るのは一瞬だ。
そして、その一瞬で実験は終わる。
魔王様は頭を振った。
「なかなか上手くいかないものだね」
それはとても複雑で難解な術式だ。
しかし、複雑ではあるけれど、基盤となる術の魔力消費が少ないので、この状態で術が使えるのだ。
勇者は魔力ソースにはなれるけど、魔法使いでもなんでもない。
魔王様は「ようやく術式の話ができる」とほくそ笑んだ。
私達の日常は仕事と研究、そしてこの世界に慣れることでいっぱいいっぱいになる。
高純度のCBNだってそんなに安いものではない。
窒化ホウ素自体は別段手にいられれない存在ではない。問題はそれを高純度な立方晶に仕上げることである。
それはとても私達の手に負える仕事ではなく、専門の業者さんに頼んでいる。
当初、謎の女の子が高純度のCBNが欲しいと言って、かなり怪しまれたそうだが、最近は”実験”にも理解があるようだ。
実際、私の引き寄せに成功した一因は、純度が一桁上がったCBNだからだ。
”魔力効率”としては、天然ダイヤモンドに比肩するレベルだと言う。
魔法、仕事、毎日のこと。
それだけで手一杯だ。
魔法のことを考えた末の、店の仕事は、少しばかり癒やしにもなっていた。
魔王様は息抜きも用意してくれるし、何も不自由はない。
三人の生活は不満どころか、前の世界よりもずっと豊かな生活ができている気がする。
前の世界ならば、戦いのこと、組織のこと、様々なことを考えなければならないからだ。
この世界では、一人の女の子として生きていく事ができる。
勿論、人生に不満を抱こうと思えば、いくらでも不満は出てくる。
そういう不満と正面切って戦う人生もあるだろうし、部分的に言えばそうすることが人生を開拓する手立てにもなるだろう。
だけれど、どうしようもないこと、そうしたからと言って、何も立派なことではないことに必死になっても、むしろ自分の窮屈さをより感じるようになるだけだ。
お金に不満があるならもっと働くか、別の働き口を探すしかない。否、もっと賃上げするように雇用者と戦うこともできるだろう。
後者は後者で立派なことかも知れないけれど、それで自分が億万長者になれるかと言えば別だ。
それと同じようなことだ。
世間に必要とされる事と、自分が自分を愛することは常に一致しているとは限らない。
私達は私達の仲間が少ないのだと言うこの一点で、この世界に不満がある。
だからこそ召喚を頑張っている。
何か御大層な運動をして、社会問題にすべきと言う考えもあるだろうが、そんなこと、誰が支持するだろうか?
私達は私達にできる事で、やれることをやって生きていくしかないのだ。
日々は過ぎていく。
三人仲良く暮らしているし、同僚とも仲良くやれている。
仕事は面白いし、日々は快適。
あぁ、これはひょっとして我が世の春かも知れない。
ただ、自分の大好きな人が望んでいる挑戦を、私は全力で支える約束をした。
だから、私は魔法の研究を続けている。
「じゃぁ、始めようか」
魔王様が集中を始める。
その時、部屋のベルが鳴った。
私は無視してもいいと思ったけど、魔王様は「まだ励起してないし」と言って玄関へと向かった。
新聞の勧誘だろうか? ミネラルウォーターの営業だろうか?
無駄な事に時間とお金と労力を使って大変な事だ。
暫く話し込んで、魔王様は戻ってきた。
「やめよう」
私も勇者も驚き、そして必死で訳を尋ねる。
魔王様は「この世界にも、この世界なりに色々あるみたい」とあっさりと答えた。
そんなのに納得出来る筈もない。
魔王様は「焼肉に行こう」と私達を誘った。
本当なら嬉しいことだけど、全くそう言う気持ちにならなかった。
「さっきの人は、国の然るべきところから来たらしい。
全く誤算だったけど、こちらに何らかの質量が移動してくると、等量の何かが消えるそうだ。
紗々が来たときは道路の陥没。芹那が来たときは走行している自動車の一部が切り取られたらしい。
今の所、それが原因で死者は出ていない。
だけど、その切り取られる空間が人の居るところだったり、飛んでいる飛行機だったら大変な事だ。
だから……だから、これはこの世界とは相容れないことなんだ。
私としても、この世界と敵対してまで仲間を増やす事はないだろう。
私達の挑戦はここでお仕舞だ」
昼日中から飲み放題コースでお酒を飲んだ。
三人してガバガバとキウイハイとかおろしりんごハイとか飲んでいる。
魔王様がやらないと言うのだから、これ以上やれる事もない。
私達がどう思おうが、魔王様はやらないだろうし、術式を完全に理解している訳でもない私がこっそりやる事も出来ないだろう。
勇者は「真生ちゃんがそう言うならそれでいいよ」と淋しく言う。
私は……何と答えればいいのだろうか?
魔法の研究は前の世界でも私のライフワークみたいなものだ。
それなしでどうやって生きていくべきか? どうしていくべきなのか?
私はなにも考えられなくなった。
「芹那? 芹那! 大丈夫!?」
魔王様に抱きかかえられて漸く自分が泣いているのに気付いた。
「どうしたらいいか分かりません!」
「どうしようねぇ……」
魔王様が優しく語りかけてくる。
「魔法がなかったら、私達、どうやって生きていけばいいんですか!?」
「みんな魔法がなくてもなんとか生きているんだよ!?」
魔王様が私を揺さぶる。
「でも! でも!」
「新しい道を探そう……」
何が何かよく分からない。
でも、その言葉が口から出任せとは思えなかった。
それから数日、お仕事は惰性で続いていた。
オーナーっからも「もう少しシャキっとせぇ」と叱られた。
でも、こんな気持ちで仕事に身が入るでもない。
勇者は切り替えが出来ているみたいだったけど。
召喚魔法と言う目標が途切れて、私は完全にもぬけの殻だった。
何の為に生きればいいのだろうか? この老いない身体を抱えて。
ただただ世間に流されるままに生きていくしかないのだろうか?
次のお休み、魔王様はちょっと「出掛けよう」と私達を連れ出した。
電車を乗り継いでやってきたのは、大きな公園だった。
そこには沢山の屋台が並び、見慣れない地名の幟が立っている。
どうやらこの国の各地方の名産品を売るお祭りのようだった。
「これで……ニホンの地名を学べと?」
魔王様は「そんなところだよ」と言いながら含み笑いをしていた。
「おっ! そろそろ舞台の時間だな?」
私は魔王様と勇者とで手を繋いで人混みを掻き分けた。
広場には特設の舞台が用意されていて、各地方のPRを行う場になっていた。
地元アイドル、地元のキャラクター着ぐるみ……そんな中で、ご当地ヒーローが登場していた。
お芝居自体に何か魅せられると言う事もない。
別に何か感動する事もない。
ただただ、そう言うのもあるだろうぐらいに思っていた。
「ねぇ、私達でああいうのやらない?」
正直、乗る気はなかった。
だが、魔王様が何かをやらなきゃと言う意思の中で、一つ選んだものを簡単に否定など出来なかった。
勇者は「じゃぁ、私、毎回倒しちゃうよ!」と喜んでいるし、二人がそうならそれでもいいか。
それから常連の何人かを巻き込んでお芝居をすることになった。
練習するためのスタジオを借りたり、舞台に使う挿入歌を作って貰ったりと、再び余裕のない生活に巻き込まれている。
それでいい。それだからいいと思える自分がいる。
最初、私は気晴らしだの、自分のモヤモヤを誤魔化す為に芝居の練習をしていた。
魔王様は真剣だし、勇者もしっかりやっている。
その姿を見て、私もいい加減にやっていたらダザいなと思ってしまった。
それからはずっと身を入れて練習するようになった。
お店側もバックアップしてくれて、商店街の大きなお祭りで一つ舞台を用意してくれた。
お芝居は魔王と側近のちょっとしたコントと、勇者がやってきてからのドタバタ劇と言った感じだ。
散々練習したし、シナリオも十分に練った。
やれる。私達ならやれる!
しかし、現実になると信じられないぐらいコチコチになってしまう。
魔王様と勇者は肝が据わってるなと思った。
笑うところできちんと笑いが起きて、ラストで歌を歌うところでは手拍子も聞こえた。
こんなことがあるのか?
初めての経験だ。
お芝居はたかだか十五分程度なのに、もう一時間もやっていたような気分になった。
そして興奮した私は「真生ちゃん! 凄い!」と抱きついたのだ。
私達の舞台が、プロの仕事として一角のものかと言えば全くそんなこともないが、しかし観客は優しかったし、この姿でも握手を求めて来る人も沢山いた。
何か、やっとこの世界に馴染む事が出来たような気がした。
それが人間の姿ではないときと言うのがやや皮肉めいているけれど。
それから、お店の他の子もたまに合流してくれて、地元のイベントにも少しずつ誘われるようになる。
有名になると少しばかり面倒臭い人間も出てくる。
素顔を知りたいとか、着ぐるみを見たいと言うような、人の隠しているものを見たがる本能みたいなものがくすぐられる。
それは恐らく人間の本能だ。しかし、多くの人は自分の責任と天秤に掛けてそんなことをしない。
でも、そういう感覚の鈍磨した人間――人の努力を馬鹿にして、勝ったつもりになるだけで、そう言う人間よりも自分がご立派であると錯覚した人間――努力が無駄だと証明することで、自分が努力をしてこなかったことを肯定できると思っている人間。
そう言う人間が無遠慮に他人の領域に踏み込む。
多くの人間は、そうした人間を見下すだろう。しかし、更に見下げ果てた人間と言うのは、そう言う責任感も正しくあろうとする意思もない人間が解き明かす"真実"を喜んで受け入れているし、そういう人間を増長させて喜んでいる。
私達がつまらない小娘だと言う事を知ったところで、何になる訳でもない。
でも、それを知るための不法行為を見ていて喜ぶ人間がいる。警察でも呼ばれればお祭り騒ぎだ。
迷惑な人間と、それを見ていて喜ぶ人間は、言わば共犯関係だ。
そうやって世の中で一生懸命生きている人を馬鹿にすることで、自分のつまらない人生をいくらかマシに見せる効果を狙っているのだから。
上から目線で"評価"してる人間もそうだ。
何か作り上げると言う事を低く評価することで、自分が何も作らないでいることを肯定したいのだ。
素人のお芝居だと言うのは理解しているけど、それが努力しない理由にはならないだろう。
色んな人達が私達を見て、努力しているとかしていないとか簡単に評価するけれど、絶対的なものが分かる訳じゃない。
努力したから成功する、成功したものを指して努力したと評価する。
幾らでも言い様はある。
努力が実を結ぶかどうか、どの程度努力出来るか、努力を阻害する環境が周りにあるかどうか。
努力と成果の関係は、単純な相関関係ではないし、努力そのものが単純な変数ではない。
しかし、だからといって努力をする以外の選択肢はあるだろうか?
魔法にもお芝居にもお店の接客も、近道や裏技なんかはない。
日々の生活。会社や学校での仕事や勉強。
それを馬鹿にして、得意気になったとしても、貴方自身が何か立派な者になることはない。
私と言う存在が、世間と比較して、どれほど価値の低い物かは分かっている。
だけれど、今の自分は過去一番に価値の高い状態であろうとする。それだけで自分の人生に満足出来るのだ。
自分の人生を自分で評価しなければ、すぐに人と比較したくなる。
それが人間だ。
お芝居を通じて、散々そう言う人間を見てきた。
私にとって幸いなのは、前の世界で努力して、魔族の中でそれなりの存在になれた事である。
その経験があるからこそ、自分は自分の誇りを持てている。
世間的には、リアルな女クリーチャーと、やたら剣さばきの良い女がコントをやっていると言うシュールな紹介をされるけれど、概ねお客さんの反応は良い。
先に話した不法者に対して、こっちが上手く対処しているのを逆に動画にしてやると、向こうは顔を真っ赤にして抗議してくるのだ。
挙げ句、「自分がされたら嫌な事をするな」と言うのだから笑える。
この一連のやり取りがバズったお陰もあって、余計に名前が売れてしまったこともある。
タマキとユイが何だかんだと揉めた挙げ句、でっぷりしたお腹に抱きついて終幕みたいなオチも大いにウケたりした。
魔王様が杖を使って勇者と大立ち回りしたと思えば、「完全に見切っているな!?」「お前の事はよく見ていたからな」「ちょ……いきなりそんなの照れる」みたいなやり取りする。
他のご当地ヒーローやご当地キャラと絡んでコントしたり、お芝居の仕事も楽しくなっている。
仕事として成功しているかは、この際どうだっていい。
普通にご飯を食べて、仲良く眠れる部屋があって、そして友達がいる。
それに仕事が楽しいともなれば、殆ど必要なものは揃っているようなものだ。
「真生ちゃん、紗々……ありがとうね」
「いきなり何を言ってるの?」
「芹那は夢見がちだからね」
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