2013年6月21日金曜日

艦これ~沈んだ世界から 第二話

「提督が戻ってきたよー!」

 子日の甲高い声が、鼓膜を遺憾なく刺激する。


 停泊した日から数えて三日目。

 外交官が"実"的な活動をしている現場に、未熟な軍人は不要だ。

 僕のスケジュールは、次第に散発的になっていった。


 叢雲の士官食堂に足を踏み入れると、屯していた三人が出迎える。

「それで、お土産は?」

 子日が、まんまるな目で訴えかけてくる。

「悪い。寄り道は止められているんだ」


 自動車の窓から見えた、異国は、それほど彩りのあるものではなかった。

 記者会見やらパーティやらの開かれる立派な街並みと、民衆の暮らす下町とは、明らかに世界が違っていた。

 通り過ぎる官庁街、オフィス街は西洋式のビルが立ち並び、そこに何処かしら東洋的な意匠が見え隠れするという具合だ。

 街の規模や活気を見ると、我が国よりも西洋的な印象を残した。

 一方、低層の民家が密集する区画を掠めると、噎せ返る生活感――人の命を奪ってでも生きるという種類の生存感――が溢れかえっている。そうした土俗性に心惹かれるモノは確かにあったが、通常礼装で立ち入るべき場所ではない。

 仮に何処か、お土産を買えるようなところに立ち寄れたとしても、僕にはこの国で通用するお金を持っていないのだから、どうしようもない。


「あんたって、本当に使えないわねぇ」

 はいはい、幾らでも言えばいい。僕には、言葉の通じない世界で堂々とやっていられる度胸なんてない。

「提督、誠意を見せてくれないと……」

 流し目の如月さんは、見た目の幼さにも関わらず、ずっと色っぽくて、僕からすると極めて恐ろしい存在となっている。

 そうなると、叢雲さんが黙っていない――事はなかった。

 苛立ちの色を隠すことは出来なかったが、何かを言うと、自分が余計に惨めに感じるのか、何も言わずに僕のみぞおちに一発食らわせて、部屋を出て行った。


 苦しみにもんどり打って、数十秒。

「提督ぅ、大丈夫~?」

 子日は、ピンクのお下げが、何処かしら性格を主張しているような子で――顔を上げれば、スパッツが目に入る。

 彼女のワンピースの丈は短く、しゃがんでいる所為もあって、腿がむっちりと強調される。"悪意"がないだけに、尚更鮮烈に脳裏に焼き付く。

「ふ、二人は?」

 僕のうわずった声では動揺を隠せないが、彼女はそんな事を気にする様子もなく、あっけらかんとして答える。

「二人? 帰っちゃった」

 彼女の声は、頭の上と鼻の頭の中間ぐらいから発声しているんじゃないか? 二つの攻撃に混乱した頭で、深く考えるのはよそう……特に艦娘の事については。




 大体、艦娘自身、自分の事をよく分かっていない。

 総司令部からの命令もあって、何度にも渡り聞いてみたが、これと言った記憶はないのだと言う。

 ただ、気が付いていたら、海を漂っていた――はっきりしているのは、給油がなければ、燃料切れを起こして、漂流して、そして深海棲艦の餌になるのだと言う意識だけだ。

 漠然とした意識。人間を求める心と、深海棲艦を恐れる心の二つだけを頼りに、彼女たちは人間を捜し求めていた。

 そのようにして近づいては、漁船に逃げられると言う事を繰り返した。

 あの日は、殆どラストチャンスだったと言う。


 だから、他の娘が現れる可能性がある。

 実際、彼女たちは姉妹達の存在をおぼろげに憶えている。

 姉妹? グループ毎に作られたのか?

 謎は深まるが、その事を深く気にしないって事が、この一年間、僕と彼女たちが身に付けた処世術だったのだ。




 処世術と言えば、僕は、彼女たちとの出逢いを境にして、随分と臆病になった気がする。

 それまでは、金が稼げなければ、死ぬしかない、どうせ死ぬなら、危険な仕事をしようという、荒削りな蛮勇を持っていた――ああ、これは僕の言葉ではなく、例の漁船の船長の話だ。


 僕の立場は不安定だ。

 言ってみれば、僕と同じ体質で――そして僕より優秀な人間が現れれば、僕はよくて補欠にしかならない。

 そして、国にとっても、三隻の艦娘と僕、大井参謀の三要素は、難しい存在だろう。頼り切るには頼りないが、頼らざるを得ない。

 僕は、彼女たちの可愛さと、自分の可愛さに気付いてしまったのだ。

 やめよう。どうしようもない事にあれこれ頭を使うのは――流されてしまった以上、下流まで一気に流された方がいい場合だってある。




「折角だから、街の様子ぐらい見たいかな……」

 夕食の頃、如月が呟く。

「こんな所に缶詰にしたままで、出航だなんて考えていないでしょうね?」

「え? どっかに行くの? 子日も! 子日も!」

 当然、反論は沢山した。

 「どうやって街に出るんだ?」と言えば、「車があるじゃない」と平然と答える。

 「人から見られたらどうする? 大体、運転手だって現地の人間なんだぞ?」と聞けば、「姿を隠す用のショールとか色々持ってきているから!」と、準備の良さを見せつけてくれた。

 何を言っても、ドライブに出掛けるという一線を死守しようと、「買い物とかしなくていいから!」とか「車から降りないから!」と、集心的退却を行っていた。

 結論から言えば、僕は根負けした。

 確かに、危険な思いをしてこんな所に来たのに、ご褒美がないのは可哀想だ。


 そういう訳で、彼女たちは、自分たちの用意した服装で――中近東の女性のように、頭をすっぽり隠していた。

 小さな街灯は、足下をぼんやり照すばかりで、顔の様子はよく窺えない。迎えの運転手兼通訳は、怪訝な顔をしたが、中の存在を疑う事はしなかった。

「昨日、一昨日、料理を運ばせてたのは……実は密航なんだ。

 でも、良家の子だから顔を出すなって、本国からの指示でね。

 本当は、上陸を許す訳にはいかないんだけど……少しだけ世界を見せてやりたいんだ。

 若い子には、そういうのが必要だろう?」

 彼は東洋系特有のにこやかな顔を取り戻すと、「エキゾチックと言うには、嘘っぽいですよ」と冗談を飛ばして、乗用車へと僕たちを誘った。




 流れる街灯、行き交う自転車と市電。

 大陸とて、ガソリンが潤沢にある訳じゃない。

 鉄道で運ぶと、線路を爆破されて、立ち往生したところを、ごっそりと抜き取られてしまう。海岸沿いを小さな快速船でちまちまと運べば、海賊に襲われる――そして、上手く運べたところで、内部の汚職や政府の圧力で民間に回る石油は殆どない。

 通約は「今日は珍しく停電していない」と言い、我が国の電力事情に驚いていた。

「買いかぶり過ぎですよ、島国だと、強調圧力が強いんで、こんな時だけ上手く行くんです」

 彼の言葉に、むずがゆさを感じて、そのように答えると、「それでも貴方達は海を越えてきた――黒船を待つことなくね」と微笑む。

「これでも日系人ですから、歴史ぐらい習いますよ」

 そういう風に言うのは、本国に対する憧れからなのだろうか?


 娘達は、僕に向かって言葉を発することもなく、窓の外の景色に見入っている。

 運転手は気を回して、下町の通りを突っ切ったり、古い建物の残る一角や、西洋人の集まる地区を巡ってくれた。

 屋台の灯が気候的な熱気を蒸散させているように見えたり、古びた土塀が立ち並ぶ淋しげな道では、野良犬が寝床を探して彷徨いている。

 寺院の派手さは、闇夜の中でも映えている――昼間に見せてやれば良かったかな。

 西洋人街では、ゴシック・リヴァイヴァル様式の寺院、アール・ヌーヴォーやアール・デコの影響をそこはかとなく見せる建物たち。凝った造形の柵を、猫が身をよじらせて潜っていく。

「世界一周をしているみたいですね」

 先のお返しに褒めてやろうと思った発言だが、彼曰く、その街で生まれた者はその中でしか生きられないものだ。と、淋しげな顔をする。

「僕も、日本人街からあまり外に出ないですし」

 前方を見据える顔が、にわかにはにかんだ。




「いやぁ、楽しかった。

 また来たいものですね――今度は大型輸送船なんかを護衛できるといいんですが」

 三人の駆逐艦も静かに頭を下げる。

「その時には、また別な密航者に出会えると面白いですけどね」

 微笑む男に、僕も上機嫌な表情で返す。

「いやぁ、それは勘弁ですよ」

 その言葉を交わすと、手を振りその場を去った。


「お嬢様、これで満足しましたか?」

 低調な身のこなしで伺うと、叢雨が笑顔を隠す為に頬を引きつらせて「慇懃無礼って言葉知ってる?」と毒づいてくる。

「良かったよ。喜んでくれて」

 十数メートル離れた所で、先の男が「ごきげんよう」と叫んでいた。

 振り向くと、運転席から手を振っている。

 四人で揃って手を振っていると、「やんごとなき特務員より、密航者の方がチャーミングでしたよ」と捨て台詞を吐いて、去って行った。




 港町での最後の夜は、こうして過ぎていく。

 僕が物語の主人公であるなら、彼女たちが要求したおやつの為に、身の危険も顧みずに夜の街に繰り出す事だろう。

 でも、換金できるものは何処にある? 言葉の問題は?

 そう考えると、彼女たちの不便は、僕がどうにか出来る問題ではなかった。

 出来る事は通訳の男に、日本の煙草と酒を渡して、大井参謀のお土産として相応の品を、用意させるのがいっぱいいっぱいであった。

 勿論、酒や煙草は、夜のドライブの手間賃と言う意味もある。そんなに良いものに化けるはずないだろう。

 仕方ない。期待せずに、寝ることにしよう。




「叢雲さん、おやすみ」

 居室の灯を消す。音は光を媒介しているのではないかと思うぐらいの静寂が訪れる。波の音、それに揺れる船体のきしみ。

 視覚が奪われ、思考と記憶が溶け合い始めた頃、彼女の声が耳元近くから聞こえる。

「今日の事はありがとう……」

 自分は寝言を言えるぐらいの意識レベルに陥っている。喋ったのか、思考したのか、鼻から息が抜けるぐらいのなめらかさで答える。

「海ばっかり見てたら厭きるだろ?

 もっとあちこちを見に行った方がいいよ。本当はね」

 再びの沈黙。いよいよ、夢の中と意識化された世界の区別が付かなくなってくる。

「楽しかった?」

「べ、別に!

 子日と如月に代わってお礼を言ってあげているだけよ!

 誰が、あんたなんかに感謝するものですか!」





 翌朝は、我々を送り出すための記念式典が催された。

 我が国から送られたのは、工芸品と自動車、そして飛行機だ。

 その対価となったのは、美術工芸品一式と、ボーキサイトとガーニエライト、つまりアルミニウム鉱とニッケル鉱である。


 両国の美術品は、お互いにその友情を確かめるように――いつか、そうはならなくても――美術館に収蔵されて、展示される。その時代、時代に見合った説明が成されるだろう。

 艦に戻ると、通訳のお土産が届いていた――いつか、この時の思い出も、自分が身を置いた立場、立場によって、その解釈を変えていくだろう。

「開けないの?」

 姿を消した叢雲の声が耳に届く。

「一応、参謀の分だからな」

 流石の娘達も、大井参謀の事は一目置いているようで、それ以上、しつこく食い下がることはなかった。




 かくして、たった三隻の艦隊は再び出航した。

 今日も、嫌らしいまでに空は晴れ渡っている。時代が時代なら、航海の安寧を告げるような空模様だが、僕にはなんとなしに呪わしく感じる。多少の雨なら、その中を進む限り、敵に発見される確率は低いからだ。


 僕たちが暗黒の海に乗り出すように、世界の物流は、シルクロード以前に巻き戻された。

 世界地図に巨大なタコを描きたくなる気持ちも、今なら痛いほどに分かるってものだ。

 経済史の退行は、国家も退行させる――彼らの体制が近代的と言えるだろうか? 彼らの象徴としている指導者からは、神秘主義の匂いを感じた。あの服装、あの所作……建物の内装や、装飾は、世界各国の宗教を部分的にモチーフにしている。

 勿論、そんな事を言うと、自分の国の神社や祭りを否定してしまう事になるのだけれど――そうだな。彼女たちのような霊的な存在を肯定している我が国も、しっかりと後退しているのかもしれないな。


 そんな感慨に浸っていると、陸地は遠くに消え、雲の形から大陸の存在をなんとなしに感じる程にまで遠くに来てしまった。

 この前の軽巡が現れたりするだろうか? いやいや、海上でわざわざ僕たちを待っているって? 馬鹿馬鹿しい。

 この日、最後の定時連絡は、「異常なし予定に遅延なし」であった。


「叢雲さん、深海棲艦ってどうやって僕らを見つけるんだろう?」

 答えは案の定「私達が知る訳ないじゃない」だった。

 でも、彼女たちの経験からすると、至る所で発生しているらしく、偶然に任せて見つけているんじゃないか? と言う事だった。

 そして、艦上から或いは飛行機による視認から見つけているのではないかと言う結論になった。

 技本は電探というものを開発中だが、彼らも同じものを装備しているのであれば……根拠のない想像はやめておこうか。


 窓の外はいつも同じ様子だから、ついついいらぬ事ばかり考える。

 もし、彼女のような艦娘が他にいるのなら、彼女たちは何処から現れるのだろう?

 この想像を、口に出してしまえば最後、彼女たちは僕の前から消えてしまうだろう――深海棲艦と彼女はそもそも、同じものなのではないかと。

 この考えは、多分、彼女を目撃した全ての人間が持ち得る想像だ。そして、僕はその見識に抗って、彼女たちの有用性を説いていた――だけれど、彼女たちと共にして、少ないながら深海棲艦を目撃し、また撃破するにつれ、僕はその境界線を見失いつつある。

 有用/有害と言う人間本位の分類が、実際どれほど真理とは離れているか。




「提督、風邪引いちゃうよ-!」

 風邪を引きそうもない子日が後方から呼びかける。

 僕は、夕日が沈むのも忘れて、この問題に没頭していたようだ。

「あんた、頭大丈夫? 急に海に飛び込むとかやめなさいよね」

 叢雲なりの気の使い方にも、最近慣れてきた。

 紺青の世界を後に艦内に入っていく。


「足りない頭で無理に考えてどうするの?

 提督なんだから、胸張ってないと、陸でまた、馬鹿にされるわよ」

 彼女は、ひっそりと、僕の耳に声を届けてくれたけど、僕は手を上げて合図をするぐらいしか出来なかった。





 翌朝は、砲撃の音で目を覚ます――酷い目覚めだ。あんなにも言われているのに、また空が明るくなってからの起床だ。

 しかし、寝ぼけた頭には"最悪"と言う印象だけだ。それが鏡の前の自分の事を指しているのだ、と言う事に気付くほどには動いていない。

「どうなっている!」

 反射的に発した言葉は、あまりにも頭が悪すぎた。

「聞いてる余裕があるなら、その目で見ろ!」


 船室で、廊下で階段で声が響く。

 僕に対する呪いの言葉と、打ち合っている相手に対する悪態ばかりだ――「そんな言葉使うもんじゃないよ」と言いたいところだが、状況はそれを許さない。

 艦は第二戦速で、右手から飛んでくる砲弾を、巧みに避けつつ帰り道を急いでいる。


 今は同航戦の真っ最中だが、相手の水上機のお陰で、我々の視程外から弾が飛んできているという。

 精度は低いから命中の心配はしていないが、このまま圧迫され、進路変更を余儀なくされれば、燃料切れでこちらの打つ手がなくなる。

 突撃して、魚雷でも食らわせたい気分にもなりそうだが、相手の規模も分からない。

 軽巡一隻と言う事もあれば、水上機母艦を包した大規模な戦隊かもしれない――砲撃の規模から言えば、そんな大軍とも思えないが、しかし、それが罠である可能性も否定できない。


「あんた提督でしょ! 何か言ったらどうなの!」

 思考に意識を奪われていた――思考はある種の現実逃避だ。

 現実を見るんだ! 見たままを考えろ!

「全艦、第五戦速。進路そのまま!

 この任務は、四人揃って帰って完遂だ。だから、囮を用いる作戦は、これを除外する。

 まだ、攻撃が始まって間もないなら、追い込む艦がいても、さほど上がって来てないはずだ。

 相手に重巡や水上機母艦がいるなら、今のうちに引き離しておいた方が良い」

 おちおちしていたら、頭を押さえられて、丁字戦法へ引きずり込まれる。

 遅かれ早かれ向こうとぶつかるならば、なるべく燃料に余裕がある時期に片を付けたい。相手の主力が足の遅い艦ならば、この動きに反応しないはずがない。


 足を速めて二十分、砲撃は、先よりもまばらになるが、上空の水上機は一向に落とせないでいる。

「あー。鬱陶しいわねぇ!」

 叢雲はヤケになって、50口径三年式12.7センチ砲を遠ざかる機体に向けて発射した。

 当たるはずないだろう……と思っていたら、見事に直撃弾となった。

「でかした!」

 思わぬ程の大声で叫ぶと、「実力よ。そんなに騒ぐと馬鹿に見えるわ」と相変わらずの憎まれ口を叩く。本当は踊り出したいぐらいのクセに。


 しかし、そんな喜びは一瞬にして吹き飛ぶ。

「十一時の方角に軽巡が二隻……三隻!」

 そう来たか! 挟撃して、進路を塞ぐつもりだな――そうなると、右翼の敵はあくまで陽動。

「面舵いっぱい。最大戦速!

 敵陣に突っ込むぞ!」

 この決断に、根拠らしいものは多くなかった。左翼の敵が僕たちの行方を押さえる為にあって、その場で停船すれば、僕たちは右翼の直中に突っ込むことになる。

 ただ、十一時の方に艦影が見えた時、同時に三隻見えた訳じゃないから、その戦隊はそこそこの速度で進行しているはずだ。

 僕たちが、彼らの動きをもう少し見ようとして、更に前進すれば、彼らが前方に立ちふさがるように見えるに違いない。そうなったら、僕は左を気にして、取り舵を切るに違いない――そして、それこそが相手の意図だとしたら。

 人間は見えないものに恐怖する。相手が人間の事を理解しているような連中だったとしたら、きっとそう言う作戦をとる――もし、そうじゃなくて、単なる深海魚並みの連中だとしたら……

 木造帆船に乗って、台風の中に突っ込んだと思って諦めるさ。


 この決断は、撤回しようかどうか迷う時間を与えず、状況を促進した。

「三時の方角から、駆逐艦が突っ込んでくる」

 読み通りだ――彼らの狙い通り、僕が取り舵を指示していたら、この戦隊と同航戦になっていた。しかも、間近で打ち合う熾烈な戦いだ。

「牽制射撃をしてやり過ごせ。どうせ、追いついて来られない。

 雷撃戦の用意だ!」

 このまま最大戦速で突っ切れば、彼らの包囲の一段目は不発のままやり過ごせる。


「いけー!」

 子日を筆頭に、三人の艦娘は、魚雷を駆逐艦に向けて放つ。

 四隻の駆逐艦は、進路を維持することが出来ずに迷走する。

 砲撃と含めて、この攻撃で三隻の戦闘能力を奪い、一隻は南の方へと遠く離脱した。

「提督、やったね!」

 一番元気な子は楽観視しているが、「私の柔肌にもしもの事があったら、ちゃんと責任取ってくれる?」と如月さんに釘を刺された。

「そういう話は、もう少し後にしてくれないかな?」

 前方には三隻の軽巡が待ち構えているのだから。


 そして、戦列を整える間もなく、六海里ほど先の軽巡から砲撃を受けることになった。

 今度は、本気の射撃である――時間にして十分ほど。

「行けると思う? このままだと進路を塞がれるわよ」

 分かっている。

「前進一杯! 全砲撃を先頭の船に集中!」

 果たして、足止めできるかな?


 僕は、ここに来て、膝が震えていることに気付いてしまった。

 疲労度がただ事ではなくなってきている。きっと、最初の段階からこうなっていたんだ――しかし、何故今気付く?

 迫り来る巡洋艦を目の前にして、ビビっているのか?

 軽巡は、相変わらず異形の姿をしており、おどろおどろしかった――駆逐艦よりも一回り大きいだけな筈なのに、それはずっと大きく見えて、船首は深海魚のように、大きく口が開くのではないかと思える程、面妖な作りとなっている。

 このまま如月に食い付いてしまうのではないか?

 深海棲艦は、船を喰うという。どう喰うのか、詳しく伝えられていないが、とにかくその船体や、燃料、資源を食い尽くして、飲み込まれてしまう。


 恐怖で前が見えなくなる。

 侵入的な思考の所為で、僕は目の前の世界を見失った。

 脳髄の暗闇に落ちていく最中、肉質的な閃光が眼球を通して、意識を引っ張り上げる。


 先行する一隻は、船首に何発か被弾した。僕が目にした衝撃は、多分、その時のものだ。

 意識を取り戻した目で見たのは、弾薬に誘爆し、前方が吹き飛ばされる姿である。

 我らが三人の駆逐艦は、この突発的な事件を見事な回避運動で躱し、敵の戦列を後にして、前進することが出来た。

 この間、僅か二、三分の出来事だ。


「まだいる! 前方に軽巡!」

「構わず行け」

 僕は、一年前の違和感を思い出していた。何かが、僕に囁いている。


 我が艦隊は、前方の巡洋艦に目もくれず、後方への射撃を続けた。

 数海里先にいる、まだ言葉を交わしたこともない彼女は、我々を援護するように、射撃を続けた。





 帰国後、僕は大井参謀に、鎮守府の一室に引っ張り込まれた。

 古風な趣味の部屋である。直筆の書などが掛かっていて、この幼女の部屋であるなどと、誰が信じるだろうか?

「上の方には上手く説明しておく。

 ――それで、新しい娘の事は気に入ったか?」

 大陸から持ち帰った酒を酌み交わす。

 実年齢は僕よりずっと上だから、法律上は問題がないが、人目がはばかられると言う理由で、自宅や自室で飲むのが常だった。

 彼女の尋問は、特に答えを待っていないように見えた。参謀の話題に困った顔が、妙に可愛らしい。

 だが事実上の上官だ。




 参謀と二人っきりになる一日前、軽巡の彼女を含め、四隻は無傷のまま帰国を果たした。

 これは、国を挙げてのお祭り騒ぎになった訳だが、軍は、この増えた一隻について、どのように言い訳をするべきか、非常に困っていたようだ。

 僕は、上陸許可も出ぬまま、彼らの出方を待つことになった。


 僕は名誉の負傷を負ったとか何とかと言う理由で、表に出ることなく、式典や記者会見は粛々と進められた。

 どうやら、彼女は海軍の新鋭艦だと言う事にするつもりらしい――資源がないのに、艦を建造するとはどういうことか? と、国会で海軍相が尋問される事だろう。

 僕の仕事が減ったので、お偉いさんの慎重な態度には、多少感謝している。

 艦娘たちとのお喋りは好き勝手に出来たので、この一日は貴重だった。


 臆病な所のある軽巡洋艦の名前は、神通であった。

 何かにつけておどおどしていて、叢雲を恐れ、如月に怯え、子日に対しては困った顔をする子であった。

 三人に比べて、やや大人びた子で、鬼灯色の衣装が落ち着いた雰囲気を更に倍加させているように見えた。

 困ったような表情が、可愛くあるが、ちょっかいを掛けるのには、罪悪感を感じるようなタイプだ。


 彼女もまた、自分の出生の謎を知らないでいた。

 気付いたら、洋上にいて、深海棲艦に襲われる恐怖だけを持っていたと話す。


「でも、何で、僕たちの動きが分かったの?」

 神通は、申し訳なさそうに、無線を盗み聞いたことを詫びた。

 定時報告で、現在位置を報告していたから、居場所はいつでも分かっていたらしい。

 司令部に上申すべきだろうか? 彼女が無線を傍受出来ると言う事は、深海棲艦だって同じようにして、我々を見つけたのかも知れない。

 今まで、そんな事は全く信じられていなかったから、平文で通信していた。

 恐らく、その昔、輸送船団がやられたのは、そんな事情によるのではないか……


 しかし、同時に、この行為が艦娘を呼び寄せる事になるのなら、そのリスクに見合った行為にも感じられる。

 どうしたものだろうか?




 翌日、上陸許可が出ると、僕と三人の艦娘は大井参謀に面通しをした。そこで、報告書では細かく触れなかった様々な出来事について説明した。

 通信のことについても、僕の中に抱えるには大きすぎると感じ、素直に白状することにした。

「資源の輸送が一番の任務なんだぞ? 戦力が増えるのは嬉しいが、それを目的にしてどうする? 戦争でも始めたいのか?」

 軍人として、戦争に否定的なんだなと思っていたら、「戦争に行きたがる奴は、大抵戦争を知らない大馬鹿者だ」とぼやいた。

 彼女は、艦娘の事に大きな興味を示すことはなく、神通に対し「頼りない奴だが、宜しく頼む」と頭を下げた。

「あんたの事よ」

 と足蹴りを食らわせたのは叢雲――はっと気付いて、僕も参謀に続いた。


 艦娘たちの居住棟から離れ、本部へ続く渡り廊下を歩いて行く。

 参謀は、「彼女たちと上手くやれたか?」とか「航海にはもう慣れたか?」とか、何ぞ半年ぐらい前から続く、似たような質問をした。話を途切れさせないように、気を遣ってくれているようだ。

 そして、「土産物の酒を飲もうじゃないか? 今日は半ドンだ、誰にも構うことはない」といい、日も高いのに、僕を部屋に連れ込んだ。


 今回の作戦の事や艦娘の事、大陸での出来事や政治、経済の話に至るまで、話の内容は一つに定まらない。

 お互いに話題を持ち出し、お互いに回答を求めぬ話の終わり方をするからこうなるのだ。

 原因は、性別、階級、歳の違いと様々にある。しかし、お互い言葉を交わすこと自体に面倒臭さを感じてもいないので、黙って杯に唇を付けると、また思い出したように相手の言葉を求めるのだ。




「便所だ」

 席を外す彼女を目で追うと、そのように断って部屋を出て行った。

 随分飲んでいる筈なのに、背筋が真っ直ぐで、軍服の背中が身体に比して随分と大きく見える。

 口調や態度がああでなければ、普通の少女にしか見えないのだが……


 一人残されて、つまみをつつく。

 さっき、参謀は魚介系のつまみがなくなって淋しい思いをしていると言っていたなぁ。

 深海棲艦のお陰で、庶民が口に出来る魚介類と言えば、川魚や貝の類、せいぜい磯釣りで手に入る類――外洋の魚は美味いぞとも言っていたな。艦上で釣りなんてやったら、叢雲さんは怒るかな?

 でも、食い意地の張っている連中だから、美味い魚を食わせてやれば、黙ってくれるかな?


 酒が入ると、思考の一人遊びが加速する――尤も酔った勢いで考える事だ。碌な事ではない。

 深海棲艦と艦娘の関係とか、何の根拠もなくあれこれ想像しては、否定して、また思いつきを深化させては嘲笑う。

「そう言えば、参謀遅いな……」

 自分の酔いの度合いを確認しようと、机から離れ、部屋を歩き回る。

 重心移動が少し浮いている。ほろ酔いという所か。もう少し深酒しても大丈夫だろう。酒瓶の残りを見て、安心したところで、板敷きの廊下を激しく叩く音が響いた。


「裾を踏んでしまってな」

 急いで廊下に出ると、ドレスに身を包んだ――と言うよりも、丈の長いスカートに巻き付かれた状態で動けないでいる大井参謀の姿があった。

「あ、これは、酒とは別に、私宛のお土産があってな。

 折角送られたんだから、着なくちゃいけないって思ったんだ――いや、そう言う意味じゃないぞ。

 だが、表で着るにしても、出て行く場所もないからな――だから、変な想像をするんじゃないぞ」

 彼女は、僕が一言も発する前から、自分の言い訳をまくし立てた。

「参謀!」

 そんな狼狽えた姿を見たくない僕は、手を突きだして、少しだけ乱暴に彼女を起こしてあげた。

 すると、またよろけて、僕の胸に飛び込む。

「酔っぱらい相手に乱暴だな」

 胸に抱かれたまま、上目づかいで苦情を訴える。

「もう、飲み過ぎですよ」

 僕は急いで突き放した――危ないところだった。こんな所で、情動が揺らされたら、僕は二つの相反するレッテルを同時に貼られるハメになってしまう。

 廊下に誰もいない事を確かめて、参謀を部屋に押し込んだ。


 そこから先、触れる話題と言えば、先と同じような具合で、間断をとりつつ言葉を交わすのみだった。


 彼女の着慣れのなさを見ると、息が詰まるような思いをした。酔いが吹き飛んだ。

 参謀は参謀だ。遠目で見て、愛らしかろうと、あどけなさそうであろうと、老練な軍人である。

 それを抱きしめて、一瞬でも時めいてしまったとは、どういうことだ!


 彼女は彼女で、やや恨めしそうな顔をするが、しかし、同時に行動を起こすほどの勇気も持ち合わせていないようにも見えた。

 明日は、どんな顔をしていろって言うんだ……


 そうこうしているうちに、彼女が年頃の子供のように眠い顔を、そして年相応に座った目をしたので、会はお開きになった。

 あの通訳、こんな露骨な仕掛けを残してくるなんて!





「と言う事があったんだけど」

 鎮守府の中で、頼れるのは参謀と艦娘だけである。我ながら、陸での味方の少なさには呆れる。しかし、そんな事を言っていられる場合じゃない。

 あの通訳からは、"密航者"にも、お菓子の詰め合わせというお土産がもたらされていた。僕はそれを使って、彼女たちを釣ったと言う訳だ。

「最低。取り敢えず、土下座でもしてきなさいよ」

 焼き菓子を手に、僕を見下すような、冷たい目線を注ぐのは叢雲。

「参謀も結構やるのね」

 お菓子の詰まった缶を、見つめる体勢から顔を上げて、艶っぽい微笑を漏らすのは如月。

「子日も着てみたーい」

 机に手を突いて飛び跳ねる子日。

 三者三様に騒ぎ立てた――そして神通は黙ってジャスミン茶を飲んでいるばかりだ。


 刺激的ではあるが、いの一番に叩き付けられた、叢雲の言葉もその通りかなと思った。

 土下座は兎も角、何か気の利いた一言ぐらいは言っておくべきだろう。

 さて、どうしたものだろう。あの小さな参謀を相手に……

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