2013年7月23日火曜日

艦これ~沈んだ世界から 第三話

 僕は、大井参謀の部屋に向かって歩いていた。

 頭を巡るのは、鎮守府に来たばかりの頃の事だ。





 鎮守府の庁舎。三階建ての鉄骨レンガ造り。遠目で見ると立派だが、近づいてみれば、外壁の汚れや細かなヒビ、応急処置として塗り込んだモルタルが目に付く。

 内部に入ると、その酷さは更に涙を誘う。

 板張りの廊下は、随分前にワックス掛けを止めてしまったので、粉が吹いているかのように見える。足音さえ安っぽい。

「全て、予算削減の所為なんだ」

 彼女は自嘲気味に、しかし強かな怒りを内に秘めて建物を案内する。


 僕は、三隻の駆逐艦と意思疎通が出来ると言う理由で、新設された特務艦隊の提督に任命された。

 拒否権なんて与えられなくて、殆ど拉致に近い形で、鎮守府に連れてこられたのだ。

 案内してくれる少女――大井参謀は、後見人として、軍令部第一部から鎮守府へ移ってきたのだ。


 はっきり言って、どう接して良いか分からない。

 見るからに小学生であり、小さな可愛らしい少女。一方、口ぶりは偉そうで、年寄り臭い。

 一番驚いたのは、そんな彼女に皆、敬礼をし、敬語で話す事だ。

 趣味の悪い少年漫画にありそうな絵柄だから、担がれているのではないかと不安になったほどだ。


「こうも金がないと、嫌でも骨董趣味になるんだ」

 大井参謀の自室に入ると、彼女の見た目では信じられない程、年寄り臭い趣味の調度品が目に飛び込む。

 それは骨董品というより、単に古いだけの家具で、それも寄せ集めなので、デザインも統一されていない。

 忍び寄る貧しさに身震いがする。

「それにしても、見事な指揮だったようだな。

 あいつがあんなに人を褒めるのは、久しくなかったことだ……」

 参謀の言う"あいつ"とは漁船の船長だ。その昔、戦艦の副長までやった男らしい。


 僕は好奇心が先立ち、投げかけられた言葉を無視して、船長の事を訊ねてみる。

 参謀は、それに嫌な顔一つせず、昔の話を割と簡潔に話してくれた。


 参謀の後輩で、参謀がよく目を掛けてやっていた。優秀な男で、将来有望だったが、司令部との対立から軍を辞めたという。

「儂の代わりに、司令部の能なしどもを殴ってくれたんだ」

 少女は、しおらしい表情を見ても、僕は警戒のしか出来なかった。目から入ってくる情報と、耳から入ってくる情報が、全くかけ離れていたからだ。


 彼女は、尋常小学校に通う子供達がそうであるように、表情は次々に変転していく。

 過去の話に辛い顔をしたと思えば、僕の手柄を我が事のように喜んでいる。

 不思議なものを見ている感覚と、そうはいえども、大佐だと言う知識がせめぎ合う。僕は、己の一挙手一投足にさえもどうしてよいものか、困ってしまって、言葉の一つも発することが出来ないでいた。

「こんな見てくれだし、そんなに畏まらなくてもいい」

 そう思うなら、もう少し少女らしい言葉遣いをして欲しいものだ。


 そんな彼女が切り出したのは、「君は酒を呑むかね?」と言うとんでもない提案だった。

「大災厄で世界が沈む前に、本場から手に入れたスコッチだぞ。一緒にどうかね?」

 少女に洋酒を勧められるなんて想像だにしなかったことだから、全く動転してしまった。

 そうして、ぎこちなく「麦酒と安い焼酎ぐらいしか飲んだことがないですが」と、目を反らしながら答えた。

「二十年目までが飲み頃だって誰かに言われてな。呑み時を見計らっていたんだ」

 年寄りの口から発した台詞なら、柔和な笑顔に包まれそうなものだが、参謀のそれは、大人に向かって怖ず怖ずと意見する子供のように、緊張の掛かった、あどけない微笑みになっている。

「そんな貴重なお酒を、僕なんかが飲んでしまっていいものか……」

 僕の思考は、彼女と一杯を交わすと言う事を避けようとしていた。何となれば、子供に酒を飲ませて喜んでいる変質者に見られかねないからだ。

「この通り、倅なんて作れないものだからな」

 また、先のような哀愁の混じる表情――彼女の顔は全くの子供だが、眼球だけは時間の経過に逆らうことなく、順当に成熟したのではないかと思える。

 眼力の強さに負け、僕はそこへの同席を承諾した。


 ウヰスキーなんてものは、国内でも作っているのを知っているが、どだい金持ちの飲み物だ。酒屋で見かけて値段に驚くと言う具合で、それが如何なる酒なのか想像する事も出来ない。

 足つきのグラスに注がれた、琥珀色の液体は、実に芳醇な香りを漂わせた。

「何の果物ですか?」

 参謀は、僕の質問に答えず、転がるような笑い声を立てるばかり。

「まぁ、呑め」

 一口含むと、強烈な刺激が舌を焼く。驚きのあまり、直ちに嚥下する。

 するとどうだろう。香りのヴェールが一枚はだけ、奥深い世界を感じさせる。

 参謀は、その身体に似合わず、堂々とした、そして実に慣れた雰囲気で香りと味を楽しんでいるようだった――噛み締めるように、頬を赤らめているのを見ると、レモン多めのレモネードを呑んでいるようにも見えるのだけど。


 酒の席を共にすると言うのは、打ち解けて然るべきものだろうか?

 僕には分からない。

 初めての洋酒は美味しく飲めたのだけど、別段腹を割って何でも話せると言う雰囲気でもなかったし、彼女は彼女で、僕に対していささか遠慮がちな態度をとっていたようにも見えた。




 昼間の酒盛りは、日が落ちる頃に終了して、僕は宿舎へと戻った。

 宿舎は、庁舎の別館をそのまま利用したものだ。

 海軍そのものが縮小の憂き目に遭ったので、この建物は使われず、放置されるがままになっていたのだ。

 鎮守府は、僕と艦娘をここに閉じ込める事を決め、僕には実家からの家財道具、娘達にはかき集められた"女の子の部屋"装備が成されている。

 尤も、海軍のオッサン連中が考える事だから、三人の駆逐艦には頗る評判が悪かったのだが。


 酔っ払っているのは自分でも分かっていた。叢雲辺りに酒臭いと馬鹿にされる前に、僕は急いで自室に入った。

 傷んだ古い畳にちゃぶ台、潰れた座布団に薄い布団。

 これが現実だ。

 現実? 明らかに布団の中に、誰かがいた。

「提督……一緒に寝よ?」

 如月さんだ――こうして迫られるのは、男として悪いものではないが、他の駆逐艦がそうであるように、彼女も高等小学校ぐらいの歳に見える女の子だ。僕がそう言う意味合いで彼女に触れるのは、非常にマズイ気がする。

 気がすると言うだけだ。大半の人にとって、彼女は人間にすら見えない。だから――いやいや。


 大体、僕がそのような葛藤に苦しんでいると、子日が不思議そうな顔で僕を見つめていたり、叢雲が酷く不満顔で悪態を吐くかする事になる。

 むしろ、そうした二人が近くにいてくれた方が、ずっと間違いを犯さずに済む。


「ねぇ、提督?」

 見た目は十代前半だというのに、この色っぽさは何だ! と、僕は一時的に"古風な人"になっていた。

 尤も、その古風さは自分の内側にしか向かっていなくて、彼女に説教を垂れるなんて恥知らずな事も出来ない。

 立ち尽くす僕に、纏わり付くような言葉を掛ける彼女――tの音、無声歯茎破裂音は真っ赤な唇のような、肉質的で肉欲的な強さを与える。

 一音一音に気を遣っているのか? それは技術的なものなのか?


 後に回想すればするほど、音の謎を極めたい気がして来る。

 だが、音声学的な話はよそう。先ずは、この状態からどうやって逃れるか……


「君、それはちょっと関心出来んな」

 戸口には大井参謀。

 頭皮では血管が拡張して、汗腺が開いていくのが分かる。


 彼女は、僕が部屋に忘れていった帽子を持ってきてくれたのだ。

 それから先の展開は、あまりくどくど話す気にならない。

 僕の抗弁は、片耳でしか受け取られなかった。真面目に聞き入れようという気が全く感じられない態度で、一通り聞いて「わかった」の一言で済まされた。


 こうした態度は、酷く心配を募らせた。

 どんな顔で明日から過ごせば良いのか?





 あの後、参謀は如月さんの性格を理解したのだろう。日を追う毎につれて、ぎこちなさが減っていった。

 しかし、二度とあの日の事が語られることはなかった。

 あの翌日の緊張は、参謀が酔っ払った昨日の今日と同じだ。

 しかし、そうとも言えない緊張もある。

 参謀が怖い?

 そうだ。怖い。しかし、あの日と、この日では種類が違う。

 前者は、権力を持った強い人間に出会ってしまった時のそれであり、後者は……上手く言葉に出来ない。


 ドレスを身に纏った彼女は、可憐で愛くるしかったのは分かっている。

 死んだ年長の兄貴は、順調に結婚していれば、彼女ぐらいの子供が出来ていたことだろう。或いは、独身貴族を貫いている近所の叔父が、人並みの家庭を築いていたら……ああ、もう、そんな事はどうだっていい。

 そうじゃない、脳裏に貼り付いてしまっている事が問題なんだ!

 よもや劣情は懐くものではないぞ――否、そう言う次元の話でもない。


 己の中で、この感覚を点検してみても、その原因と言えるものは見つからない。




 彼女との対面を一秒でも長く先送りにしたい――尿意もないのに、目的地手前のお手洗いに入る。


 人は、扉をくぐるだけで、何かを忘れたり、逆に思い出したり、気分が多少変わったりするものだと聞く。

 しかし、期待されたほどの効果はなく、水道で顔を洗ってみても、一向にわだかまりは消えない。

 当たり前の話だ。

 鏡の中の僕は、眉間に皺が寄って、目がギラついて、どこか異常犯罪者ヅラしてるなぁと、心の中で含み笑いをした。

 少しは、笑顔になるだろうか? 鏡から目を離した所で、口角を上げる練習をして見る。

 やめよう。そんな馬鹿な事は。




 扉は敲く。敲こうとする。

 拳は二たび空を切り、三度目のトライは、思い掛けずに手の甲が触れてしまった。

 そこで慌てて、残り二回のノックをすると、少女特有のよく通る高い声が帰ってきた。

「僕です。参謀」

 返事は、予想外なほど上機嫌だった。

 大佐の部屋だというのに、扉は薄く、軽い――開けづらい筈なのに、ノブに手を掛けると、案外あっさり開いてしまった。


「早速だが、次の作戦についてなのだが……」

 参謀は、扉を開けると同時に要件を語り始めた。

 彼女としても、昨日のことはあまり喋りたくないのだろう。

 だが、この態度を見て、それを幸いに、言うべき事を言わないで済まそうとするのも、何かインチキじみていて嫌らしい。

「参謀。

 昨日のドレス、素敵でしたよ」

 僕は、大井参謀が先に口を挟むのを恐れ、口早にその台詞を吐き出した。

 専ら書類に関心あるのだと言うポーズをしたいのだろう。机に向かって俯いている。

「差し詰め、叢雲にでも叱られたのだろう?」

 そのように言いながら、顔を少し上げて僕の様子を伺っている。

 老人が、そうしたのなら、狡猾に僕の心を探る姿勢に見えただろうが、少女のそれは、上目遣いにおどおどしている様にしか見えなかった。


 その瞳に射貫かれると、僕は正直に白状せざるを得なくて、少しどもりながらも、その事も謝る事にした。

「あ、でも、僕、参謀に驚いたのは、その……やっぱり可愛かったからですよ」

 言った後から、汗が生え際から滲み出てくるのが分かる。


「こんな年寄り相手に……」

 参謀は、表情を悟られまいと、席を立ち、窓辺まで歩いて行った。

 僕は、ここで冷静になって、「その年寄りが、酔った勢いとは言え、ドレスに喜んでるんじゃないよ」と心で唱えたが、事実上の上官相手にそんな事を言う訳にも行かない。


 次の作戦の話も始まらずに、そのまま数分の時を過ごす。

 窓の外には、動きの少ない港の様子が見える。

「そうだ。臨時収入があってな、今、その金で酒を買いに行かせているんだ。

 今日は日曜なんだから、朝から呑んでいたって文句はないだろう」


 何も知らなければ、ただの飲兵衛だが、これは異常な事だ。

 彼女が二日も開けずに、酒に口を付けると言う事は、今まであった例しがない。

 仮に臨時収入なるものがあったとして、大佐ともあろう人物が、そんなものに頼らないと酒が飲めない筈がない。


 僕は、この時、平素ではあり得ないぐらい、頭が回転していたと思う。

「今は、少し、昨日の酒が残っているので、夕方まで待って戴けませんか?」

 彼女の同意を受け取ると、早歩きで廊下を渡り、階段を駆け下り、一階の歩哨詰め所に飛び込む。


 僕は、二等兵クラスにもいい顔をされていない。

 だから、その時、部屋にいた一番階級の高い男――二等兵曹に、異国の煙草を掴ませ、大井大佐に用事を言い付かった兵長の行方を教えてもらった。

 嫌われ者とは言え、これでも一応、将校なんだから、頭を下げれば、それなりの扱いをしてくれる。


 鎮守府を出たところで、一軸の無害馬車を拾い、目的地へ向かう。

 ガソリン自動車なんて、佐官でもそうそう乗せて貰えない。

 路面電車は走っているが、それ以外の交通と言えば、木炭バスと馬車、三輪自転車のタクシーを使うしかない。


 さて、案の定、大佐はドレスを売り払っていた。

 問題の兵長に、衣装箱を渡し、その代金でなるべく高い酒を買ってこいと命令していたからだ。

 兵長はまだ、帰ってきてないのだけど、捜し物の行方は、簡単に見つかるらしい。

 二等兵曹が得意気に教えてくれたのは、海軍の人間が、こっそりと質に入れるとなると、店は決まっているのだと言う事だ。

 なるほど、信頼できない人間から金を借りて、街で噂になったのでは、帝国軍人としての沽券に関わる。

 上手い商売を考えだしたものだ。


 兵曹は、「大尉殿もご入り用の時は……」と嫌みったらしく言っていたが、自分は、江戸時代の下級武士みたいなものなんだと思えば、決して悪い意味でもあるまい。ここは好意として受け取っておこう。




 今の海軍の立場を色々と思い巡らせているうちに馬車は店に到着した。

 表向きただの呉服屋だが、海軍の人間相手には、奥でこっそり金を用立てるという仕組みのようだ。

 軍服を見るなり、店主の顔は呉服屋の柔和なそれから、質屋独特の鋭さに変貌を遂げる。

 突き刺すような目は、贋物を許さない厳しさと、決して負からないという意思の表れのように見えた。


 広い間口から差し込む陽のお陰で、店内は明るかった。

 主人に導かれて、土間の脇ののれんの掛かった通路に入っていく。

 質屋と言うから、狭い部屋とカウンターに挟まれて窮屈な思いをするだろうと覚悟していた。

 しかし、実際通されたのは、西洋風の応接間で電灯が煌々と灯っている。

 萌葱色の壁紙と、赤い別珍のソファーが目に映る。


 脂ぎった顔の主人に用件を伝えると、半ば詰まらないような、半ば安堵のような顔で奥へと姿を消した。

「ものは大変に宜しいんですがね。こういうドレスは普通、注文で作るものですからね……質流れしたらどうしようかと、困っていたものなんですよ」

 ゆっくりと丁寧な物言いをする男だった。

 仕立てが良いことや、生地の珍しさをやたらと強調していたから、誰が質に入れたのか、酷く気になっているようにも見えた。

 しかし、彼とて領分を弁えている。無駄な事を知らなければ、無駄な事を喋らなくて済むし、第一、必要以上に疑われる必要もないからだ。

 "誰"と言う単語は、一言も使わずに、商談は済んだ。


「半日なんで、一厘の利子でよろしいですよ」

 今まで、金に困っても、質に入れるもののなかった僕には、それが妥当なのかどうかよく分からない。

 取り敢えず、航海手当はドレス代に消えた。


 帰りの馬車で、僕は、このドレスについて考えた。

 僕の反応にショックを受けていたのなら、質屋なんかに入れずに、ゴミ箱に、それも鋏で切り刻んで捨てそうなものだ。

 ひょっとして、参謀は買い戻すつもりで? それとも、こんな展開を期待して?

 酒の話だって、本当はどうだって……




 これは彼女に渡すには、何と断ればいいのだろう?

 官舎に戻ると、ドレスの処置に困る。

 兎にも角にも隠さないと、いつかの如月さんの時のように、参謀がひょっこり顔を出すかも知れない。

 だが、下手に押し入れやタンスに押し込めば、確実に皺になってしまう。

 悩んでいると、時間は刻々と過ぎてしまう。このままでは、何のために苦労したのか分からなくなってしまう。

 差し当たり、布団しか入っていない押し入れに、そっと置いておくしか……

 襖を閉めて、一息吐いたところで、彼女の執務室へ向かう。

 そうだ、明日は釘と金槌を借りて、ハンガーを引っかけるところを、押し入れの中に作ってやろう。

 と、庁舎へと向かう渡り廊下で独り合点した。


 そんな気持ちが緩みきっているところで、参謀に出くわす。

 あまりの不意打ち具合に、変な声を出してしまったぐらいだ。

「たまに部屋を変えて呑みたいじゃないか。

 貴様の執務室に行ったが、姿が見えなかったのでな。それならと思って」

 マズイ事になった!

 僕は、自分の部屋のむさ苦しさや、艦娘達が乱入した時の事やら、不都合そうな理由を見つけては語ったが、彼女は、一向に意に介さなかった。

 僕のありったけの妨害は、全く功を奏さず、遂に、部屋に到着した。


 押し入れさえ開けさせなければいいんだ!

 何度も、そのように言い聞かせ、酒の席は始まった。

 ちゃぶ台に乾物と盃が並ぶ。

 実に貧相だ。

 しみじみ飲む姿は、そこいらの親父のカーボンコピーだが、見てくれは少女と来ているから、どうしようもなく違和感が募る。

 ささくれ立った畳を撫でる仕草は、如何にも懐かしそうだ――彼女は、何かしら古いものや古い友達と出会うと、いつもこの顔をする。

 そう、彼女は僕の倍以上は長生きしている。だから、普通に暮らしていれば、生活の節々で懐かしい何かと遭遇する事だって充分あるのだ。

 ただ、彼女は、その事を口に出して語ったことはない。

 目で何百回も「懐かしい」と言いながら、決して、そこから先に踏みいることがない。

 そんないじらしさを見せつけられると、余計なことを聞けるはずがない。


「その目は、何か隠しているな?」

 参謀が、飄々とした目つきで、僕を試す。

 話が楽しく盛り上がっていた頃合いだったので、瞬間、僕は不機嫌になった。

「何年管理職をやってると思っているんだ?」

 彼女の持つ自信は、きっといい加減なものなんかじゃないのだろう。頭の中でそのように思考することは出来るが、視覚情報がその確信を鈍らせる。


「お世辞でも嬉しかったよ。

 こんな体格なのに、一人で勝手に舞い上がって恥ずかしい……」

 照れた顔を見せる、この少女を素直に可愛いと思ってしまう僕がいる。しかし、そんなに簡単に信用してしまってなるものかとブレーキを掛ける理性もある。

「お世辞だなんて……僕は、酔っていましたが、可愛いものは可愛いって分かりますよ」

 意識は半分警戒態勢に入っていたので、いくらか無愛想な口ぶりになってしまった。

「君、そんなに目上の人間を馬鹿にするものじゃないよ」

 何だ? この理不尽さ。

「でも、大佐は嬉しかったんですよね?」

 僕の一刺しに参謀は思沈した。


「口の減らない男だな」

 大井参謀は、捨て台詞を吐くと、畳を叩くように手を突いて、立ち上がる。

 「口の減らないのはどっちだ」と思ったが、今の関係とは言え上官は上官である。口を噤んで、彼女の動向は気に掛けないと言うポーズのため、窓の外を凝視した。

 クレーンの航空障害灯が、二つ並んでいて、それが魔物の目のように見えた。

 岸壁は静かだった。日は暮れていたから、コンクリート製の構造が僅かな輪郭を残して、紺碧に溶けていった。


 布擦れ音が僕の耳元にまで届いた。

「何やっているんですか!」

 顔半分振り返ったところで、咄嗟に動作を逆戻しした。

「そんなに可愛いと言うなら、本当にそう思っているか確かめてやろうと思ってな!」

 酒の勢いなのか、それとも、普段の思い切りの良い性格だからなのか、二十歳過ぎの男のいる部屋で、少女は突然軍服を脱ぎ始めた。

「それでなんで脱ぐんです!」

 僕は、その場で立ち上がりつつも、振り向くことも、まして彼女の行動を止める事も出来ず、頭をかきむしるしかなかった。

 この勘の良い参謀のことだ、隠し場所など立ち所に判明してしまうに違いない。

 焦る間もなく、彼女は押し入れを開けようとしていた。




「提督、入りますね」

 僕はその声に振り返ってしまった。

 下着姿の参謀、扉の向こうで声を失う神通。

 彼女は、口に手を当てたまま二、三歩後ずさりをした。


 扉の方を向いたまま固まっていた僕は、座布団の直撃を受けた。

「これでも女だぞ!」

 もう、色々無茶苦茶だ。

 今すぐにでも神通を追いかけたいところだが、参謀から怒りの言葉をまくし立てられ、僕は壁に向かって起立し続けるしかなかった。


 神通の知らせに、叢雲ら三名の駆逐艦が現れたのは、幸運にも参謀がドレスアップした直後だった。

「どうだ、着替え終わったぞ」

 許可を得て振り返ると、四人の艦娘は僕を汚いものを見つける目つきで、参謀の後ろに控えていた。

「参謀に発情するなんて信じられない!」

「あんた、やっていい事と、悪い事の区別も付かない訳?」

「提督ってロリコンなの?」

「不潔です……」


 参謀は、強力な味方を背景に、僕の回答を迫った。

「だから、可愛いって最初から言っているじゃないですか!」

 勿論、この発言が、何の効果もないことは僕には分かっていた。でも、ヤケになっていた僕は、その失策を飲み込む程の冷静さを持ち合わせていなかったのだ。

「それが上官に対する態度か!」

「じゃぁ、どうすれば許してくれるんですか!」

 衆人環視の中、参謀は急にもじもじし始める。


「よく分からないけど、あんたたち、デートにでも行ったら?」

 僕と参謀の言葉の応酬に、すっかり呆れてしまっていた叢雲が命令を下した。

「何だよそれ。

 参謀も困っているだろう」

 苦し紛れに参謀を見つめる――挑戦的な目つきが、彼女の答えで良さそうだ。

 この展開に出遅れているのは、神通と僕だけだ。

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