2013年8月27日火曜日

艦これ~帰国(第二話)

※「艦隊これくしょん~艦これ」のSSです。
 「艦これ~秘匿事項」の続き、「沈んだ世界から」とは別のお話です。




 戦争が終わった。

 深海棲艦との戦いが済むと、艦娘の力を頼りにした我が帝国は暴走。

 最終的に、世界の半分以上を敵に回し、国は敗れた。

 多くの仲間は死んだ――我が依り代は接収され、私自身は故郷に戻ることとなった。

 撃沈や解体が直に死を意味しない事は、過去の事故から証明されている。しかし、その身体が好きな様に触られ、後に標的艦となると思うと、気分のいいものではない。


 終戦の当日、艦娘に関する書類は焼却された。関係者は自害を迫られ、拒めばその場で殺されたという。

 お陰で、我々の存在は占領国軍に漏れず、従軍歌謡慰問団の一人として戻る事となった。

 歌か――まだ人間だった頃の私は、どのような歌を歌っていたのだろう。


 敗戦で、依り代を失い、艤装を外され、全てを失った。

 失わなかったのは、若さだけだ。私は、竣工した時と変わらぬ、小娘の姿を保っている。

 戦いに歩む記憶しか持たない私は、親兄弟の事など何一つ知らない。

 むしろ、自分がかつて人間だったなどと聞かされて驚くばかりだ。


 教えて貰った住所へ、手描きの地図を頼りに、街を歩いて行く。

 実家は、市電と徒歩で三十分。

 人間の住む街というのは、提督に連れられた僅かな記憶の中にしかない。

 人の営み、戦禍に焼かれた家々――復興へ歩み出す人々と、敗れたことで放心している人々。

 それらを眺めつつ、新鮮な気持ちで歩いて行く。


 木造、平屋、瓦葺き。

 家は大きいのだろうか? 近所の長屋に比べれば大きいだろう。しかし、裕福とも見えない。

 かつて暮らしていた土地を目にすれば、少しは記憶が甦るだろうと思ったが、そんな希望は少しも叶えられることはなく、ただ、ただ、茫漠とした記憶の空白があるだけだ。

 いくら思い出してみても、自分がある日、戦艦としてそこにいたと言う事しか瞼に残るものはない。

 一つあるとしたら、竣工後すぐに、酷く不快な男に出会った事だろう。

 私は、人間を見て、特にあれこれ考える事も思う事もなかったが、その男だけは、生来の憎悪が染みついてぐらいに、臓腑が苛ついた。


 私は、私の手によって、多くの人を殺した事、或いはまた、我が体内で多くの兵士が死んだという事に、とりわけ関心を懐くことはなかった。

 それは他の艦娘とて同様である。

 空母連中は、戦果に満足しても、艦載機に搭乗した航空兵の事を気にする者は誰一人いなかった。

 その事で、飛行隊の隊長から殴られ掛けた艦娘もいたようだ。恐らく、憲兵に取り押さえられた事だろう。仮にそうならなかったとしても、艦娘は丈夫だから、返り討ちに遭っていたに違いない。


 後に、そうした感情についてしつこく聞かれた事があるが、自分が人間とは別な生き物であると言う感覚が一番近く、それよりもしっくり来る言葉が見当たらない。

 士官が二等兵なんかを人間扱いしないのとは、何か違うものを感じる――将官クラスでも、見下すに値する人間は沢山見てきたから。

 また、自分の事を特別な存在と感じたこともない――駆逐艦や軽巡の事を見下す戦艦は、私を含めて一人もいなかったから。

 一部、艦長や提督に特別な感情を抱く者もいたが、せいぜい、それ止まりだ。多くの場面で、我々は、彼らをただただ、死ぬ運命にある者としか見る事が出来なかったのだ。




 家の前に来ると、家人が気付いたのか駆け寄ってくる。

 その人は、中年女性で、私の事をハルナと呼んだ。

 その名前が、戦艦榛名ではなく、女性の名前としてありそうな悠菜であると知らされたのは、それから暫く経ってからだ。

 私にすがりついて泣く姿を見て、全く感慨らしい感情の動きはなく、冷静に「きっとこの人が母親なのだろうな」と考えるのみであった。

 そこから、自動的に連想される「父親は?」と言う言葉に、母――と思しき女性は、「ああ、お父様はね、お父様はね」と、震える声で繰り返すばかりで、何の答えも得られなかった。

 その後、祖父――と思しき年寄りがやって来て、様々な事を教えてくれた。

 静かなで穏やかな物腰の彼は、私の表情を見て取ると、私がかつての記憶――私個人としては、そんなものがあったと言う事自体、実に怪しいものだと思っていた訳だが――がない事を悟ったようだ。

 戦死した兄や病死の妹の話、父は終戦の日に自刃したのだという事を聞かされた。

 私は、つまり、数少ない家族の生き残りだと言う事だ。

 そんな話にも、私の心は、微塵も動かされることがなかった。

 真顔の私を見て、祖父は、「軍人として素晴らしい精神を養ったのだ」と喜び、かてて加えて、「この辺りは運良く空襲で焼けなかった。他の地区ではもっと悲惨な家族がいるのだ」と、まるで私から勇気を貰ったかのような口ぶりで、私を褒めてくれた。


 褒められる――深海棲艦と戦っていた頃の事を思い出す。

 最初は、深海棲の駆逐艦を吹き飛ばすだけで喜ばれた。しかし、褒められ慣れも褒め慣れもするものではない。

 あの戦争では、どれほどの人を殺そうとも、褒められもせず、また、艦内で、艦上で万歳の声が上がるにしても、何も喜ぶべきものなどないと言う、実に醒めた印象しか残らなかった。

 そして、ここでも、私は、絶望的なまでに何も感じなかった。

 家や肉親と出会っても、何ら記憶が刺激される事もなかったような、私の"人間らしき"部分の欠如を、俄に教えてくれる。




 私の人間らしからぬ感覚は、次第に周囲に伝わるようになる。

 近所の陰口が聞こえる。

 母は、戦後の物資難から来るストレスもあるのだろう。ヒステリックに私を責め立てる日も多くなる。

 彼女曰く、外見だけそっくり入れ替わった、全くの別人だと――そう、自分でもそのように思う。

 もし、私が少しは人間らしい感情を持っていたのなら、実の母親の心ない言葉に傷ついた事だろう。

 しかし、全く平気だ。


 従軍歌謡慰問団だと言う、偽の経歴は、さっさとはぎ取られる。

 私が、"特殊任務"の為に海軍に召し上げられたのだから、そんな名目で帰国するのは異常なのだ。

 噂は次第に広がる。

 「海軍の何かの実験の実験台だったらしい」とか「似たような境遇の他の娘も、あんな風に空っぽな人間になって戻ってきた」だのと言う事だ。


 私は、この家に長くいられないことを悟ると、唯一、私の事を理解してくれていた祖父に相談する。

 祖父もその事を心配してくれたようだ。

 勿論、それで安堵した訳ではない。極めて冷静に、利用できそうな人間が彼だけであると言う事実を再確認しただけに過ぎない。

 彼は、私がその程度の事しか考えられないのだ、と言う事も含めて、私を愛してくれていた。

「アレも、実家から再婚相手の紹介を受けているようだからな。

 儂も、遠くないうちに、用なしになるだろう」

 淋しそうな顔を見せると、その後の計画を話してくれた。

 近く、私――かつての私――が通っていた女学校が再開されるらしい。私は、卒業までそこの寮に入れば、母親に嫌な顔をされなくて済む。

「卒業後は、静かな所で一緒に暮らそう。その為の蓄財はしっかり残してある。心配することはない」





 祖父の言うとおり、女学校は再編されながらも存続されることになった。

 女学校は、女子大学と付属高校と言う形になった。

 すぐに試験を受け、すんなりと大学に入学。

 時はもう、三十年も隔たっている。私の顔を知るものはいない。


 同級生の子とはすぐに友達になった。

 私が記憶を失った事を告白しても、彼女たちは好意的に接してくれたのだ。


 しかし、それは母のそれと同様、長く続くものではなかった。

 苦痛はなかったが、しかし、愉快な状態でない事も理解していた。

 陰口の中には「あそこまで言われても、学校に止まっている神経が信じられない」などと言うものまである。

 普通の人間なら、そのような嫌がらせに屈するべきなのだろうか?


 窓の外を見渡せば、戦後の傷は静かに癒えていくのが見て取れる。

 占領下の我が国は、戦時中に教え込まれた地獄のような状態に陥る事はなく、戦中の意識と戦後の意識の隔たった感覚は、前者を忘却することによって、忽ち解消されることになる。

 そして、占領軍の兵士と共に持ち込まれた様々な文化は、国民――とりわけ若い世代を激しく順応させ、我が校の生徒も、新しい世界を存分に吸収していく。

 あの時代の、攻撃的なラジオの音声は、どこか浮かれた、軽く丸い声色に変化していた。


 私は金銭的な余裕がない事もあり、休日も部屋で本を読むような日々を過ごした。

 いじめより楽しい事を見つけた彼女たちは、私の事などすっかり忘れて、外で遊んでいる。

 人は、自分に都合良く自分の事を忘れられるものだ。なんと便利な。なんと愚かな。


 学校も最後の年となると、私は主席となっていた。

 尤も、この私の"気持ち悪い本性"のお陰で、教授連は私に好意的ではない。

 生徒達が、進路を決める中、私に届いたのは、祖父の訃報である。




 祖父が亡くなった。

 通夜は? 葬式は? 幾ら読み進めても、そのような記述は見当たらない。

 葬儀は既に済ませて、財産分与の件も手続きが済んだのだという。

 相続権は、私にしかないはずなのでは? そんな疑問は、同封された脅し文句満載の書類を見て、消し飛んでしまう。

 あの母親は、私が望んだとおりの娘ではなかったばかりに、その復讐をしたいのだ。


 母親は、祖父の兄弟の息子と結婚する事が決まった。

 法律がどういうことになっているのか、哀れな女学生には解らないが、兎に角、親戚と母親は、随分と前から策謀を張り巡らせていたに違いない。


 私はどうすることも出来ずに、僅かばかりの預金と引き替えに、全ての関係を断ち切った。

 そこでも、悲しいとか、悔しいという感情は立ち上がらなかった。





 人間関係以外は順調だった。

 よい働き口は、全て調子の良い娘達に配られて、私は小さな貿易事務所で働く事になる。

 古いビルの三階で、木戸の向こうに五つの机が並んだ殺風景な部屋。

 酷く詰まらない仕事だ。

 物静かな事務員ばかりが詰める職場だから、お互いに干渉せず、波風も立てずに日常を消化する。

 ああ、私のような人間もいるのだなと、その時は少しだけ嬉しいような気がした。


 私は、喜怒哀楽のない訳ではない。その対象が人間ではない。と言うだけである。

 暫く観察していると、同僚である細身の中年男性や、丸く無愛想な女性、小柄だが偉そうな顔をしている壮年の男性――それぞれは、それぞれの家庭や交友関係の中で、笑ったり怒ったりしているだろう事が、透かし見えた。

 しかし、そんな彼らを見て、それが幸せであるようにも見えなかった。

 私もああなってしまうのだろうか? そう考えると、自分はもっと早い時期に、人間に歩み寄らなければならなかったのではないか?


 そもそも、私は本当に人間なのだろうか? 除装した時、本当に人間に戻れたのだろうか? 人間と言う実感を未だに持てたことがない。

 姿形は人間である。しかし、やはり、私は他の艦艇と人を同じように扱う事は出来ない。





 平穏な時間はそれほど長く続かなかった。

 六十過ぎぐらいの男に付きまとわれるようになった。

 それは遠目に、心を病んでいるように見えた。

 何にしても、私には異例なほど気持ちの悪い存在で、しっかりと顔を見ることさえ適わなかった。

 遠くから見られると言うだけなので、警察官へ突き出した所で、対応は知れている。それに必要以上に、その男と接触するのも嫌だったのだ。


 更にそれから数日後、ベージュ色をした勤務服のMPが、私を訪ねてやって来た。

 その中で、一番偉そうな男が「我々が来た理由が分かりますね?」と優しく訊ねる。

 通訳と思しき背広の日本人が、日本語訳で伝えようとしたが、私は英語が分かったから、彼の言葉の前に「ええ」と短く答えた。




 ジープに乗せられ、彼らの接収したホテルへと向かう。

 ホテルは、鉄筋コンクリート造りの立派な建物で、占領下の我が国じゃなくても、私の安月給ではとても近づけそうもない威光を放っていた。

 私は、犯罪者扱いされる訳でも、また客としてもてなされる訳でもないような、中途半端な豪華さ、少しの粗末さを持つ応接室へと通される。

 どうしたものだろうか?

 彼らが艦娘の存在を知ったのは間違いのないことだ。そうでもなければ、こんな地味な女を引っ張ってくる理由がない。

 占領軍は街中では紳士的だが、必ずしもそうではない。彼らを相手にした商売女が酷い目に遭ったなんて噂話も聞くし、事実、我が国を占領しているのだから、その財産や身体の安全は、彼らの自由である事を忘れてはならない。

 故に、ここで身体検査を行うから、すぐに着ているものを脱いで見せろと言われれば、素直に従うしかない。

 覚悟を決めた――と言う寄りも、覚悟は戦に敗れてから決まっていたようなものだ。


 そこで私は、長く待たされた。

 小一時間ほど経っただろう。白髪の紳士が入ってきた。

 ポマードをなでつけた頭は、綺麗に整っていて、髭はなく、人なつっこい目をしている。彫りの深い顔の作りに、更なる深い皺が刻まれている。

「やぁ、我々はもう、殆ど諦めていてね。今はもう、興味本位なんだ」

 私の緊張を取ろうとしているのだろうか?

 男は、急に話しかけたことを詫び、名前を名乗った。

「キール大佐だ」

「私は……」

 と答える所を、手で制止した。

「ハルナ・ヤマモトだね……でも、君は長門と呼ばれた方がしっくりくるだろう。

 情報を必死に集めているが、情報は断片的でねぇ――帝国海軍の連中は、艦娘の存在を知っていても、誕生の秘密を知っている奴は誰もいやしない。

 一人だけ死に損ないがいたが、精神がやられていて、まともな事なんて一言も喋れないと来ている」

 ぼやきにも似た説明は、長く続いたが、詰まる所、その男を泳がせたら、私に行き着いたと言うことである。

 私は、その男の写真を見せられて、それが竣工の時分、一度だけ見たあの不愉快な男なのだと、漸く思い出す事が出来た。

 何故、今まで気付かなかったのだろう? 人を見て不快に思うと言う事は、実にその時と、最近の付きまといの二度だけに限ったことなのに。

 私の顔色が変わったのを見抜いた男は、目つきを挑むような鋭さに変え「何か知っているかね?」と訊ねる。

「私も分かりません。

 私が竣工された時、一度だけ会った事があるんです。祈祷師の一人だとか説明されました。

 当時の彼は、三十代ぐらいに見えましたね。酷く不快な顔つきだったので、よく憶えています」

 占領軍は、祈祷の存在までは掴んでいたようだ。そして、歳を取らないと言うことも、海軍の人間を取り調べればすぐに分かった事だろう。

 問題は、その儀式の方法や、儀式に至るまでに、人間だった頃の私が何をされたかと言うことである。

「君は、記憶を失う前の自分に戻りたいと思わないかね?」

 男は、私がイエスと答えるだろうと、自信満々の表情で聞いてきた。

「ノー、サー」

 彼はもう一度「前の自分がどうだったかに興味がないのかね!」と語感を強めて聞き返してきたので、私はきっぱりと答えた。

「私は戦艦長門だ。竣工した日が産まれた日だ。その前に私などないし、いたとしてもそれは私ではない」




 それからも、幾らか尋問が続いたが、分からない事続きに、男は手を上げた。

「もうどうしようもないね。

 何か思い出したり、思い出したくなったら、また来てくれ賜え。

 ああ、あと困った時にもね。君に恩を売れれば、その分我々もやりやすいだろ?」

 と嫌み半分に席を立った。

 暖かみのある手と握手すると――今思えば、人と握手したのは、恐らく生まれて初めてだ――「冷たい手だね」と私に聞かせるでもなく独りごちて、私を見送った。


 私に付きまとっていた祈祷師は、MPに逮捕されたのだろう。それ以降、見かける事はなかった。




 人間は迷うものだという。

 私は迷わない。迷いが戦いに大きく影響するからだ。

 戦いに勝つことしか頭になかった。

 戦いに勝てば多くの命が救われると、艦長や参謀、提督は私達を褒めてくれる。しかし、私達は、別に、人間の命がどうか、と言う事に関心はなかった。せいぜい、そうした顔見知りの人間達の命が少しばかり大切だと思うぐらいのことだ。

 私は、迷わないことや、後悔しないこと、悲しみに沈まず、苛立ちや怒りを持たないという、人間にとっての美徳を兼ね備えている様に見える。しかし、どうだろうか? 心が安定していても、身の回りの問題はこれっぽっちも解決していないではないか。





 占領国軍が私を尋問してから暫くすると、艦娘の秘密は少しずつ漏洩していった。

 そして、その眼差しが私の足下に注がれる時が来るのは、それほど長い時間を要するものではなかった。

 新聞や雑誌、噂話で行き交う情報は、何から何まで不規則で、嘘だらけで、悪意と卑小さに満ちていた。




「君は、本当に元、艦娘かね?」

 質問ではなかった。事実上の解雇通告である。

 静かな同僚達の視線が、人間に対して注がれるものでなくなった。

 彼らはその内気な性分から、私を責めることをしない。全てを、目線だけで行う。


 机の上に私物はないので、私はお弁当箱だけ持って、事務所を後にする。

 往来に出れば、視線が一点に注がれる――それ自体は不快ではない。

 陰口には慣れている。

 私の事を、大声で貶す酔っぱらいが現れるが、私の睨みを浴びせられると、遠吠えを吐きながら遠ざかる。

 何処からか石が投げつけられる。

 私は戦艦だ、そんなものでは痛くも痒くもない。


 大家からは部屋を出ていけと言われる。

 荷物は、勝手に処分されていた――尤も、私物は本ぐらいだ。

 失うものなんてない。


 日が暮れていく。

 私をナイフで刺そうとした男も現れた。

「刃物では殺せないよ。次来る時は、30サンチ以上の大砲を持ってくるんだな」


 私に対する言葉は、人殺しであるとか、敗戦の責任を負えとかそう言うものであった。

 ここで漸く怒りが目覚めてきた。

 私は、こんな人間の為に三十年も戦ってきたのか! 半分は深海棲艦と、もう半分は人間と。


 怒りから少し遅れて、悲しみが流れ込んできた。

 すっかりと夜のとばりも降りると、にわか雨が降ってきた。

 腐っていく街の中を、傘も差さずに歩いて行く。

 寒さなど北氷洋の冷たさに比べれば……





「貴様、長門だな!?」

 またか……この国がこんな風になったのも、自分たちが苦労したのも、自分とは無関係に戦争を始めた軍人や、その兵器の仕業だというのか。

 好きなだけ罵倒しろ。それで、自分の愚かさが忘れられるのなら。

 無視するように道を急ぐと、「貴艦は、我が国になくてはならぬ存在。我々に付いてきて欲しい」と大音声を張り上げた。

 往来の真ん中だ。多くの人が、私に注目する。

 そうして、再び嘲罵の陰口が聞こえる――聞こえないように気遣っている様に見せて、しっかりと耳に届く様に。

 私を誘った男は、二十そこそこの青年で、目つきが何かに憑かれたように見えて、異様だ。

 しかし、夜露がしのげるような場所は、他に思いつかない。

 どうにでもなれと言う気持ちも混じり、私は、その半ば狂人と言える男に付いていく。




 黒い雨に濡れながら、白いブラウスの私と、黒服の男が黙りこくって歩いて行く。

 行き着いた先が地下室だというのだから、演出としては上出来だ。

 彼らは極右活動家らしい――私は、彼等にとって、単純に力の象徴として、つまり、広告看板として必要だったのだ。

 かび臭い湿った部屋に入ると、七人の男がどよめいた。

 皆、一様に黒いシャツを着ている。

 敬礼する姿を見ると、二人を除き全員が軍人の真似をしているだけにしか見えなかった。


 参加者は、私の入会を喜び、口々に私の事を、崇めるような目つきで褒めそやした。

 一番年配の男は、これで我々の活動も益々の勢いを云々と祝辞とも、独り言とも付かぬ言葉で、その場の空気を整え、彼らの会合が始まる。


 彼らは何かにつけて、"国体が、国体が"と主張する。

 あらゆる行動の理由が、国体を取り戻すとか、国体を維持するとか、そんな事に結ばれる。

 しかし、よくよく聞いてみれば、彼ら一人一人の想定する国体とは、それぞれ点でバラバラである事が分かった。

 ここにいる連中は、余程の馬鹿なのか、それとも、それを取り上げてしまえば、会が空中分解してしまうと分かっているのかのどちらかであるのは間違いないようだ。

 彼らの共通項と言えば、自分たちが威張り散らせる社会を望んでいると言う一点だけで、戦争に負けた原因や理由にさえも全く言及しない。

 否、負けたことさえも、欧米に搾取されるがままだった、このアジアの地で、小国である我が国だけが、超大国に挑戦出来たのだと、満足げに語る。その夜郎自大な姿を見ると、街行く小人どもよりも、頼りなく、情けない存在に見えてくるのだ。


「もう沢山!

 貴様達は、自分の妄想の中で好きにやればよい!」

 地下室から出ようとする私を取り押さえようとするが、それを力でねじ伏せる。

 扉を開くと、表にいた別の男が、拳銃を構えている。

「この私にそんなものが通用すると思っているのか!」

 人を殺す覚悟などないのだろう。私が、一歩踏み込んでも、発砲できずにいる。

 手を伸ばしても、それを払いのける事も出来ず、目を見開いて息を荒くするだけだ。

「見てみるといい」

 私は、拳銃を奪い取ると、銃口を己のこめかみに向け、引き金を引く。

 銃身が微かに跳ね上がったお陰で、弾道は、私の頭蓋骨に鈍角で入る。その為、弾丸は跳弾して、天井に飛び込んだ。

 乱れた髪を手ぐしで解かす。黒髪を振り乱して、私は階段を上がっていった。

 あの連中に、私を追いかける勇気などあるまい。





 再び往来だ。

 時間は随分と経っている。

 街の明かりはすっかりと消え、暗黒の街路が私を飲み込もうと待ち受けているように見えた。

 いい事があるとすれば、雨がすっかり止んでいたと言う事だけだ。


 私は、海を奪われ、戦いを奪われ、僚艦を奪われた。

 ビッグ・セブンの誇りは、大学の寮に置いてきた。

 労いの言葉もお金もいらない。

 私を憎むことで自分たちの恥ずべき歴史を忘れたいというなら、好きに利用するが良い。

 私には他に何が残っているのだろうか?

 老いぬ、丈夫な身体……ボディガードぐらいは出来るだろうか?


 私は歩き出した。

 公衆電話など、先ず機能していない。

 喫茶店で電話を借りようにも、軒並み閉まっている。

 車で数十分の道のりを、二時間近く掛けて歩く。

 体温が上がって、服は生乾きなのか、汗ばんでいるのか分からないぐらいになった。

 行き先は地方軍政部となっている、あの美しいホテルだ。


「夜分申し訳御座いません。

 参謀第2部のキール大佐に、長門が来たとお伝え願えないでしょうか?」

 英語でそのように伝えると、衛兵は詰め所に指示をだし、電話を掛けさせていた。


 そう言えば、海軍時代、参謀が言っていた。

 人間と言うのは、多少人間に問題があっても、言葉の通じる奴を信じるものだ。と。

 あの兵士も、私が日本語しか使えないただの小娘なら、門前払いしていたことだろう。

 参謀と、使える英語を教えてくれた講師には感謝しなくてはならない。


 再び長時間待たされる。

 黒人の兵士も、気遣ってくれたようで、椅子とコーヒーを出してくれた。

 金剛だったら、どんな顔をするだろうな。




 空が白んで来た頃、漸く秘書の男が私を呼びにやって来た。

「なんて事だ。こんな時間に起こされるし、賭けには負けるし!」

 以前と劣らぬ、ばっちりと身なりを整えた紳士が立っている。

「君が、今日の正午までやって来なかったら、10ドル勝っていたんだ」

 そんな事の為に……

「まさか、あんな風説を流布したのも貴方ですか?」

 純粋に疑問として聞いたのだけど、男は面白い質問だとばかりに、片眉を上げて「怒ったかね?」と聞き返した。

「ちっとも」

 大佐は、口早に「それはよかった」と返事をし、勿体ぶった態度で事情を説明した。

 艦娘の事は、日本の記者が嗅ぎ付けていたらしい、今まで占領軍の検閲で引っかかっていたが、艦娘についての情報不足の余り、新聞社や街の噂を利用したのだと言う。

「賢い選択ですね」

 これも、嫌みのつもりで言った訳ではないが、大佐はそうとは思ってくれなかったようだ。


「ここに来たと言う事は、我々に利用されることを承諾したと受け取ってよいのだね?」

 彼は親切にも、そのように忠告してくれた。

「どの道、容易に死ねる身体ではありません。苦しみの中朽ち果てるなら、解剖でも何でも好きな様に」

「気の強い女はタイプだよ」

 私の覚悟を、大佐は嘲笑った。

「君を解体するなら、余程の準備が必要だね。

 だが、我々は解剖学者じゃないからね。生き物を調べるのに、生き物を切り刻む必要はないんだよ。

 そうだな、心の方は、そうは行かないのだがな」


 彼は、私に退行催眠を掛けて、儀式の事を思い出させるつもりらしい。

「君が忘れてしまっていると言う事は、きっと苦しい記憶なのだろう。それでもよいかな?」

 彼は親切な男だ。そこまで聞いて、ノーと答えられる筈がないのに、しっかりと説明してくれる。

「それで、少しは人間らしくなれるのなら、悪い選択肢でもあるまい。

 死ぬまで面倒を見てくれると言うなら、それぐらいの苦しみは諦めなければならないしな」

 「見上げた根性だ」彼は口笛を吹いて、口元をほころばす。


「今日一日は、部屋で静かに過ごせ。

 本が好きだったかな? 書棚の本は好きに読むがいい」

 私は、別に読書好きという訳ではない。学生の自分は、そうするより他がなかったからそうしていただけなのに……




 朝食と朝寝、シャワー、昼食、そして読書で時間を潰す。

 ディナーは、再び大佐に呼ばれ、「娘のお古だが」と渡されたドレスは、丁度よいサイズだった。

 きちんとしたコース料理に手間取る私に、紳士は作法を優しく教えてくれる。

 懐柔しようとでも言うのだろうか? その疑問を率直に尋ねると、

「まさにその通りだよ」

 と真顔で返された。真意だろうか、どうなのだろうか? 人間は分からない。

 食事は、とりとめのない会話で過ぎて行く。


「今度は、海軍の人間と話すといい、もう少し楽しい会話が出来るかもしれない」

 彼の提案に、すかさず私は「私はただの船です、戦術論はどうも……」と返事をすると、「謙虚だね」と笑われた。

 この男の視線が遠い事に気付いたのはこの時が初めてだった。




 翌朝、朝食とシャワー、少しの自由時間の後に、私は、催眠術師のいる部屋へと通された。

 催眠術師は、白いジャケットを着た、実に普通の青年だった。胡散臭さどころか、むしろ好青年であると言っていい。

 赤毛で微かにそばかすが見えて、童顔だが、身長は180センチを超えている。

「今朝の体調は?」

 そこを切っ掛けに、心理面のチェックや、記憶のこと、また、記憶をこれから探ろうとする事に対する不安などが聞かれた。

 男は落ち着いていて、こちらも実にリラックスできた。

 術はどこからともなく始まり、気付けば、自分は記憶の門前へと立たされていた。


 私の本当の最初の記憶は……ここは私の依り代。

 戦艦長門の内部は、配線一つ、扉のネジ一つまで把握している。

 ただ、この部屋は、よく分からない部屋だ。いつも祭壇があった気がする。

 小さな部屋だ――窓もなく暗い、どこかじめっとしている。

 部屋から出ると、白装束の男が沢山見える。

 血? 手や身体に血が付いている。


「もっと深く」


 ドックの中だ。

 建造される私の姿を、私が俯瞰している。

 何処からだろう?

 上の方? 否、下の方?

 至る所に視線がある気がする。


「もっと深く」


 ここは……暗い。

 兎に角周囲が暗くて冷たい。

 流れ? 水? 水中なのか?


「もっと深く」


 これは私の身体ではない!

 しかし、自分の身体としての意識がある。

 沈んで行く。

 撃沈だ。

 私はいつやられたのだろう?

 見知らぬ海域。

 この海は何処なのだ?


「もっと深く」


 旧式の艦艇が見える。

 だが新しい。

 私もか? しかし、私は誰と話すことも出来ない。誰も、私に気付かない。


「もっと深く」


 また闇だ。闇の中にしかいない。

 きっと、さっきの水の中だ。繰り返しだ。

 もういい、同じ事の繰り返しだ!




 気が付けば、全身から汗が噴き出していた。

「シャワーを浴びるといいよ。

 今日はここまでだ。また体調が良いときに続きをやろう」




 キール大佐は、私が平気な顔をしているのに、大変満足したようだ。

 その日のディナーも二人で過ごすこととなった。

「大佐、こんな事が、貴軍のお役に立ちますか?」

 気付いていた。私は、何かの為にならないと意味がない自分というものに。

「評価するのは我々じゃない。

 気にしないでくれ。君の身分は向こう五十年保証される書類を作ったよ。

 なんと大統領令だ。

 上手く行くも行かないも、君は安心していれば良い。

 勿論、調査にはとことん付き合って貰うがね」





 翌日も悪い気分ではなかった。

 だから、退行催眠を受けるのはやぶさかではなかった。しかし、赤毛の男は、連日やるのは良くないと拒否し、その日は、ただ、本を読んで過ごすだけで終わった。

 そんな風に、無駄な休みを挟みつつ、退行催眠は七度続けられた。

 しかし、呼び起こされるのは、同じ記憶ばかりで、私が人間であった頃の記憶など、一つも思い出せない。


 気分が悪くなる事はなく、むしろよい運動をした後のような爽快感すら感じていた。

 一つだけ気になることは、記憶の曖昧な「小部屋」とそこから出るときの血糊だ。

 パターンを変えて、何度も出てきたので、少しだけ気味が悪い。

 思い起こせば、そんな事もあった気がする。


 占領軍も、私からそれ以上の情報を引き出せないという結論が下ったのだろう。一つだけ実験すると言われて、それが済むと、他の艦娘の捜索が行われた。

 私としては、その実験が何の実験だったのかよく分からない。

 夜と朝に、簡単な身体検査を受けたのと、一晩、小さな部屋で寝かされただけだ。

 特別な計器か取り付けられた訳ではない。ただ、鏡とベッドだけの部屋で寝かされただけだ。それ以外はがらんどうで、白いタイルばかりが目に付いた。

 寝言か何かを記録したかったのだろうか?

 その晩について、何か聞かされる事は遂に訪れなかった。





 実験が終わると、占領軍の私への感心は急速に薄れたようだ。

 一方で、全ての艦娘が大急ぎで集められた。

 他の戦勝国の介入を恐れたのだと思うが、私としては、ただ、仲間と出会うことが出来たと言う喜びでいっぱいで、それ以外を気にする余裕はない。


「長門!」

「陸奥! 無事だったのか!?」

 爆発事故で轟沈したと思っていた陸奥は、その時、上陸していたようで、彼女自身は怪我一つなかった。


 着底や転覆など、状態を残したものは、艦娘としては大体無事で、戦艦五隻、空母六隻、巡洋艦十一隻、その他、駆逐艦や潜水艦を含め百名近くが残った。

 他の艦娘も、私と似たような境遇にあったらしい。

「実家に戻っても、白い目で見られちゃって、もう、厭になっちゃう」

 陸奥は明るく振る舞っているが、深く語らない所からすると、彼女も苦労したのだろう。


 依り代となる艦艇本体は、戦勝国に分担された。

 艦娘の身柄を寄越すように強く求められたようだが、キール大佐のお陰か、我々がバラバラになることはなかった。





 占領軍は、私に対する約束を守った。

 米国本土、南西部郊外の施設に身柄を移されたのは意外だったが、その生活は思いの外良いものだった。


 周囲を壁に囲まれた、緑多い農村。

 檻の中に閉じ込められたようなものだが、そのような生活は、終戦前と変わらない。


 僅かながら小遣いが支給され、通信販売を楽しんだ。

 早い段階で、マスコミの取材を受け、外界との接触が許された。

 更に時代が下ると、日帰り限定だが、近くの街へと遊びに出る事も出来るようになった。


 内職のような仕事から始め、農作物の販売、自叙伝の出版など、徐々に自分たちで仕事を作るように薦められ、それは概ね満足行く結果を得ている。

 インターネットが許可されてからは、仕事の幅も広がり、外部の友人も増えた。

 彼ら、彼女らの来訪も、限定的ながら許された。

 母国での心象も改善している。この前取材に来た日本の女性タレントは、過去の事など知らないかのように、好意的に接してくれた。


 この六十年というもの、我々艦娘は、"人間らしく"なれたのだろうか?

 最近は、クロスロード作戦の映像を見ても、胸が痛くなることがなくなった。




 気になることは幾つかある。

 一つ目は、約束の五十年が、自動更新で六十年、八十年、最近では百五十年まで伸ばされた。

 今の状態に安寧しているので、私としては気にならないが、退屈を感じる艦も出てきている。

 担当者曰く、艦娘の謎が完璧に解き明かされるまで無理だとの事だ――そうは言うものの、調査らしい調査は、私や他の艦娘に対する"実験"以降行われた事がない。


 もう一つの謎は、外部の人間――と言うより、管理している人間もそうだが、夜間、我々と接触することは厳しく禁じられている事だ。

 キール大佐も、赤毛の催眠術師も、実験の日以来、会う事はなかった。もう、彼らは彼岸の人だろう。

 特に、大佐から戴いた、娘の品だというドレスやアクセサリーを、私はどう扱えばいいか分からない――そして、どうして私にそうしてくれたのか、質問することも叶わなかった。


 だが、今となっては、どうだっていい事かも知れない。

 深海棲艦は相変わらず現れているが、流石に、我々を担ぎ出そうと言う輩もいない。

 全て終わったことだ。

 それに、今なら口ずさめるぐらいの歌があるのだし。

0 件のコメント:

コメントを投稿