2014年4月5日土曜日

艦これ~沈んだ世界から 第十話

 紺碧の海を行く。海戦の最中でなければ美しい光景だろう。

 浮かぶ雲は、人間の些事など無関係にのどかだ。


 オーストラリア海軍のフリゲートは、機関を改造してあるのだろう。二十ノット以上出している我々の艦隊を、どうにか追尾出来ている。

 敵第二戦隊は、我々の魚雷によって完全に排除された。

 後方からは、敵第二戦隊は、相対速度がほぼゼロのまま後ろに貼り付いている。

 問題のフリゲートが、少しでも速度を落とせば、もう、深海棲艦の餌食は必至である。


 何につけても、このまま逃げ切れれば、我々の勝ちだろう。

 しかし、運の悪いことに、攻撃隊を着艦させた頃から、南からの強い風を受けるようになった。

 向かう先には黒々とした雲が見え始める。低気圧が、風を集めているのだ。

 船は速度を上げているから、艦首側に飛び立つも、艦尾側に飛び立つも、翼は揚力を得られない。

 こうなると、両手を縛られたまま走り続けるしかないのだ。


 しんがりを愛宕さんから、榛名さんに交代して、後方を確認する。

 愛宕さんの視界では、後方にせいぜい10海里ほどしか見えないが、榛名さんなら20海里以上先まで見えるからだ。

「まだ、深海棲艦の先頭が見えるだけです」

 彼女の緊迫した声が聞こえる。


 我が艦隊は、なるべく海峡の中央に向かうように舵を切っていく。

 相手が重巡クラスである以上、我々の航跡を追尾する以外に我々の居場所を知る事は出来ない。

 回り込まれるにしても、戦艦の射程があれば、アウトレンジから撃破が可能だ。

 それならば、なるべく戦いやすい所に出るべきだ。


 ただ、我々がひとかたまりで行動している事は、次の面で不利である。

 敵が後方で、艦載機や艦上機をさせたとすれば、我々は直掩機も出せずに防空戦をする事になる。

 嵐よ、早く近付いてくれ!




「テイトクー、前方から軽巡が突っ込んでくるヨー!」

「各艦、前部砲門開け! 魚雷を撃ち込まれる前に沈めるぞ」


「提督、九時の方角より、駆逐艦接近です」

「軽巡、駆逐艦各位、水雷戦用意!」


「魚雷です! 皆さん、回避して下さーい!」


 何となく、状況が見えてきた。

 これは消耗戦だ。疲弊も狙っているだろう。

「各艦、なるべく弾薬の使用を控えて下さい。敵は、弾薬の浪費を狙っています!」


 それからは、回避、回避で進んでいく。

 潜水艦からの魚雷、駆逐艦の突撃を、回避と言う形で切り抜けていく。

 こうなると、深海棲艦の接近も厭わないで戦うしかない。その為、副砲や駆逐艦からの射撃は、至近距離で確実に仕留めるようにした。


 低気圧が近付き、空が白く濁ってくる。

 雨が降り始め、それは次第に強く叩き付けるようになってきた。


 陣形が崩れては立て直し、立て直しては次の攻撃があると言う具合に、必至の操船が続く。

「防空戦開始! 陣形を複縦進に、相対距離を広めにとって下さい」

 一番恐れていた事態だ。攻撃機の群が見えたとなれば、今までの消極姿勢は許されない。

 深海棲艦上機の独特な"羽音"が近付いてくる。

 高角砲に、高射機銃が火を噴いていく。


 「ああっ!」や「きゃぁ!」と言う悲鳴が聞こえる。

 「大丈夫か!」と言う声かけは我慢した。今、必死で蠅を叩いているのだから、邪魔してはいけない。


 吹き荒れろ、我が艦隊の航空戦力を使えなくしたのだから、それぐらい助けてくれたっていいじゃないか!

 そんな願いを嘲笑うように、雨風の調子は良くも悪くもならなかった。

 不幸中の幸いに、波は立つようになってきた。これなら、潜水艦が潜望鏡を出す事は適うまい。




「提督、後方の戦隊が追い上げてきています。相対距離17海里、確実に縮まっています」

 怖いのだろう。榛名さんの声は、少し上づっている。

 我が艦隊は、誰の目にも危機に陥っているからだ。

「榛名さん、威嚇のために後部砲塔のみで射撃をお願いします」

 これで散ってくれるって事はないか……

 榛名の後部主砲四門は、深海棲艦の列を先頭切って走る重巡を夾叉した。

 敵までの距離が15海里以上も離れているのに、初弾命中や夾叉なんて事が出来るのは、艦娘ならではだ。逆を言えば、これ程の離れ業が出来なければ、人類は到底深海棲艦に勝てないだろう。

「次弾装填しますか?」

「いや、やめておきましょう。榛名さん、よくやってくれました」

 夾叉とは言え、17海里離れた場所に四発しか落とせないのでは、時間が掛かって仕方ない――いつでも沈められると言うのを見せつけるだけで、プレッシャーになってくれるはずだ。

「全艦、第四戦速! 是が非でも逃げるぞ!」

 弾薬と燃料、どちらが大切かと聞かれれば、この場合弾薬だ。燃料は途中で調達出来でも、弾薬は難しい。せいぜい機銃用が少し手に入るぐらいだ。


「テイトクー! 前方から重巡がぁ~」

 金剛が気付いてから、僕が双眼鏡で艦影を確認できるまで何分と掛からなかった。

 相対速度はざっと50ノット以上はある。

 どうする? 逃げるか? 背を見せた方がヤバイな。速度も落とせないな。

「敵も焦っているに違いない。

 戦艦、重巡の一斉射のあと、最大戦速で突き抜ける。

 副砲、魚雷発射管の用意も急いで下さい」

 敵との反航戦突入まで、三十分と掛からない。

 しかし、それまで主砲を打ち続けるのでは、弾薬が持たない。

 何より、未だに空爆の脅威は去っていない。


 一思案していると、「最悪だな」と、殆ど何も考えずに口を突いて出てきてしまった。

 金剛は、それを俊敏に拾って、すぐにフォローしてくれた。

「ワタシの国の諺に、こんなのがアリマース。

 "今が最悪"って言える間は、 まだ最悪じゃないって!

 重巡相手に何ビビってるんですかー。

 テイトクの為に行きますよ! Fire!」


 勢いに任せて叩き込んでも……と思っていたら、二発の徹甲弾が命中したのが分かる。

 深海棲艦の有機的な部分が吹き飛び、新しい金属質の内臓が見える。

 一瞬前の印象は、高雄に撃ち殺された例の士官だ。肉片と血潮が黒々とした海原に揉まれていく。

「第二射準備!」

 僕は双眼鏡から目を離さず、事の推移を見守る。

 黒煙が立ち上り始め、後続の艦が、これを避けようと転舵するのが見える。


「とーりかーじ!」

 大破した重巡と、その黒煙により、正面の戦隊は、我々を捉えられないだろう。

 時間を稼いだから、後続の敵第一戦隊について考えられる。

「榛名さん」

 僕が声を掛けるのと同時に、彼女から入電があった。

「オーストラリア海軍の艦が失速しています!」

 オーバードライブさせて、機関が焼き付いたのだろう。煙突からは黒煙が噴き出しているという。

「好きで付いてきたんだ、気にする必要はない。このまま、抜けるぞ!」


 僕は、問題のフリゲートを無視して進む事を決めた。

「いいのでしょうか?」

 榛名は優しい子だ。ブリスベンにいた時も、人間に対してあまりいい思い出がないはずなのに。

「人類の為だ」

 この大袈裟な理由は、今の段になっても本気で言っている。

 艦娘を残す事こそ、人類の希望だ。深海棲艦を排除して、人類の尊厳を取り戻さなければならない。


 タンカーを見捨てた時も、そして、このフリゲートを見捨てる時も同じ気持ちだ。

 僕は努めて非情になろうとしているのではなく、全く、海の上で人が死ぬと言う事に、一つとして顧みるものがなかった。天龍が弾を貰って、乗員が死傷した時だって、肉質的な感覚を得なかったのだ。一キロ以上も離れた船の事を考えられるものだろうか?


 こういう場合にありがちな、「今日百人殺して、明日の一万人を救えるなら、僕は喜んで百人を殺す」と言うのも少し違う気がする――そのような発言を求められるのであれば、僕は自分の本当の気持ちを隠すために、この文句を吐く用意があるけれど。

 本当の気持ちとは、顔も知らぬ大多数の"人間"よりも、艦娘の方が、僕にとって余程"人間的"であるように思えたからである。

 勿論、これは、他人と身内の違いだと言われれば、それに違いない。また、人間社会に馴染むことが不可能であろうこの子達が、何の落ち度もなく戦いに身をと怖じなければならないと言う事に、僕自身が憐れんでいるのだと言われれば、それも強いて否定しない。

 だが、そうした、個人的な感情の裏には、何かもっと根本的な何かが、僕の本性に囁きかけている気がしているのだ。

 その何かが何であるか、叢雲達に出会ったあの日から、ずっと考えていて、未だに答えは出ていない。


 何にしても、僕は艦娘のいない、ただの船には何の興味も抱かなかった。

 再三、後ろを確認させたのは、無駄な動きで、我々の作戦行動が疎外されるのではないかと恐れていただけだった。

 否、むしろ、このような結果を望んでいた。僕はそう言う男だ。





 我々は、正面の重巡からなる戦隊を躱しながら前進し、魚雷を放つと、嵐の中に逃げ込んだ。

 後方からの戦隊は、フリゲートを飲み込まんと、囲うように減速した。豆鉄砲のような4インチ砲の発砲音が二発ほど響いたが、その後の事は、水平線の向こう側の出来事である。


 幾つかの弾を戴いた艦娘達に、暴風雨は辛く当たる。

 尤も、航海に支障を来すほどのダメージを受けたものは一人も居なかったのは幸いである。

 足は強速まで落とし、嵐の中を歩んでいく。


「みんな、有り難う。

 ここを抜ければ、安全な海だ。

 日本へ帰ろう」

 実質、日本に行ったことのない彼女たちに、日本に帰るという表現をするのは不適当かもしれない。しかし、彼女たちが、曲がりなりにも"日本"を知っているなら、その言葉は悪くないかも知れない。

「みんな一緒に帰りマショウ」

 金剛は前を見据えながら、蝋のような頬で呟いた。




 嵐が収まることはない。

 食堂では、また、二人きりの食事だ。

「回転翼機が実用化されれば、艦の間の行き来も楽になるんだろうけど」

 僕が、陸軍の研究しているというオートジャイロや、技本の連中から聞いた、海外で研究されているヘリコプターの話などを思い描いていた。

 それは、少年っぽさの残る、熱い夏休みの夢想のようなもので、悪意も他意もなかった。

「金剛と二人っきりじゃ、不満デスカ!?」

 金剛がふくれっ面をしているのには、いくらかの原因がある。


 それは、旗艦を金剛に移したその日の晩に発覚した事件に始まる。

「テートクの為に、カレーを作ります!」

 と鼻息荒く始めたものの、出てきたのは、チキンスープにカレー粉が溶け込んだような――僕から言わせればケッタイなシロモノであった。

 別に喰えたものではないとか、そんな酷い事はないのだが、こんなものが毎日続いたら、地味に嫌だなと言う程度の料理であった。

 彼女は、別に料理が下手というわけでも、味音痴と言う事もきっとないと思うのだけど、しかし、作る料理のバリエーションが、妙に戴けない。

 作る手際は悪くない。ローストビーフだの、ビーフシチューだのは、肉の在庫が切れてしまわなければ、もっと食べたい味だった。厨房に立つ姿は「良い奥様」であったのも分かる。

 だが、僕は、そこで敢えて、「今日ぐらい僕が作るよ」と言ってしまった。


 彼女にとっては、僕に料理を作る事や、二人っきりの生活――よく周囲から無線で茶々を入れられるのだが――を実に楽しんでいるから、それを横取りされるのは、幾らか不機嫌な出来事だったのだ。

 そして、何より腹が立つのが、僕の作ったものの方が美味しいことに、彼女自身気付いてしまったことなのだ。

 彼女のような性格の女性は、その感情を隠し通すと言う事が出来ない。

 僕の料理を一通り褒めた後、すっかり拗ねてしまったのだ。


「ほら、日本に来たら、色々食材も揃っているし、そこで日本食を勉強するといいよ。

 給糧艦の間宮さんも、軽空母の鳳翔さんも料理上手いし。

 手際はいいんだから、すぐに上達するよ!」

 僕は褒めたつもりだが、しかし後で考えれば、半ば貶しているようにも取れる発言だったと反省した。


 金剛は、持ち前のポジティブさか、或いは僕に対する遠慮からか、日本への帰還を待ち望む言葉を貰った。

 「そろそろ、海軍のカレーが恋しくなった頃だろう」大井参謀の得意気な顔が目に浮かぶ。

 そんな風に、夢想に入り浸れば、「テイトクー、何笑ってるんデスカー!」とお叱りの言葉を受ける。

「何でもないよ」

 と答えてみても、疑いの目を変えぬままでいる。

「金剛さんも大切だよ。他のみんなもね。

 だから、こうして逃げるんだよ。戦争することが目的じゃないんだから」


 僕は、この発言で、また金剛がふくれっ面になるだろうなと覚悟していた。

 それも可愛いところだと、笑って誤魔化す心の準備をしていた。

 にんまりと、彼女の顔を見返すと、寂しげな表情を見せながら、こう呟いた。

「日本に行っても、戦うのは一緒デショ?」

 確かに、深海棲艦がいる限り、それと戦わなければならないのは確かである。そして、我が帝国海軍とて、オーストラリア海軍と似たような扱いをしない保証はない。

「もし、そうなら、また逃げればいいじゃないか」

 僕は、それでも、このことは楽観的に考えようとしていた。

 何処に行けど、相手が軍であり、それが政治の延長である限り、我々はしたくもない戦いを強いられるだろう。だが、彼女たちは、自分から望んで軍艦になった訳じゃないだろう。僕が望んで貧しい家に暮らしたわけじゃないのと同じで。

「軍人がそんなこと言ってはイケマセンヨ」

 金剛は、僕の不用意な発言を戒めるように、少し大人ぶった口調をしていたが、唇の端から溢れる嬉しさは隠せないように見えた。


「テートクは、この私が守るんですから!」

 突然、席を立ち、机越しに、僕の顔に迫ってくる。

「それなら、僕は、人間から君たちを守るよ。

 絶対に、人間のために沈めたりやしない。絶対にだ!」

 僕は、その顔に覚悟を決めたのか、それとも、金剛に覚悟を決めろと無言の圧力があったのか、今となっても整理がつかないが、いずれにせよ、僕は覚悟を決めたのだ。


「私のテイトクは、そうこなくっちゃ!」

 僕の気持ちは上手く届いたようだ。

 彼女はもう一度着席すると、僕の料理――今日は、材料的な問題でフィッシュ・アンド・チップスになってしまったのだが――を嫌みも言わずに頬張っていった。





「おい、お前。

 お前は、戦争がしたいのか? 海軍の仕事は戦争だと思っているのか?」

 それが夢であるのは明らかだった。

 南洋の海にいて、大井参謀の声が聞こえるはずがない。

 多分、カレーを懐かしんだから、そんな夢を見てしまっているのだろう。

「海軍の仕事は何だと思うかね?」

 真っ白な世界の中で、少女の偉そうな声だけが耳に入ってくる。厳しく、優しく。

「海洋国は、海上輸送こそが生命線だ。

 海軍の本分とは、海上輸送を守ることだ。

 海戦も警備行動も、全てこの目的に従属的でなければならない」

 懐かしい。

 参謀の講義を受けるとき、学生とはこのようなものであろうかと、少しだけ気持ちが浮ついたな。

「頭の悪い連中は、こういうのを簡単にすっ飛ばして、やれ艦隊決戦だ、海軍の誇りだと言う。

 国がなくなれば、海軍の伝統も誇りも消えてなくなるのだと言うのに。

 戦争は、政治の延長であり、政治手段だ。故に、当初の目的を見失ってはならない。

 この為には、政治家も軍人も馬鹿で、単純で、極端な人間であってはならない。

 残念ながら、我々は政治の無能をどうする事も出来ない。

 だからこそ、自分で考え、自分で行動し、しかし、決して手段を目的としてはならないのだよ」

 そうだ。そして、僕は、人類と国のために己で考え、己で行動しているのだ。

 もっと上手く戦って、深海棲艦を打ち破り、海上交通の安全を確保するのだ。




「グッドモーニング! 朝6時デース!」

 記憶とも夢ともつかぬ眠りは、金剛のテンションによって霧散した。

 表は当然明るくなっていて、我々は危険な海域を脱したことは明白だった。

「最後に戦艦が群れてたりしたら、万事休すだったかもしれんな」

 振り返ってみて、安堵のため息を吐くも、金剛は「そんな辛気くさいこと、私の上で言っちゃノー! なんだからね!」と笑い飛ばした。

 戦闘中、何度も着弾音を聞いている。彼女とて、痛みがないわけじゃあるまい。


 問題の被害状況は、金剛、榛名、愛宕、加賀が小破、それ以外は軽微なダメージに止まった。

 僕は、それを聞いて、「日本に着いたら、しっかり直してやらなくちゃな」と喉元まで言葉が出かかった。

 しかし、何かにつけて日本の事を語るのも、なんだか異常な事のように感じ始めていた。

 仮に、我が帝国海軍も、或いは、政治家や海軍省の連中が、あいつらと同じ斗筲な連中だったらどうしようか?


 弾薬や燃料、艦載機、艦上機の補充や、傷ついた彼女たちの補修に、一体どれほどの資源が必要であろうか?

 今後のために計算をしているが、ざっと概算しただけで目眩がした。

 輸入した資源をそのまま海軍が使っていたのでは、本末転倒だ。そもそも、海軍を運送屋程度にしか考えない連中に、こんな出費が理解されるはずもない。





「そろそろ、例の打電をしよう」

 我が国は、"北"ルソン島に貿易の拠点を準備し始めていた。

 島々を跨ぎながら、南方より輸送した資源は、先ずここに集められる。それを海軍が運ぶという構想であった。

 幾つかの拠点の中で、一番成立が早かったのがここだ。


 他に大陸からの荷物は、治安の面を考えて、一旦台湾を介して輸送される。

 勿論、台湾海峡も深海棲艦が出てくるが、大陸の情勢を見ると、そうも言っていられないらしい。

 沢山の軍閥が乱立し、何処に賭けていいものか、決めかねているというのがその理由だ。下手な行動ひとつで、今後の外交的な制限が発生する。

 香港は、イギリスの後継者が統治しているようだが、本国の影響力は限られているから、連絡員を置く程度の処置に止まっている。

 そんな事情で、台湾への投資は少し遅れた。


 フィリピンより南方の諸国も、各部族が好き勝手やっている。それをオーストラリア海軍がやんわり監視しているから、我が国はそこに介入するのを控えている。


 そんな事情で、僕は、セレベス海、スールー海を抜け、南シナ海へとやって来たのだ。

 貿易拠点へは12ノットで三日弱の距離にある。明石と連絡が付けば万事解決だ。

 問題は……明石が、いつここにやってくるかと言うことだ。尤も、それとて、日本とこちらの往復ばかりの日常だ、半月もあれば遭遇出来るだろう。







 我が鎮守府は、睦月と如月の件を抱えたまま、我々は次回の作戦の準備に取りかかっている。

 尤も、物資関連は通産省やら軍需省やらが取り仕切るので、我々は補給と航海計画を組むことだけが仕事となる。

 行く先を決める会議やら、何をどれぐらい積むのかと言った会議は、実利が関わるだけに、毎度紛糾する。尤も、海軍はお呼びではないので、暇な時間が出来るだけ嬉しいというモノだ。




 世間の面倒に比べて、空は実にシンプルに塗りつぶされている。

 この空は、南方のあの提督の所まで繋がっている。


「そんなに陸軍のスパイが怖いの?」

 私と大井参謀を訊ねたのは、海軍工廠技術本部の八木という男だ。

 四十代後半で、髪が薄く、小太りのオッサンだが、私の後輩に当たる。

 その昔、色々あって、随分と世話してやった仲だ。今も慕ってくれる。可愛い奴め。


 さて、その八木が何の用かと言えば、陸軍に、海軍の技術を奪取しようという動きがあると言う事だ。

 海軍がなかなか新しい高速輸送艦を用意しないから、自前で作ってしまいたいらしい。

 狙いは造船技術に止まらず、電探や航空機の技術も狙っていると言う――要するに、我々が深海棲艦と交戦している間にトンズラをこいてやろうって魂胆らしい。

「全くいけ好かない連中ねぇ」

 私が笑うと、大井参謀は、低く唸る声で、八木を問いただした。

「睦月と如月が欲しいって言うんだろ?」

 八木は、この少女の態度に臆することなく、「ご察しの通りです」と頬を緩ませた。

 見てくれは、人の良さそうなオッサンであるが、技術屋の傍ら防諜の訓練も受けたという逸物である。

「どうする?」

 参謀は、私に意見を聞くけど、答えはお互い、ひとつに決まっていた。




 八木は、信頼できる技術者をあらゆる分野から選抜して、南洋へ送り込む。

 私が目を掛けている東南アジアの組織は、いずれ独立を目指す連中だ。技術供与と言う名目なら、色々手を貸してくれるに違いない。

 睦月と如月には、ありったけの人員と、極秘の図面、資料、工作機械を積み込んで、目的地まで行って貰うことになる。

 我々は、深海棲艦との戦闘で、この二隻を失ったことにすれば、陸軍の目も欺けるというものだ。


 計画は、迅速に実行に移された。

 この男、私達が首を縦に振ることを見越して、準備万端としていたようだ。

 実行までの時間が短ければ短いほど、情報が漏れる危険性は軽減される。

 我が弟分のクセして、いい仕事をするものだ。


 八木以下、研究者、技術者は、その晩を艦内で過ごし、一人もその姿を見せることなく、翌朝の出発を待った。

 ここで、ひとつ、緊張の一夜を演出してやりたいところだが、こういう夜はもう慣れている。

 「全く、見た目に寄らず図太くなったものだ」と参謀は笑う。どっちの言い分だよ。


 いつものように、出港の朝が来て、いつものように出港する。

 陸軍サイドの埠頭から出てきた輸送艦――それでも鎮守府の持ち物だ――と合流して、南を目指す。

 良い天気だ。

 海軍の薄暗い未来をどうにかしてくれそうな気がする。




 さて、私が、八木の存在を再度確認出来たのは、遠洋に出てからの事となった。

「作戦、成功裏ニ完了……」

 秘密の合い言葉を含む、発光信号を寄越したときには、肩の荷を下ろした気持ちになった。

 尤も、しっかりと荷下ろしが出来なければ、本当の成功とは言えないのだけど。

 前途は多難だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿