2014年5月13日火曜日

艦これ~沈んだ世界から 第十一話

 挨拶は、突然の鉄拳制裁だった。


 "彼女"が怒っていたのは、僕が早々に明石が女だと気付いていたからだ。

 否、むしろ、そうであったのに、僕が何も言わなかった事が原因だろうか?


 如月さんから聞くに、明石が小躍りするように男装していたのを見かけて、「提督、多分気付いていらっしゃいますよ?」と声を掛けたのが発端だったようだ。

 何はともあれ、"彼女"は男の格好をしてそこにいた。


 その場に居合わせた、睦月さんと如月さんは明石提督を止めに掛かり、子日さんは笑い、金剛さんは怒りの表情を見せた。そして、叢雲さんはそんなやり取りを不機嫌そうに睨んでいる。


「叢雲さん、心配掛けたね」

 僕が最優先に、彼女に声を掛けると、「べ、別にあんたの事なんか!」と予想通りの回答が来て安心した。

 僕が欲しかったのは、故国の土でもカレーでもなく、この類の安心だった。

 一旦、心の緩んだ叢雲さんだったが、直後に金剛さんが抱きついてきたので、再び不機嫌に戻る。こういう時、損ばかりする子だ。


 如月さんは、その点で無邪気だった。無邪気というか、平常運転か。

 金剛さんが横から抱きつけば、正面からボディタッチをしてくる。


 何はともあれ、その叢雲さんより不機嫌なのは、明石提督だから、もうしょうがない。

 "彼"が不機嫌に黙っているものだから、この騒ぎはちっとも終わりを見せない。


 そこに漸く、真打ちが登場した。

「艦娘の言葉は分かりませんが、賑やかでいいですな。

 ああ、私、海軍工廠で責任者をやっておりました八木と申します」

 一見すると、感じの良さそうなオッサンだが、眼光だけは異様に鋭かった。

 僕と喋りたがらない明石提督に変わって、事情の説明をしてくれた。

「まさか、こんなに調べ甲斐のある艦が沢山揃うとは」

 勿論、僕と合流することは、追々の可能性ぐらいにしか考えていなかったが、大井参謀は遠からず脱走するだろうと踏んでいたらしい。


「明石提督の機嫌も直らないことですし、目的地を目指しましょうか」

 僕は自分の艦隊に、明石が哨戒任務と称して、泊地から引っ張り出した、叢雲、子日、睦月、如月の四隻の駆逐艦を加え、南下する航路を歩むことになった。


 大災厄の後、ルソン島は、大小幾つかの島に分かれていた。

 主に、北島、西島、南島、それと南東に大小百あまりの島を形成した。

 三つの島の間には、水道が現れ、ここはルソン水道と名付けられた。

 明石がいた泊地は、旧リンガエン湾付近にあり、僕たちは旧マニラ湾側からルソン水道に進入した。

 三島が向き合う地点で、我々は合流し、ここから南東へと抜けていく。

 この辺りは、深海棲艦が現れないので、小規模な船を使っての海運が盛んだ。




 八木は、近頃の日本と世界の事情を教えてくれた。


 日本は相変わらず、資源の調達に必死だ。それ以外、特に大きな動きもなく、艦娘も提督も増えないから、状況が大きく変化することはないだろう。八木が脱走したことを除けば。


 欧州では、気候変動のお陰で、食物生産の勝ち組となったドイツ周辺、ソ連邦が力を増すが、この二国が衝突し、西欧から小アジアに掛けて、第一次大戦さながらの緊張感が出てきているという。

 一方、イギリスは自国の自給自足で満足した。植民地との連絡は、殆ど不可能になったため、富の流入がなくなったからだ。ドーバー海峡もそれほど安全ではないが、小麦の流れがイギリスからフランスへと向かうのは、皮肉めいていると八木は笑う。


 問題は、南欧の国々で、アフリカ国内で植民地の取り合いとなっている。

 深海棲艦との遭遇の多い地中海を越えるには、ジブラルタル海峡を越えるか、マルタ島から一気にチュニジアに出るか、さもなくば、トルコを経由するしかない。

 この点で、イタリア、スペインは資源的に有利となり、フランスは一気に苦境に追い詰められた。


 中東へのアクセスは、これらの紛争地帯を乗り越えて、陸上から進むしかなくなってしまい、結果として、力の真空地帯となる。

 こうなれば、あとは戦国時代まっしぐらだ。宗教的対立を軸にしつつ、部族間で殺し合っている状態に陥る。

 尤も、石油ばかりは潤沢に採掘出来るから、北から西から、武器を購入出来て、継戦能力は異常なほど引き延ばされる。


 オーストラリアとインドが手を組めば、この地域の制圧も難しくないと考えているのだろう。この二国間の関係強化が進んでいるらしい。

 尤も、僕が抜けて、その話も一旦遠のくのだろうが。


 分裂した合衆国は、合従連衡を繰り返し、南米の領土争いを煽っている。何にしても、海に出なければ深海棲艦と戦う必要もないし、資源でも恵まれた地域だからだ。


 最後に、八木は、これから合う人物の正体を教えてくれた。

 実は、さる国の王位継承者だという。名前は仮にグエンとしておこう――仮にもクソもあるかよ。

 彼の王朝は、列強の植民地政策の為に、事実上、消滅していた。

 だが、大災厄が二つのチャンスをもたらした。

 一つ目は、彼に、大井参謀や明石のような、老いない身体を与えた。もう一つは、秩序崩壊後の戦国時代だ。


 彼は王国の再興のため、土地を変え、身分を隠し、その勢力拡大のため、がむしゃらに戦った。

 それを、明石が見いだし、今に至る。

 この地域ではちょっとした勢力だ。

「国土なき政府に亡命とは、なかなか洒落が利いてるね」

 八木は、自分が逃亡したことを重ね合わせて、穏やかに笑っていた。





 さて、目的地に到着した。彼らの本拠地に近い海域だ。

 時は深夜零時。纏わり付くような暑さは、四周の闇にまで、粘り気を与えている様に見える。

 指示された方角に発光信号を送る。

"ワレ、テイコクカイグン、クチクカン、ムツキ"

 続いて、合い言葉に当たる七桁の数字を読み上げ、反応を待つ。

 静かな海だ――月明かりのやかましさもない、星だらけの天上を仰ぎながら、半時間待つ。

 何故、この時間が必要か? 明石が言うには、グエンを狙う者は沢山いるから、すぐには動けないらしい。


 遠方からエンジン音が聞こえる。魚雷艇のエンジンが唸っている。

 我々を歓迎する旨と、合い言葉の十一桁の数字に、我々は安堵の声を漏らす。

 グエン……あの時、僕を助けた男だ。


「そう言えば、彼は明石さんの事、バレてませんよね?」

 現地で再び恥を掻かせるのも悪いから、念のために聞いてみたが、やっぱりご機嫌斜めのようだ。

「いつから気付いていたのよ!」

 その格好で、女の声色を出されると気持ち悪いからやめて欲しい――などと言えず、「二回目から」と正直に答えた。

「女遊びに狂っているように見えないクセに、やたらと絡んできたからだよ。

 それで怪しいと思って、大井参謀を問い詰めたってだけの話だ。

 男装は完璧だから、心配しなくてもいい」

 そう言って、艦娘に使うような口調で答えると、明石は狼狽したようなたどたどしい口調で、いらぬ事も言い始める。

「あれは、新米のお前を試そうとしてだなぁ」

 そういう事にしておいてやろう。







「やぁ」

 甲板に上がった彼は、僕の顔を見ると、ぎこちなく挨拶した。

「気にしないで下さい。こんな事もありますよ」

 死にかけたことは、本当に気にならなかった。どちらかと言えば、あのまま拉致されて、拷問だの強制労働だの、場合によっては解剖されていたかも知れないと考えれば、ずっとマシだ。

 これは、多分、寝覚めに天龍、龍田による暗殺者の慚死体があったと言う、酷い記憶がちらついているからかも知れない。

 死のイメージは、この土地と暗殺者を繋いでいて、僕はその暗殺者から守ってくれそうなものに、必要以上に安心するクセが出来てしまったようだ。


 海に投げ出されてから、先の事は、皆の興味の的になった訳だが、気が付けば南太平洋の赤城さんの甲板に倒れていた訳で、拘束されていたメラネシア近くから、どのようにして移動したのかは謎だった。

 自分で言ってみて、こう思うのも滑稽だが、はっきり言って荒唐無稽な話だ。

 悪い想像を巡らすなら、僕が自ら欲してオーストラリアに亡命して、二重スパイとして日本に戻ってきたと思われても仕方がない。

「ガリヴァーみたいなもんだろう。軍艦を根こそぎ引っ張ってきたりとかな。

 そして、ガリヴァー本人は、卵の割り方に何の興味もない」

 明石は、そう言って、僕を擁護してくれた。

「ラピュータ経由で日本に戻れたらいいんだがな」


 僕たちのラピュータは、足の速い船を使って全力で東へ進むと、一晩で到着するらしい。

 深海棲艦は当然現れるのだが、足の速さを頼りに逃げ切るのが常だという。

 我が艦隊の戦力は充分だから、深海棲艦も恐れずに進んでいく――どのみち、暗闇の中だから、運が悪くない限り、遭遇することもないだろう。


「兎に角、美しい所なんだ。皆さん喜びますよ」

 絶海の孤島で、珊瑚礁と聞けば、男でも胸が高まるものだ。

 その"男"である明石は、叢雲と子日を連れて泊地に戻らなくてはならない。

「もっと自由になったら、必ず招待するよ」

 僕の言葉に、叢雲と明石は、唇を噛みながら踵を返した。

「まったねー」

 明るく返すのは、ピンクの髪の子日だけか。





 穏やかな海は、静かに目覚めていく。黒から白、青から赤、二次元座標の間に存在する全ての色を眼前にぶちまけてくれる。

 赤城さんが、偵察隊を出して、周囲を哨戒する。

「この辺は、駆逐艦しか出ないよ。この艦隊を見たら、逃げ出すに決まっている」

 グエンは、大艦隊に気分が高揚している様に見える。

 確かに、その駆逐艦ですら、民間の船の行き来を妨げているのだから、気が大きくなるのも仕方あるまい。


 そうして、艦隊は午前中に諸島へと到着した。

 大きな環礁の中には、10ほどの島があり、近傍にもいくつかの環礁が存在する。

 今日は波が穏やかといえども、外洋の波は決して優しいものではない。それが、礁湖へと入ると、途端に静かになるものだから、艦娘も喜びの声を上げる。


「この島と、あっちの島は、何処を掘ってもリン鉱石が出るんだ。

 掘っても掘っても出てくるんだが、持ち出す場所がなくて」

 それが、グエンが我々を、この島に誘った理由の一つであった。

 結局、運送屋任務の呪縛からは逃れられそうもない。


 しかし、この島は益々ラピュータに思えてくる。

 あの空中の楼閣は、学者どもが日々研究するために閉じこもり、そして、その成果である新しい農法を下界で試すと来ている。

「"それが出来上るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由を続け"ると言う事はないだろう。

 もう、既に国中が荒れ放題だからな」

 八木はジョナサン・スイフトを引用して、僕の説の続きを語ってくれた。

「果物を今までの百倍ぐらい獲るのは難しいですけど、好きなときに熟れたのを召し上がれます」

 グエンは実質、この中の誰よりも年上なのだが、見た目は僕よりも若く見える好青年だ。彼がやたらと敬語を使うのは、己の見た目で相手を侮らせる為なのだろうと、僕は推測している。

 何はともあれ、漁船が、艦隊を迎えてくれている。

「魚も新鮮だしな」


 我々の初めての仕事は、宿舎を作る事だ。

 確かに、彼らは自分たちの基地を作るために、小さな船着き場や家々を立ててはいるが、十分ではない。

 八木達の到来は、最近知らされたばかりだと言うし、我々の到着は予期していなかったから、暫く、船上で暮らすことになるだろう。


 次に乾ドックだ。赤城さんや加賀さんを収容するには、300メートル級のものが必要になる。

 否、それ以前に、軽巡クラスの輸送艦を作る必要が出てくる。

 外洋を小型の船で行くのは辛いものがある。波浪のお陰で、速度は出ないし、うっかりしていればひっくり返ってしまう。

 リン鉱石を輸出して、建材を運び込むには、軽巡や駆逐艦以外の船を用意したいところだ。勿論、それらの船や、その造船技術をグエン達に指導すると言う任務もある。


「駆逐艦しか出てこないなら、飛行機を飛ばしても良いな。何処かに滑走路を作ろう」

 落ち着いた人格者に見えた八木も、この光景に心躍らせるものを見つけたようだ。瞳ばかりは少年のように輝いて見える。





 リン鉱石は、西へ北へ、そして南へと運ばれていく。

 僕は、それをフィリピンへと運ぶだけで、米やセメント、鋼材へと変えていく。

 我々が古い船が必要だと言えば、二十年前から使えぬままであった、外洋向けの貨物船や軍艦が極めて安価に手に入った。地域によっては、くず鉄を再利用する事もままならなかったらしい。

 グエンの信奉者とその家族も集まってくる。彼の元で長年働いた者達だから、身の堅さは折り紙付きだ。


 土木建築関係以外の技術者は、暇を持てあますと言う事はなく、各艦の構造を見て回り、知見を増やしていった。

「君がいなかったら、筆談だけで何とかしなくちゃならなかったからな」

 八木が紳士的な笑顔を見せる。

 艦娘にとっても、彼は人間の表情を窺い知れるタイプの人間であったので、言葉は通じないにしても、好意的に接していた。

 勿論、八木のような人間は多くないから、大抵の研究者、技術者にとって興味があるのは、純然たる戦争の道具としての軍艦だけであった。


 我々は、リン鉱石輸送以外の輸送任務にも携わるようになっていった。

 ただ、そこら中で闊歩している軍閥のシマを荒らさないように、フィリピンやマレーシアから中国へ直接輸送するとか、競争相手のいない航路を選んで仕事をするようになる。

 尤も、今までのように強制や、従属ではなく、己を主体として仕事をこなすから、ストレスは少ない。

 稼いだ分が、燃料になり弾薬になり、そして、補充の戦闘機や新武装へと変化する。


 艦娘達が強くなると聞けば、僕は、八木と同じような、男の子っぽい、無邪気な愉快さを得る。

 しかし、自分は何に備えているのだろう?





「そういう訳で、この作戦に協力願いたい」

 コンクリート造りの真新しい"鎮守府"で行われた会議は、グエンによる軍事作戦への協力である。

 その作戦とは報復だ。彼の支配下にある油田が狙われ、多数の死傷者が出たので、是非とも近いうちに実行しなくてはならない。

 油田周辺を開発したのは、彼とその部下の手腕によるものだ。静観していた対抗勢力も、油が出るとなれば、話は別だ。これを奪取しようと、しつこく狙われる事になる。グエンは無数の攻撃と嫌がらせを受け続けた。

 死人が出るのも、今回が初めてではないが、今回はマスタードガスが使われたらしい。銃撃戦なら兎も角、民間人も子供も選ばず、あんなむごたらしい方法で殺すなら、こちらも相手を慮る必要はない。

 相手の拠点を徹底的に潰さなければ。


 グエンには、有形無形の支援をして貰っているのは分かる。義理を通さなくてはならない理屈も分かっている。

 だが、我々は戦争をしにこの島に来た訳じゃない。

「威嚇射撃をしてからではどうだろう?」

 僕の意見は、すぐに却下された――今まで、交渉のテーブルに載る気を一切示してこなかったし、向こうが毒ガスを抑止力として使用したのであれば、こちらも艦砲射撃で同数以上の被害を与えられるのだと言う事を見せつけなければ、状況はエスカレートするばかりだ。

「そう難しい顔しなさんな。今回の作戦が大々的に成功を収めれば、グエンを向こうに回す連中も怖じ気づくだろう」

 僕は、八木の説得に折れた。否、折れたという態度を取らざるを得なかったのだ。グエンに対しても自分に対しても。




「そんな訳で、君たちの中から一人、本作戦に参加して貰いたい」

 僕は、彼女たちがこの依頼を拒絶すると思っていた。何せ、人殺しの手伝いだ。一方的に、無差別に、遠距離から人を撃つのだ。

 だが、僕の想いとは別に、彼女たちは皆、出撃したがった。この珊瑚礁での暮らしに厭きていたのだ。

 重巡や軽巡、駆逐艦は輸送任務であちこち行けるというのに、正規空母や戦艦となると、その出番はほぼない。

 ドックが未完成だから、冒険の旅に出掛けるだなんて事も出来ない――グエンとしては、他の島を見つけて資源を得たいのだろうが。

 こうなると、戦闘艦としての彼女たちのフラストレーションが溜まってくるのかもしれない。

 確かに、釣りと料理と掃除洗濯しか我々に貢献出来ないのは可哀想なことと言えば、その通りだ。


 そうは言えども、戦争をしに行くのだ。それでいいのか? 僕はしつこく食い下がる。

「特にこれと言ったリスクはなさそうなのですが、何故そんなに嫌がる必要があるのですか?」

 霧島さんは与えられた任務に忠実だなと、他の姉妹にも聞けば、「提督には指一本も触れさせませんから、ご安心下さい!」「気合いはいつでも万全です! ご安心下さい、司令」「テートクもそんな辛気くさい顔なんてせずに、どーんと任せて下さいネー」と、揃いも揃って乗る気だ。

 やっぱり、艦娘にとっては、普通の人間は自分たちとは違う生き物にしか見えないのだろうか――僕は、彼女たちが人殺しを嫌って欲しかったのだ。やっぱり、人間なのだと思い込みたかったのだ。







「ヒトヒトマルマル、これより、作戦海域に突入する」

「霧島艦隊、出撃します!」

 作戦海域と言っても、島越しに十キロ先の基地を狙うだけだ。

 偵察機を飛ばして、観測しながら榴弾を打ち込んでいく。所定の弾数を撃てばそれで作戦終了。

 駆逐艦は、周囲を見張って、妨害があれば、すぐに排除する。

 被害状況は、グエンの部下が確認してくれるという。


「司令、目標確認しました」

「よし。それでは攻撃開始!」

 僕の中では躊躇いがあったが、これも艦娘を喰わせていく為だと、己を騙しつつ作戦の指示を出していく。

 僕が、この作戦を嫌がるのは、つまり、艦娘に恨みを持つ人間が出てくるだろうと言うことだ――勿論、今まで見殺しにした輸送船団の乗組員とその家族から恨まれているのは間違いないのだけど。

 今後、彼女らが活躍し、平和な海を取り戻したとき、彼女たちのことを、人々はどのように形容するだろうか?

 そう言う未来を考えると怖くて仕方なくなる。


 たかだか十キロ先の目標だが、目の前の小島が邪魔で、何も見えない。何も見えないのが幸いなのかどうなのか。

 霧島さんは、水偵を通して、現場をその目で見えている。如何なる惨状だろうか?

 35.6cm 45口径連装砲4基から繰り出される榴弾と、その破片効果は、木造建築など易々と切り裂くだろう。

 破壊の威力は、モノへと向かうと同時に、ヒトにも牙を剥く。そのようにして、脆弱な肉体は、爆発に気付く一瞬後には、微塵となってしまう。

 音と言える音は、主砲の射撃音だけだ。悲鳴も何も聞こえない。閑かだ。




 霧島も、後にグエンも満足する成果を残したのだから、その惨状は推して知るべしだ。

 僕自身には何の恨みもない。むしろ、彼らが死の運命から逃れられなかったのは、僕が彼らと顔見知りでなかったと言う事だけだ。


 僕は、努力という言葉で人生を説明する人間が嫌いだ。

 僕がもし、政情不安定な国で生まれていれば、奴隷のような生き方をしなければならなかっただろう。僕がもし、不衛生な国で生まれていれば、この歳になるまで生き残っていられたか怪しいものだ。

 自分の国を誇るつもりはないが、僕自身はあの国で産まれた時点で、随分とマシな運命を手に入れていた。だから、僕は不幸な産まれや、貧しい国の人間を見て、努力が足りないとか、教養がないとか言って、馬鹿になどしない。

 それと同様に、僕よりもずっと恵まれた環境で育った人が、そのビハインドを無視して、自分が人一倍努力したつもりになっているのを見ると、酷く気分が悪くなる。

 勿論、本件、マスタードガスを使った連中が悪いし、グエンを敵に回したのも馬鹿な選択だと言える。しかし、それだからと言って、この日、あの島で死んだ人達は、僕よりも愚かだっただろうか? 何か落ち度があっただろうか? 己の努力で、死の運命を逃れることが出来ただろうか?

 人生の前半分は運で出来ている。




「軍人ってのは、大なり小なり理不尽な命令を遂行しなくちゃならんものだよ。

 俺が知っている情報部員なんざ、やりたくもない拷問で何人も殺したことがある。

 大災厄の前だよ。俺が若い頃の友達でな、人懐っこい奴だったが……まぁ、なんだ、そんなのに比べればマシなもんだよ」

 八木が僕を慰めるつもりなのは分かるし、有難くもあったが、しかし、僕は、そう言う論法は好きじゃなかった。


 僕は、自分の運の良さに感謝し、自分の産まれに関して、一切悲観しないことにしている。

 だが、運が悪かった人を指して、自分の慰めとする人は、自分の幸福を引き算でしか考える事が出来なくなる。

 そうしたら最後、己の存在価値を確認する為に、自分より不幸で惨めな人を探す事になるだろう。

 ある人は、他人を笑う。別な人は、そうした態度を隠すために、不必要な優しさを押し付けるのだ。


「余命十日の患者に向かって、隣の奴は今日にも死ぬんだと言ったって、何の慰めにもなりませんよ」

 もう一度言うが、僕は八木の優しさに気付いている。それでも、嫌みを言わざるを得なかった。

 僕は、これからもっともっと人の恨みを買うことになるだろう。だけど、繰り返しの痛みの為に、それを痛みと感じなくなるような人間にならないぞと、自分に言い聞かせる必要があったのだ。


 八木の表情が複雑になる、僕みたいな若造に言われっぱなしと言うのは、あまり愉快な話じゃない。

「ごめんなさい、そう言うつもりじゃなくて。

 でも、それでも、僕を恨む人は出てくるでしょうね。

 そう言う人が、この世にいる以上、それが一人でも一万人でも変わりやしませんよ」

 僕の言葉に対して、反論も見苦しいとばかりに、彼は「そうだな」と言って、去って行った。





 その晩、八木に呼び出され、夜釣りに誘われた。

 F作業と言う奴だ。

 探照灯に照らされた海に仕掛けを投げる。

 濡れた闇色の海に、一点の蒼玉が輝いている。


 沈黙の海に、大井参謀の言葉を思い出す。

「釣りは一見のんびりした趣味に見えるが、水面下で何が起こっているのか考える必要があるんだ。

 対潜水艦戦みたいで楽しいだろう?」


 そして、八木が徐に語り出す。

「俺の後輩で、情報部員になった奴の話をしよう。

 所謂、尋問官って奴でな、尋問って奴は、本当は拷問なんてしたら失格なんだ。

 相手を悪魔だと思い込んでいる相手は、想像通りの悪魔に出会えば、己の観念の危機を恐れる事なく、敵に立ち向かうことが出来る。

 だが、どうだ、こっちがずっと待遇を良くしてやると、凝り固まった人間ほど簡単に吐いてしまう。

 帝国の防諜は、そう言う事を考えていないからアホなんだ。

 俺は、そういう西洋式の常識を伝授してやったが、アイツの同僚や上司、その上の連中は、そんな事なんて構わずに拷問を強要した。

 何をしたのかは言いたくもないがな――結果として、アイツは精神を崩壊させて、仕舞いには自殺してしまった。

 俺は、アイツの葬式に出たとき、アイツの親父に言われたんだ。

 『貴様が悪くないことは分かっている。だか、貴様が軍属である限り許さないからな』と。

 何が出来る立場でもなかったと、自分に言い訳するのは簡単だ。だが、そう言う問題じゃないだろう?

 人間は、生きている限り、理不尽にも罪を背負う運命にあるんだ。

 何の解決にもならないけれど、軍人になるって言うのは、そう言う事なんだ。諦めてくれ」

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