2014年9月20日土曜日

艦これ~沈んだ世界から 第十三話

 あの提督が、好き勝手やっていると言うのに、内地の連中は、その辺に関して、一切手を付けようとしていない。

 否、調べているには調べている。

 グエンの一派の中には、実のところ陸軍のスパイが紛れ込んでいるし、各国政府も、彼の動向をかなり正確に押さえていると考えられる。

 尤も、彼の身柄を拘束しようにも、艦娘が常に傍にいるし、例の環礁以外で上陸する事は滅多にないから、彼は未だにのほほんとしていられる。


 この件、海軍はずっとナメられているから、責任を問う事すらされていない。それに言及する可能性が匂うだけで、軍令部も海軍省もビビってしまっうからだ。

 私はそう言う状況を逆手に使い、国内での資源分配を取り仕切る内務省や、陸軍の連中に上手く取り入った。

 内務省と陸軍の仲がいいわけなどない。二方面からマッチポンプの仕掛け、それぞれがそれぞれに疑心暗鬼になるように仕向ける。奴等は、海軍内部の将校を手懐けたつもりでいて、そして、その連中がお互いに暗闘を繰り広げていると思い込んでいる。

 輸送物資の誤魔化しによって、阿片の花の蜜でも吸っていれば、思考能力も下がるだろう。


 作戦は、幅広くそして深く行わなければならない。その為のリソースは、今まで蓄えた人脈から捻出する。

 賄賂に、横領の幇助、そして、その証拠集め。

 先に脅威になりそうな連中は、体よく失脚を狙う。


 通信や、書類の整理は、艦娘が実に良く働いてくれるので、それらは、私に対するアリバイにもなる。

 二十四時間、ひっきりなしに電文が打たれるのだ。入ってくる全ての情報は整理され、矛盾なく関係が組み立てられる。

 よもや、私一人の手によって行われているとは、誰も思いつくまい。




「中佐……お前も、儂も上手い事仕事をしている。

 アイツだって、順調に太平洋を開拓している――全く暗黒だった、あの未知の海を、再征服しようとしている。

 しかし、どうかね? 深海棲艦が"自然"のものだとしたら、再征服したのはどっちの方だと言えるかな?」

 大井参謀が神妙な顔をするとき、彼女は何か"酷く"含蓄ある言葉を残すものだ。

「仰りたい意味が分かりませんが」

 私の素直な問いに、声を潜めながら続ける。

「我々がしているのは、再征服ではない。簒奪だ。

 詐欺で玉座を手に入れても、長くは座っていられまい」

 そんな事は、お互い了解済みだ。

 私のきょとんとした顔を見て、大佐は続ける。

「その時の覚悟は、早めにしておかなくてはならんぞ。

 最近、特高の姿を見かけるだろ? この前は、"山羊"を供物に捧げてやったが、そんなに長くは続くまい。

 何より嫌なのは、そんな話を、陸軍側からも耳にした事だ。

 内務省と陸軍省が鎮守府を取り合おうとしている。海軍抜きにだ。

 上手く行けば、私の後輩どもがトップを占めるに違いないが、悪ければ、海軍は解体だ」

 私は、何と言えばいいか分からなくなった。

「船舶兵だなんて呼ばれたくないですね」

 冗談ごかして言ってみたが、事態は思ったよりも深刻だった。




「明石さん、言われて調べて、気付いたんですが……これは根が深いですよ。

 内務省は、うちらの動きなんざぁ、全部、外務省か陸軍のスパイの仕業だって決めつけてますし、陸軍からすれば、事ある毎に特高が邪魔してきているって見てますからね」

 むしろ、そのように仕組んだのは我々の方だ。


 街中の公園。ベンチに座った、安っぽい身なりの男と、世間話をするように振る舞う。


 厄介なのは、双方の二重スパイの存在だ。

 我々の尻尾はまだ掴まれていないが、インテリジェンスの深部では海軍の暗躍がおぼろげながら浮かび上がってきている事だろう。

「動きがあるとしたら、全て急ですからね。我々は、幾らでも姿を消せますが……」

 あまり話が長くなりすぎれば、不要な視線を浴びる事になる。

「やぁ、楽しかったよ」

 男は、卑しそうな手つきで、私から煙草を一箱受け取ると。

「まいど」

 と、薄ら笑いを浮かべて、早足で公園を出て行った。




 事態は流動的だ。

 穏やかな一日が過ぎれば、明日には誰が死んでいるか知れぬ。

 誰の手か? 我々の手か? 妙な事件ばかりだが、滅多な事では、話題に上げる事さえ憚られる。

 疑心暗鬼は、我が国の官僚機構全体に広まりつつあった。

 国全体が浮き足立っている。


 政治家は、かくも替わらずにいられるものだろうか? 相変わらず、党利党略を前提にして行動している。

「今年で、海軍相は何人変わった?」

 笑えない冗談だ。

 国民は、そんな状況を嘲笑っている。

 食うに困らない資源は供給されている。そうなると、誰も悲壮感なんて抱かない――好き勝手に冗談を言って笑い合っているだけだ。


 南洋のあの男は、今何をやっているのだろうか?

 度々、環礁に戻っては、その度にやれ重巡だ、やれ戦艦だ、空母だと、船ばかり増えているという。

 こっちの苦労は何なんだろうか?

 グエンは、東南アジアの覇者と言う地位を、一旦据え置いて、太平洋の統治者を目指している。

 何故だ、何なんだ!? この私は。




「提督ぅ~。最近、飲み過ぎじゃない?」

 隼鷹に言われる程だろうか? 否、納得している。

 正直、最近は、自分が殺される恐怖をひしひしと感じている。

 昔はずっと大胆にやってのけていたのに、内地では特高に、大陸では陸軍に、南に向かえば、外務省に怯える日々だ。

「私は強いからいいんだよ」

 強がっているのは、分かっているんだがなぁ。


「明石中佐、飲み過ぎだぞ!」

 参謀にまで言われる始末。

 私は、酔いの自分に酔って、彼女をうっとりと見つめ返す。見つめる――


「う……うぅ」

 威厳を取り繕った顔が、少しずつ崩れていく。

 私は、最初の数秒、疑問符が脳内を駆け巡る喧騒に戸惑った。


「おい、お前ら!」

 視線を向けると、龍田が「うふふふ」と漏らし、それを切っ掛けに、軽巡どもがどっと噴き出した。

「ちはやちゃん……艦娘が言う事は、嫌だったら、ちゃんと嫌って言わなくちゃいけないんだよ」

 腰を落とし、彼女の目線で語りかけると、無言のまま抱きついてきた。

 あの参謀も、こんな風だったら。


 そんな思いは、一服の清涼感を与えてくれる。

 直後、この子の為にも生き残らなければならないと言う決意も、ふつふつと焚き上がってきた。

「おい、お前ら、もしもの時、どう動くか、少しは考えているんだよな!」

 私の言葉の張りに、見物の艦娘は、一人残らず身じろいだ。




「それと、提督や参謀と添い寝するって、どう繋がるんですか?」

 消灯時間が迫る宿舎。私の部屋で、軽巡の方の大井が、穏やかに脅す口調で、不満を漏らした。

「よく見なさい、布団は二つあるから!」

 私と参謀、そして、ちはやちゃんを守る為に、艦娘が日替わりで警護する事になった。

 大井は、北上との生活が一日でも減る事が惜しいらしく、私の事を悪し様に貶した。

 私が、丁寧に反論していると、「私には、北上さんがいるんですからね!」と、更に、妄想逞しく抗議する。

「私、趣味で男装やってる訳じゃなくて、女の子の事が好きとかそういうのじゃなくてね!」

 と、熱っぽく言い返せば、「大井参謀の事はどうなんですか?」なんて言われる。


 大井参謀の事は、率直に言えば、面倒臭い、愛すべき上司だ。

 あの顔だから、頭をなでなでして、照れている所など、一度見てみたいのだが、それは、全く非現実的だから見たいと思う訳で、性的な欲求では断じてない。

 そのように言ってみたところで、軽巡大井を納得させる事は出来なかったようだ。自身の性的嗜好云々を棚に上げて、人を強姦魔のように言われるのは遺憾だ。

 こんな娘っ子に囲まれて、"アイツ"はどうして上手くやってこられたのか、未だに謎が解けない。







「こうも進路を塞がれますと、流石に気分も高揚してきますね」

 伝声管から加賀さんの声が伝わる。

 僕は、「こんな時に、不安になるような事を言うな」とでも叱ってやりたい気持ちになったが、如何せん、身を起こす気力さえ失っている。


 加賀を旗艦とした、太平洋調査船団は、しばしば深海棲艦に行く手を阻まれた。

 新たな艦娘と、有力な島嶼の発見、そして、既存の艦娘の戦闘経験。彼らの出現は、何処までも我々に都合のいいように思えた――それがこんな形で購われるとは。


 コレラだ。一時間より短い周期で水便が出る。

 それが、艦隊中で蔓延している。

 原因は、途中で立ち寄った島々にあるのだろうか? 休養の為に、交代で上陸許可を出していたから、野生の果実を喰った連中がいても不思議じゃない。

 盲点だった!


 衛生対策は、しっかりとったつもりでも、潜伏期間がタイムラグとなり、防衛線は次々に突破され、あっという間に全滅である。

 今や、生存率がどれほどあるか不明だ。

 お目付役や軍医まで罹患し、船室に閉じこもったきりだからだ。


 それに加えて、今回遭遇した深海棲艦はしつこい。

 泊地には、救援を願い出たが、邂逅まで暫く掛かるだろう――それまでに全滅していなければよいが。


 差し当たり、軍医の忠告通り、海水を薄めてを飲み、身体を温める事に留意する他はない。

 後は、己の免疫力が、菌に打ち勝つのを祈るばかりだ。

 戦闘が始まるまでは、加賀さんも看病をしてくれたが、今は、そうもいかない。


 戦闘に入ってから、発艦や着艦を繰り返す音が続くばかりだったが、扶桑さん達も発砲を始めるようになってきた。

 ちゃんと指揮が出来ているだろうか? 否、その心配はないか。彼女たちが我々に求めているのは補給ばかりだ。さもなくば、彼女たちは深海棲艦を"喰らって"生きながらえていただけなのだから。


 しかし、どうなのだろうか? 深海棲艦と喰う喰われるの関係があるとして、何故、彼女たちはそこから逃れようとするのか?

 人間と共に歩んだところで、戦いから逃れられる訳じゃないし、大抵の艦娘は好戦的だ。

 一方で、彼女たちは、我々と出逢ってから、一度たりとも、深海棲艦に口を付ける事はなかった。

 僕の思考は、身体が動かない分、そして、仕事という重しが飛び去った分、無責任な方向へと蔓を伸ばしていく。




 目の前を大量の数式が流れていく。

 数式は形となり、形は物へと変化する。


 ある種の放射性同位体は、その原子核に中性子を吸収すると、より小さな核種と高速中性子線、そして結合エネルギーを熱として放出する。

 放出された中性子が、他の原子核に衝突する確率は、人混みの中でライフルを撃つのと同じで、人がまばらであれば、弾は当たる事はなく、当たらなければ、新しい中性子は生まれない。

 多くの中性子を生むには、生成した中性子が、より多くの不安定な原子核にぶつかる必要がある。

 通過したり吸収されるだけで、核分裂に寄与しない中性子の数よりも、生産される中性子が多くなる核燃料の量――つまり、持続的に核分裂を起こす事の出来る核燃料の量の事を臨界量と言う。

 よって、臨界量の半分以上、臨界量以下の核燃料を二つ用意し、これをひとまとめにすると、急激な核分裂反応を起こす事が分かるだろう――そう、より強力な爆弾となる。

 この原子爆弾を実現する為に障害となるのは、不完全核爆発である。

 小さな核爆発が起こると、使用した核物質が充分に消費される前に、爆弾がちりぢりになってしまう。

 核燃料として239プルトニウムを使う時、1%の240プルトニウムが混ざると、先のような方法では、所定の目的を達成する事は出来ない。

 しかし、プルトニウムの精製は難しく、239プルトニウムを96%の純度にする事さえ至難の業である。

 このため、核燃料を爆薬で包み、周囲からの爆発力によって、圧縮、臨界状態へ持っていく方式が考え出された。

 この時、核燃料は、精密な球状に圧縮しなければならない――燃焼の速い火薬と遅い火薬とを組み合わせて、均一な衝撃波を発生させる。

 当然、この状態を作り出すには、今までの火薬の燃焼理論や雷管が役に立つ事はない。全ての動作を、一千万分の一秒以下の誤差に収めなければならない。

 これらの困難を全て乗り越える為に、何という英知、何という犠牲が必要だっただろう?


 たかだか、6.2kgのプルトニウム合金は、22000トン相当のTNTに相当する爆発力を産み、この時に生じた熱線は爆心地から3km以上離れても人を火傷させる事が出来る。

 残留した放射性降下物は、その後も長い間、人々を苦しめる事になる。


 夢が脳内をかき乱した最後の瞬間、二つの閃光、巨大な火球、キノコ状の雲、或いはカリフラワー状の水柱が。そして、その瞬間に至る、様々な光景が、瞬間瞬間に眼前に叩き付けられていく。

 爆風は、爆心地の空気を瞬間的に膨張させ、海上に漂うあらゆる構造物を薙ぎ倒さんとする。

 そして、熱が冷めれば、破壊的な低気圧が産まれ、空気の波浪は引き返し、もう一撃を与える。

 吹き飛ばされた珊瑚は、その熱で沸騰し煮えくり返る。

 燃える。艦が燃える。酸化物でないあらゆるものが、烈火の如く燃え始める。


 熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い――




「やれやれ、こんな提督殿では、先が思いやられるな」

 黒髪の彼女は、笑いながら、ソーダの瓶を差し向けてきた。

 口の中で弾ける炭酸の粒の刺激が、この光景と夢とを引き離してくれた。

 優しい味だ。甘みの中に仄かに塩が混じっている。

「戦艦長門だ。よろしく頼むぞ」


 我々は、かつてない人的損害を被って、泊地に戻ってきた。

 艦娘達も満身創痍だ。

 二重の意味で、深入りしてしまったのだ。この、暗い暗い海の先へ。







「何が起きた!」

 大井参謀が怒鳴り込んできたのは、艦娘が集まる食堂である。

 屋外は土砂降り。雨が風に煽られ、波を打っているように見える。叩き付けられた雨は、しぶきを上げ、地面付近の輪郭をぼやけさせていた。

 海側を望めば、白い世界の中に黒い艦影が浮かぶばかり。


「陸軍の将兵も大変でしょうね」

 私は落ち着き払って、彼女をなだめた。


 事の始まりは、検察が汚職の嫌疑で、海軍省と鎮守府を家宅捜索するという情報が舞い込んだからだ。

 この情報に、陸軍は裁判所に手を回し、検察の動きを足止めし、同時に内閣に働きかけて、陸軍の出動を正当化する書類の作成を急いだ。

 勿論、私は、こんな日が来るだろうと、下ごしらえは済ませて、内閣府に用意しておいた。


 私が陸軍の方に肩入れしているのは、他の海軍の面々からしたら、異常な事のように見えるだろうし、大井参謀だって、決していい顔をしている訳でもない。

 しかし、内務省の連中が武器を手にするのは、政治的によろしくない。

 陸軍が、国内で大衆を脅すのが正しくないように、国内で仕事をする警察官にとって、ライフルや機銃が身の丈に合った武器とはとても言えないからだ。


 私や大佐の身の安全を考えて、直接陸軍の人間と接触してはいない。しかし、話の分かりそうで、且つ有力な人間には、それらしい情報をリークしてある。

「陸軍の然るべき人間が、馬鹿ではないと信じたい」

 私がそのように伝えると、「海軍を見て、そう言えるかね?」と、大井参謀は、わざとらしく眉を下げた顔で、残念そうに笑った。


 扉の外には、陸軍の歩哨が立っている。

 早朝からこうしているのだから、なかなか大したモノである。

 頃合いを見て、外に出ようとした時、その場にいた中尉から、「明石中佐ですね? この先に行かれるようでしたら、貴方から、不要なことを聴取しなくてはならなくなると、上から言われております。どうか、お戻り下さい」と丁寧に言われては、大人しくする以外の道は、我々に残されていなかった。


 艦娘は気を利かせて、ちはやちゃんをあやしに行ってくれた――と言うよりも、一緒に遊びたいだけか。

 「こんな休暇は、そうそうないから、大切に使えよ」と言えば、小さな娘達は、きゃっきゃと騒ぎ、静かにしている艦娘とて嬉しそうな顔をしていた。

 ただ、さりとて、我々が出来る事と言えば、ゲームをやったり、茶を飲んだり、菓子を食べる事ぐらいだった。

 そして、そのような楽しい時間は、無粋な連中によって打ち破られるのは、世の理だ。


「大井大佐、明石中佐!」

 聞いたことのない可愛い声が響き渡る。

 声から察するに、歳は参謀ぐらいの男の子だ……このご時世、見た目で年齢は判断出来ないから、ナメた態度は決してしてはいけない。

 状況が状況だけに、陸軍のそこそこのクラスの人間だ。

「ああ、こちらにいらっしゃいましたか――」

 私は、その姿を見るなり、駆け寄り、その子を抱き上げていた。


「コラコラコラ! お前さんは、何処へ連れ込もうとしているんだ!」

 参謀は狼狽して声を上げると、私はキッパリと答える。

「だって、大尉だよ!」

 私の呼吸が、非常に気持ち悪いテンポであった事は、この私自身が正直に証言しよう。

 彼は、私が今まで出会った中で、最も完璧に近いショタっ子であった。そして、私は、こういう子に目がないのだ。

 これが非常に端的な説明である事は分かっている。しかし、思い浮かべるだけで、呼吸が荒くなるものを、ここでしっかりと描写出来るものだろうか?

 さらさらの髪の毛は、この穢れた手で、思う存分、ワシャワシャにしてやりたいし、丸い丸いその瞳は、頬を撫でる事によって、触感の代替としたい。未発達な胸板は……いかんいかん。


「五月雨、涼風、ソイツを止めろ!」

 大井参謀の叫び声に、おっちょこちょいの方の青髪が、「提督! ここは通しませんよ!」と駆け寄ってくるが――予想通り躓いた。

 その後ろから、飛び込む涼風は、五月雨を踏まないように大ジャンプを決め、姫だっこ中の私に衝突した。

 目から火花は当然事、頭を強かに打って、瞬間、意識が遠のいた。




「お、気付いたか!」

 目の前の参謀は、不器用なオッサンの体で、私を覗き込んでいた。

「丈夫ですからね」

 濡れ手ぬぐいを額から払い、起き上がると、目の前には、問題の子が!

 すぐさま起き上がり、手をついた姿勢のまま、猛烈に駆け寄る。

 私はお前を愛していた。私は四本足の怪物だが、おまえを愛していた。まったく鼻もちならぬ、野獣にもひとしい、どうにも見さげはてた女には違いないが、しかし私は愛していた、お前を愛していたのだ!

「ねぇ、お姉さんと良い事しない?」

 間髪入れずに誘いの声を上げると、即座に参謀からの鉄拳を喰らうことになった。


「階級章は偽装だ。

 彼は、合田少将。中野学校の校長をやってる」

 この事実は、参謀のか弱い攻撃よりも、数千倍の衝撃を私に与えた。


 中野学校と言えば、陸軍の内部でも極秘とされている。

 私でさえも、全容を掴む事は愚か、その長でさえも見当が付かなかったぐらいだ。

 驚きの声を上げると同時に、何で参謀が知ってるんだと、素の口調で聞き返していた。

「陸軍の人間がいる前で、そんな馴れ合いみたいな姿を見せるな」

 と、お怒りの言葉を投げかけると、私の返事も待たずに、昔話を始めた。


 大災厄の後の、年齢後退が、顕著に起きた人間は、そんなに多くない。

 特に、六歳、七歳ぐらいまで後退するとなると、非常に稀で、そんな孤独な二人が知り合うようになったのは、自然な成り行きかも知れない。

 大井大佐も、合田少将も、家族から見放された人間だし、海軍にしろ、陸軍にしろ、このような存在が目立っては、軍の沽券に関わると思ったのだろう。家族に恩給を出して、二人は表舞台から姿を消すことになった。

 次第に、連絡は途切れ、お互いに知らぬ存在となってしまった訳だが、お互い大佐と少将にまで上り詰めると、多少の融通は利くようになるものだ。交流は復活し、今の関係に至る。

 私の必死の作戦も、彼のアシストが、多大に影響していたのは、もはや隠すまでもない事実となった。


「なーんだ。私、やる気なくなっちゃうなぁ」

 少将を"ワザと"侮った表情で、苦情を申し立てると、「恥を掻かせるつもりはなかったのですが」と、充溢する若さ、みずみずしい笑顔が、猛然と私の理性に襲いかかった。

 私は、一軍人として、最後の精神力を振り絞って、厠へと猛ダッシュで逃げ去った。


 危ないところだった!

 私のなけなしの理性の最後のひとかけらが、失われる寸前だった。

 あんなに可愛い子が、謀略の丘のラスボスな訳がない!


 いや、そんな訳なんだから仕方がない。

 なるほど、彼が校長だと言うなら、知らない人間からしたら、何な何やら訳の分からぬ組織と言えよう――可愛い、可愛すぎる。

 しかし、一方、実年齢は私なんかよりずっと上だし――否、それがいい!

 大体、参謀と馬が合うのだから――お似合いすぎるカップルだ。


 いけない! 一々考える事の合間合間に、邪心が見え隠れする。

 拉致って、好きなようにしたい――陸軍の連中に殺されるぞ!

 あー、さぞかしきめの細かい肌をしているのだろう。おへそを舐め上げたい――ペロポネソス戦争とトロイア戦争をまとめて始めるつもりか!

 違う。そうじゃない!


「おるかー?」

 参謀の声が聞こえる。

 怖い。怖い。あの子は危険すぎる!







「この投資は失敗だったという事かな?」

 グエン側の幹部は、厳しい言葉を投げつける。

 病み上がりなどと言うのは、決して言い訳には出来ない。

 折角育ってきた船員も、六、七割失われ、艦の修復には多大の時間と資源を要することになった。

 勿論、この国への工業技術伝承の為には、この機会は、随分役に立つだろうが、失ったものの大きさからすれば、言い訳にすらならない。

 グエンや八木は、幾らか助け船を出してくれたが、しかし、僕の失策である事は、何一つ変わらない。

 とは言え、艦娘とコミュニケーションを取れる僕の存在は、彼らにとっても重大で、それ故に彼らは苛立ちを隠すことが出来なかった。

 勿論、僕としても、そう言う特別な立場に胡座を掻くつもりはない。しかし、誰が、そんなに良心的に僕の事を見つめてくれるだろうか?


 日本にいたときに比べれば幾らかマシと言うだけで、僕の嫌われやすさは、あまり変わっていないと言う事か。

 気をつけているとは言え、やはり艦娘が大切だからだ。


 結局、太平洋への進出は、最小限にする事となった。

 当面は、発見した島嶼の開発と、現在の勢力維持、新航路の開拓が我々の仕事となる。


「まぁ、腐るな。

 あいつらだって気付いているさ。何も言えないのだから、せめて嫌みぐらいは聞いてやれ」

 そんな事ぐらい分かっている。

 分かっているからこそ、自分の無力さに絶望するのだ。


 格段、人生の主人公として、自分を誇示したいと言うわけじゃない。

 ただ、ただ、風に流されているばかりだと言う事が、自分を惨めにしているのだ。

 グエンが寄越したお目付役は、未だに具合が悪い。

 それもこれも、申し訳なさ以上に、自分の馬鹿さ加減を証明させているようで、理不尽な苛立ちを与える。


「提督が悪いわけじゃありませんわ」

 高雄さんが微笑む。

 彼女は、祥鳳さんとは違う母性を感じるなぁ。と思ったが、彼女は、内地の鎮守府には行っていないんだな……

 その曇った表情を、彼女はさっと掴み取って、さらりと返してくれる。

「内地の事でも、考えていらしたのですか?

 しっかりして下さいよ。そうやって、現実逃避しても何も変わりませんわ。

 提督は、提督のお仕事に注力して戴ければ、私たちはちゃんと付いていきますから」

 優しい笑顔を振りまきながら、南洋の空気を押し開いていく。

「皆さんには勝てませんね」

 僕がやっとの思いで笑顔を作り出すと、「そう、だから、見捨てたら怖いんですからね」と、楽しそうな笑い声を、小出しに漏らしながら、僕を日差しの元へと連れ出してくれた。


 鮮やかな青い空は、あの奇妙な夢の中で見た色と同じだ。

 予知夢なのだろうか?

 否、非現実的だ――が、彼女たちの存在を前に、現実的だなんて言葉に意味はあるのだろうか?


 もう一度、参謀に厳しく叱って貰わなくてはな。

 僕は、彼女たちに、彼女たちの存在の謎に甘えている。

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