僕は、その場を逃げ出した。
逃げ切れるか分からないけど、とにかく全力疾走だ。
途中、何人かに声を掛けられたが、無視してただだだ走り続けた。
義体の変形だの合体は、別段珍しいという風でもない。
しかし、通り魔的にそれを女の子が見せつけるだなんて、ちょっと頭がおかしい。
兎にも角にも、目についたレストランに入る。
建物の中では、流石に変形も合体も出来まい。
外観には、一切気を配らずに入ったけれど、五席ほどのカウンターと、二人掛けと、四人掛けのテーブルがそれぞれ二つずつあるだけの、小さなお店だった。
「ごめんね、今準備するから」
と、女店主は下ごしらえを急ぎ、娘と思われる少女が、テーブルを拭いていた。
「開店まだでしたか!」
ふと見れば、店頭に出す今日のメニューが店内に立てかけてあり、三人を除けば、がらんどうな店舗は、まだ眠りの中にあるように見えた。
出ていこうとするところを、「すぐだから」と言い、娘が席を用意してくれた。
「見ない顔だね」
こういう小さな店にありがちな、お節介が始まった。
「ひとつき前に越してきたばかりで」
僕の焦りがちな答えに「なるほど、だから息を切らして」と、訳知り顔をする店主がいた。
驚きの表情を隠せないでいると、「この子は大丈夫だから」と笑った。
ヒトミと言うその子は、僕と同じ、アジア系の黒髪の子で、まだ"帽子"からの旅立ちの連絡を受けていないそうだ。
年齢が同じと分かると、「その歳で独り立ちだなんて――ウチの子は親離れが悪くて」と店主は、娘を見てやった。
彼女は大人しく、静かに仕事の手伝いをする子で、親の嫌味など意に介さないと言うより、全く気付いていないと言う風であった。
「あれは何ですか?」
先の店主の顔を思い出し、突然の思い付きで質問する。
僕の漠とした言葉でも、彼女は要領を得ているのか、すらりと答えを返してきた。
「だって、パートナーを見つけないと、一人前扱いされないからね。
みんな必死だからね。大目に見てやってよ」
大目に見るというには、ずっと押しつけがましく、積極的と言うには、狂気じみていた。
「ご主人はどうだったんですか?」
この人の旦那さんは、何をやっているのだろうか? 家の事は男がやると言う風習のあるクラスターの筈なのに。そんな疑問が次に浮かんできたのだ。
「丁度、あなたと同じぐらいの頃に引っ越して来たんだけど、すぐにアピールされちゃってね。
ルール違反だったけど、自分用のガレージが宛がわれているって事に舞い上がっちゃって……」
この言葉に、僕の頭は整理がつかなかった。
相手は、僕の神妙な顔を誤解してか、懐かしいような笑みをこぼしながら、しばし、遠くを見つめていた。
「ルールと言うのは?」
疑問を即座に質問とすると「あれ? 知らなかった? 先輩とかから教えてもらってないの?」と、にわかに真剣な目つきに変わるのが見て取れた。
「ここの女の子は、基本的にファイターとして、防衛の任を果たす事になるって知ってるでしょ?
でも、一人前になるには、試験にパスする事と、結婚して、交換手術を受ける事。その競争率は十倍ぐらい。
私のいい人みたいに、何も知らない子を落としちゃうのを防ぐために、一か月間の準備期間が設けられているんだよ」
言っている事を咀嚼して嚥下するのは、理解する事よりも苦しみを覚えた。
この女店主がアピールされたみたいな事を言っているのに……と再度、質問をしようとしたところで、また一人の来客があった。
「帰ったよー」
間の抜けた感じの声を発したのは、見た感じ十五、六の女の子だった。
「ああ、お帰りなさい」
家族の間にあるような、親しみのある声音が心地よい。しかし、彼女の娘にしては、丁寧過ぎるきらいがあった。
僕がそのような疑問を持っていると、「この人が私の旦那様だよ」と店主が答える。
そうして、なんとなく、全容が解明した。「あぁ」と感嘆の吐息を漏らしてしまい、自己紹介を忘れてしまった。
「こっちに来て、今日が一ヶ月目なんだって」
そう、先に言われてから、僕は慌てて、挨拶を返す。
氷解した疑問は、店主は男だと言う事だ。
僕が野蛮だと馬鹿にしている、"交換手術"を若いうちに行うと、こうも女性っぽくなるのだ。
このクラスターで義体化していないのは男だけだから、オバサンっぽい人は、誰もが男、正確には男だった人間なのだろう。
一方、女の子が越してくると、すぐに戦闘機になるような義体化が行われる事になるから、こんな夫婦ばかりなのだろう。
僕の事情を聞くと、"旦那様"は「そうかそうか」と貫禄がある風に微笑み、「教官として、あの子たちには、しっかり言っておくよ」と付け加えた。
「どの口に言わせるんだか」
店主、つまり教官の夫は、彼女を茶化すと、ヒトミは笑いを堪えながらも笑っていた。
そんな風に雑談をしていると、開店の時間となり、そして僕に向けた料理も並び始める。
心づくしの品は、白米と葱と豆腐の味噌汁、焼き魚と筑前煮、ほうれん草のお浸しだ。
魚とカシワは流石にフェイクだが、他は本物だと言う。
「A51は、こんなのが手に入るんだよ」
と、店主の妻は胸を張っていた。
煮物は、よく炊けていて蓮根はほくほくと、筍は歯を突き立てる感触が気持ちよい。出汁の風味が最後に残ると、白米がそれを数十倍にまで増幅させる。
味噌汁は、葱の香りと、口内で潰れていく絹ごし豆腐の甘みが、辛すぎない味噌の塩気とうま味がない交ぜになって、やはりメシを呼ぶ。
「育ち盛りだね」
店主は、ご飯と味噌汁のおかわりを快く引き受けると、「帰りも大変だから、ウチの人が送っていくね」と申し出てくれた。
「そんな、勿体ない!」
そう答えるも「奧でゴロゴロしているだけだから」と笑われた。
「酷い先輩ばかりだなぁ」
あの家族の家長と、暗い道を歩きながら話をした。
道行く娘達は、誰も彼も敬礼するのが気になるが、「あんまり愛想を振りまくと勘違いするから」と叱られたので、無視して歩いていく。
「誘われてもパーティに出向かなかった僕が悪いんです。少しは、人付き合いも大切にしなくちゃいけませんね」
反省点ではあるけど、しかし、今日の彼女たちの動きを見ると、パーティに行く気はより失せてしまう。
「候補生は、自分の本当の姿の方が、魅力的だと思っているからね、パーティに行くと控え目らしいよ。
もっと気軽に行ってみたらいいよ」
教官としての威厳を保つためか、表情は引き締まっていたが、穏やかに導く言葉を戴く。
「僕は、こう、普通の女の子がいたら、そちらの方が良いですけどね」
「それは、私の娘が気に入ったって事か?」
何の気もなしに口から出た台詞だったが、確かにそのような意味にもなるなと、慌てて訂正する。
「私の娘かどうかは兎も角、旅立ち前の子供に手を出したらいけないよ」
大人の忠告である。
それは当然のお話だ。"帽子"に逆らった判断は、本人の心情はどうあれ愚かだ。旅立つのを分かっていて付き合うのなら、それは悪辣というものだ。
「君は、焦ることはないさ。結婚相手も、しっかりと整備の出来る人と結ばれたいからね。
私なんか、凄く焦ってたから、彼を選んでちょっとだけ困ったけどね。
でも、凄く真剣に接してくれたからね。今の私があるのは、彼のお陰だよ」
慈愛に満ちた表情は、見た目の年齢からは想像できないほどに、奥深く刻み込まれていた。
「また食べに来てね! サービスするよ!」
教官と別れると、耳が早い連中が近寄ってきて、「お前、マジかよ」と訊ねてくる。
今ひとつ要領を得ていないが、大切な情報を教えてくれなかった罰として、僕もだんまりを決め込む事にした。
それにしても、競争倍率十倍。
整備し甲斐のある子を選べと言う事か……
後日、僕は問題のパーティに出席した事は、あまり多く語るところではない。
一つ一つのエピソードを上げる事は、実際愉快だと思われるが、あまりにも冗長すぎる。
感想を軽く述べるとすれば、決して悪いものではなかったと言うことだ。
女の子に慣れていない僕からすると、戦闘機の技術や整備についてあれこれと語り合うのは、地元の女の子と一緒にいるときよりも、ずっと楽しかった。
あんなに積極的だった子は、教官が言うように、自分の"仮の姿"に対して、あまり自信を持っていないように感じた。
僕としては、戦闘機としての姿と、女の子の姿も、別物だと考えているが、否、それでも、それが自分自身と不可分となれば、そのように考えるのが自然なのかも知れない。
しかし、自分の心に響くような出会いがあったかと言われれば、それは全くなかった。
勿論、僕がそのような運命的な出会いを求めていると言う訳ではない。
そもそも、当世に於いても、そのような電撃的人生は例外であり、超現実的である。
だから、僕も、恐らくは、そこそこの出会いに満足し、その中で小さな幸せを手に入れる事となるだろう。
だが、それにしても、全くビジョンが得られない。
僕も、あの家族のようになれるだろうか? そもそも、僕自身、大人になる姿というのが思い当たらないのだ。
女性化する事は、特に問題がない。望めば、女性ホルモンの代謝機能と男性ホルモンのインジェクターを手に入れる事も出来る。
しかし、そのどちらにしても、僕は、家庭を持って、自分の嫁が家に帰ってくるのを待つという姿が、一向に頭に思い浮かばないのだ。
その後、僕の生活を変えたのは、そうしたパーティや、"物分かりの良い"学徒どもとの交流などではなく、その後も通い続けた、あの小さなお店であった。
確かに、同輩先輩との付き合いは増えたし、多少なりとも言葉を交わす候補生の友達も増えたが、それもこれも、その根っこを探れば、件の夫婦の影響に他ならない。
注意点と言えば、「相手を整備するって、なかなか懇意にしてないと無理な事だからね。前線に行けば別だけど」と教えられたぐらいか。それ故に、彼女たちの強引な誘いには、落ち着いて対処できた。
学業に至っては、頗る好調で、そこから一年と言うもの、満ち足りた学園生活を送る事が出来たのだ。
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