そうして僕は戻ってきた訳だが、前線から離れるとき、透明になった僕の視界は、"移動体"の中のわずかな時間で、にわかに濁り始めた。
あの決意は何だったのだろうか? 何もかも納得して、心を丈夫にしたはずなのに。
どんなに不安になったとしても、ヒトミはもう新しい体を手に入れているし、彼女と結婚するという事情に変化はない。
しかし、心のどこかで、僕の後輩が現れ、母親譲りのすばしこさで、その男を掻っ攫ってしまっているのではないかと期待した。
裏切られれば多分、酷いショックを受けるだろうが、そうすれば、今の自分の不安定さを説明出来る。加えて、そうした事情から、僕は誰彼との交際や結婚をずっと先まで延期できるのだ。
我ながら卑怯なものの考え方だ。
姑息である事は重要かもしれない。努力で片付けられない問題は、時間に任せるしかない――しかし、それがもし、己の怠惰だったとしたら、その問題は、時間を糧に肥え太り、忘れたころに襲ってくるのだろう。
しかし、それほど己の都合のいいように事は進まない。
人生の対決は、訪れる時に、逃げようもない形で訪れるのだ。
「お帰りなさい」
彼女の声は、出発前よりいささか張りが出ている。。
そして、未来を期待する輝きと紅潮が、彼女をずっと大人びた雰囲気を与える。美しかった。
僕は、そうした変化に対して、何もものが言えなくなった。
僕自身は、質的な変化を感じる事は全くなかったのに、彼女は事実、新しい体を得て、そして明確に自信を強めている。
押し黙る僕に、母親が「見違えたね。私が若かったら、誘惑しちゃうかも」と、からかうと、盛大に噴き出した。
見た目からすれば、普通に誘っても良さそうだが、夫のいる身で誘うほど倫理観に乏しいファイターはいるまい。
前線で教えてもらった事曰く、夫と死別したファイターと、妻のいる既婚者との不倫は、なんとなく許されているらしい。
ここに至っても、人間同士がいがみ合うという事は怒らず、愛人と妻との関係は良好さを保つという。
これは、夫側にとって都合のよい事のように思われるが、男が未亡人を誘う事はルール違反だという。"交換手術"を受けた男は、あくまでも女性に従属的でなければならないのだ。
コンピューターが弾き出した結論は、ファイターの素質は男系女子に遺伝する傾向にあるらしい。
勿論、コンピューターは明確にそれを人類に教える事はないが、経験則からして、そのように我々を選んでいそうだという。
他に、機械的な興味や戦いに関する興味など、A51に対する順応性も評価の対象だと考えられるが、遺伝子の何を見ているのか分からない以上、憶測でしかない。
生殖機能の交換は、(殆ど死滅したと思われる言葉で申し訳ないが)"母体保護"の観点から行われる。一方、そのままでは近親相関が進むので、男子は順次入れ替わるように、自然の寿命に制限されなければならない。
目的の為に大事なのは、ファイターと、その子を産む可能性のある遺伝子であるから、そちらを一纏めにしようという事情から、ファイターは結婚相手のペニスと精巣を手に入れる事になる。
「全く、嘆かわしい事じゃないか」
前線で出会った、老練な学徒が豪快に笑ったのを思い出す。
彼は、男性ホルモンのインジェクターを持っていて、閉経後は卵巣も取り払っていた。
「生物に雌雄の別が生じてから、男って奴は、遺伝子の運び屋でしかなかったんだ。
だからこそ、人を遠くまで運ぶ機械ってのが好きなんだな!」
コンピューターが決めた事だろうと、何だろうと構う事ではないか。
特定の遺伝子を持って、男に生まれた事ばかりは、どうやったところで誰の所為にも出来ないし、自分が生まれるよりも前の過去はどうする事も出来ないのだから。
僕が考え込んでしまうと、何を黙って居るのだと言わんばかり強引さで、ヒトミは僕の腕を掴んだ。
かつてはなかった、全く遊びのない力強さを体感して始めて、彼女の身体は変わってしまったんだなと理解した。
「いやぁ、僕なんか、お父さんには敵いませんよ」
そんな謙遜に対し、「前線のみんなからは、カンがよく利いて、いいセンスしてるって評判だったよ」と追撃する母親は、幼い顔して執拗に僕を追いかける。
「もう、お母さん!」
姉妹ほどに見える母娘は、そんなやり取りをしながら、僕を中心に綱引きした。
そうして、僕はヒトミと連れ立って、学校のガレージへと向かう。
ガレージと言うよりも格納庫だが、何事もガレージから始まると言う故事から来ているらしい。
彼女は、頬を赤らめながら、その中心に立つ。
「なんか、恥ずかしいな」
そんな事もいいながら、その場で体操座りをすると、コンテナが、彼女の下半身をすくい上げ、飲み込むように合体していく。
切ない顔で、天井の方を向く顔、下半身から腹部、胸部を機械が蠢き、肥大していく。
一瞬動きを止めた瞬間、蝶が羽化するように外装が飛び出す。
トランプの城が組み上がるように、戦闘機が形作られていく。そこに飲み込まれるヒトミの顔は、死者の色をしている。
そうして姿を現わした戦闘機は、実にセクシーだった。
大胆でメリハリのある機体構造は、大出力のエンジンと、多数のウェポンベイを隠している。しかし、それでいて無骨さを感じさせない。なだらかなシルエットと、要所要所の直線的なデザインにより、抑制的で風雅な印象を持たせた。
「美しい」
無意識に感嘆の吐息を漏らしてしまう。
「やっぱり、男の人って、こういうのが好きなんだ」
ヒトミが語りかけてくる。
「男だからね」
「そういうものなのかな?」
僕は、それを、自然なやり取りだと勘違いして、そのまま、仕事の準備を始める。
整備の為の工具や、作業をサポートするロボットや治具などを所定の位置に移動させる。
閑かだった。それ以外の音は全くなかった。この広い部屋に二人だけなんだと、ここに来て、強く意識する。
「それじゃぁ、始めるね……気になるところとかある?」
医者が問診から治療を始めるように、動きや音、その他、気になる所、よくしたい所を聞き取っていく。
フラップにぎこちなさを感じるとか、機銃の照準が何処となく安定しないとか、そういう話から、重点箇所を絞り込む。
最後に今日の作業方針を話し合い、そして、実際に取り掛かる。
「大丈夫?」
僕は、彼女の言葉に緊張を感じ取り、気遣ってみる。
「大丈夫だけど、緊張する……お父さん以外の人に触られてないから」
と言って、息をのんだ。
「触っていい?」
と問いかけると、一拍置いて「いいよ」と返事をした。
僕は、いつくしむように、外装を撫でてみる。
訓練は始まっているから、その表面は、既に熱の壁と戦っている筈なのだ。
傷や過度な焼けなどないか、静かに目視検査を始める。
「ここは大丈夫?」とか「こっちは、あとで詳しく見よう」とか、なるべく黙らないように努力する。
そうしていると、彼女は、少しずつ緊張の糸を緩めていった。
訓練生から見て、(このクラスターの)男と言う連中は、やはり、メカを見ている時の方が、素直で、目を輝かせている。そして、優しく自分を取り扱ってくれるのだという。
僕からしたら、それとこれは別腹だが、彼女たちにとって、人間である時も、戦闘機であるときも、どちらも等しくあるのだ。
「男は馬鹿だからね、目の前にあるものに夢中になっちゃうんだよ」
と、答えを捻り出してみたが、しかし、実際、それは答えではなかった。
「それとも――目に見えていないものが怖いのかな」
僕が彼女と歩く時、心を支配しているのは、真っ暗闇の中を歩く種類の恐怖だ。機械はその点、複雑でも目に見えるし理解できる、それに答えがあるのだ。
きっとこの学園には、そういうタイプの男ばかりが集まっていて、女の子よりも戦闘機の方を優しく扱えるのだ。
「そう」
彼女は、言葉を続けなかった。
「ごめん」
反射的に答えてしまったが、僕もそれから話す事がなくなってしまった。
「でも、みんな、どっちの姿を好きって言ってもらえると嬉しいんだろう?」
出し抜けにヒトミが話しかけた。
「やっぱり、女の子の方なのかな?」
根拠もなく、僕は即答してしまった。
「自分でもよく分からない――どっちが本当なんだろう」
「どっちも本当じゃないかな」
そう回答したところで、僕は、先の言葉との矛盾をどう解消したものかと考え込んでしまう。
「男って、やっぱり、機械を見ている時の方が単純だから。その時の言葉の方が本当なのかもしれない。だから、女の子の姿の時に、素直に褒めるなら、それは本物なのかもね」
こう言い終わると、直後に、ガツンとやられる。
「あんまり褒めてもらってない」
ここで、露骨に褒めそやしても嘘くさいので、僕は「ごめん」と軽く答えて作業に取りかかろうとする。
「今日はやめておこう?」
彼女に背を向けた直後、唐突に――否、そう言う結論になると分かっていて無視していた――リセットしようと言い出した。
どうしよう。ここで必至になって引き留めるのは、却って惨めだ。かと言って、言外の意を無視するのは、もっと悪いと分かっている。
「僕は、自信がなかったんだ」
自分は、彼女を愛する権利があるのか信じられなかった。押し付けられたものだと言う意識もあっただろう。
違う。あの日、始めて彼女を見た時に惹かれるものがあったのは間違いない。
それからずっと、あの店に通い続けた理由の一つに、彼女があったのも、恐らく間違いない。
父親は、そんな僕の事を最初から見抜いていたんだ。
そんなものが、全く何の苦労もなしに手に入ってしまった事が恐ろしかった。何故、僕に与えたんだと。
「ごめんなさい、一人で盛り上がっちゃって」
「そんなつもりじゃないよ!」
本当は、僕から声を掛けるべきだったのだ。
僕は、こんな身近な事から逃れる為に、社会の事だの、人類の事だのを論じていた。それが一番みっともなかったんだ。
違和感を感じながら、それが一向に解消されないのには、自分自身の中に問題があるときだ。しっかりと本質を見つめて、臆断してはならない。
機械をいじり、科学をかじり、そうした中で何度も経験し、失敗し、乗り越えてきた事なのに、何故、今まで、そんな事に気付かなかったのだろう。
そして、実際、そう言う事を気付かせてくれる人は沢山いた筈なのに、何故、僕はその存在を頼らなかったのだろう。
「それじゃぁ、告白してくれますか?」
今の彼女には、はっきりした位置に目がある訳じゃない。しかし、今、この部屋で二人きりで、熱い視線が身を焼く。
「覚悟を決めなくちゃね」
と、自嘲してみたが、その唇が震えている事に自分でも気付いている。
「始めて出逢った時から、ずっと気になっていたんだ。
こんなになってまで気付かなくて、悪かったと思う。
今、分かったよ。
大好きだ。君がいれば、老いも死も怖くない。
付き合ってください」
「はい、喜んで!」
予定調和だった。しかし、それこそが人生の安堵だ。
このだだっ広い部屋が、急に四畳半ぐらいの近さに感じられる。
「ありがとう!」
立っていられない程、自分の臓腑を痛めつけ、それを立ち所に快復させた。ああ、蝶のサナギのような体内が、いま、漸く固まり、立ち上がることが出来る。
「あ、ちょっと待って。今の訂正です」
心臓が、一拍分だけ止まった気がした。
「やっぱり、人間の姿の時にしてほしい。
だって、その時じゃないと、抱きつけないし」
戯けるような言葉を残すと、内部へアクセスするパネルを開いていく。
そこには、恥ずかしげもなく裸体を曝すような笑顔を感じた。
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