2015年8月15日土曜日

艦これ~沈んだ世界から 第十七話

 大災厄以降、始めて世界を一周した男は、肉体的にも精神的にも逞しくなっていた。

 合田の計らいのお陰で――勿論、彼の監視付きで、帰国後の提督に接触する事が出来たのだ。


 大胸筋は厚みを増し、それに釣り合うように上腕の発達が見られる。今まで、突き飛ばせば楽に倒せそうだったのが嘘のようである。

 筋肉量は、自信にも現れる。爛々とした瞳は、その奥底に赤く焼ける石炭を宿しているように思えた。

 それでも、彼は彼で、彼特有の湿っぽさは残っていた。

 かつてが山陰の湿地帯だとしたら、今は、そこに建てた蒸し風呂小屋みたいなものか。


 大井参謀は、先に艦娘に会ってこいと言ったお陰で、あの男は、暫くもみくちゃにされる事になった。

 それを遠巻きに見ながら、彼女は穏やかな顔をしていた。


「安心していいんですか? すぐにどっかに行ってしまいますよ?」

 意地悪してみたい気持ちになって突いてみると、その回答は、予想の範囲のギリギリ内側にあるようなものだった。

「男子三日会わざれば刮目して見よと言うじゃないか。また消えて、戻ってきたら、そんなに嬉しいことはない」

 「母親かい!」とツッコミを入れたくなったが、この真面目腐った感傷の中で、道化を演じるほど、私の器量は良くない。




 提督は、合田少将の「そろそろ、お話を聞かせていただけませんか?」の言葉に従い、取り囲んだ艦娘に、仕事だと言い聞かせると、我々と共に参謀の部屋へと移動した。


「ちはやも聞くといい」

 大井参謀は、合田少将の返事も聞かずに、ごく自然に彼女を誘った。




「それで、お前は、何を見たんだ。南の海で」

 大井参謀は、徐に尋ねた。

 提督は、幾らか困ったような、それでいて、覚悟していたのだという余裕も見せつつ、静かに語り始めた。


「一つ了承していただきたいのは、あらゆる時間が全て重ね合わせにあるという事です。

 あっただろう未来と、これからの過去は、今現在の上に積層されているという感覚です。

 僕は、その断片を縦断的に見ることが出来ました。太平洋の中心の光の届かない闇の中で」

 こうした、抽象的な発言の後で、彼は実に具体的に、今までの経緯を語った。


 提督が動けない間、艦娘は彼を脱出させようとする算段を整えていた。

 誰も知らないうちに、伊401を見つけ出し、闇夜に紛れて、彼を外洋へと連れ出したのだ。

 彼女たちには彼女たちなりの行動原理があるようだ。

「艦娘たちも、その時間の積層を横断した記憶があるんですよ」

 積層された記憶とは、例えば、彼女たちがただの艦艇であった世界に起きた戦争であったり、別の世界で艦娘であった時の戦いであったりが含まれている。

 より一層、強い懺悔、嫌悪、恐怖――そうした強い感情が、彼女たちの精神の構造材料になっている。

 そして、彼女たちは、その過去と未来の各々の平行の中で、なるべく最適になるように、なるべく広い幸福の為に奮闘しているのだという。


「僕の運命は、それを補助するためにあるのと思うんですよ。

 "そこ"で見たものが、そういう結論に導くんです」

 自分の事に関しては、そのように説明する。

 彼は、伊401に連れ出された深海で、"生きている状態と死んでいる状態の中間"に陥ったという。

 今までの経験が重なり、ついに、その記憶の存在に確信を得たらしい。


「彼女達と僕の最終的な目的は、人類から凡そ紛争による問題解決をなくす事です。

 尤も、その明確な道筋はありませんが、現状、海運を艦娘に頼っている以上、人類は、海戦を行う事も、遠隔地へと兵力を投射する事も出来ません。

 差し当たり、海を戦争の場としない限り、艦娘がその交易を保証するとすれば、人類は平和への一歩を踏み出せると思います。

 勿論、経済的なメリットが、戦争を防ぐという考え方は、世界大戦の惨状から否定されるものですが、しかし、それは経済が平和に資するところがないと言う結論を導くことにはなりますまい。

 また、艦娘が人間でない以上、人間のような独裁になる事は防げると思います。

 同時に、我々人間が、艦娘を律している限り、つまり、深海棲艦との三竦みにある限り、各々の横暴を防ぐことが出来るでしょう。

 その為に、艦娘は独立して管理されるべきだと思います。

 各国首脳に働きかけたのはその事です」

 彼の自身には、いささか恐ろしさが伺える。


 そこで、合田少将が笑みを浮かべながら反論する。

「いやはや、演説は結構だが、そんな事が出来ると思っているのかね?

 うっかりしていると、君は殺されてしまうよ」

 皆、彼の提案の非合理、合理を理解している。

 確かに、海軍力を持ちえない国にとって、彼の提案は魅力的だ。金と資源の投資だけで、ほぼノンリスクに交易可能だからだ。

 しかし、同時に、独立した艦娘の"国"の中立性を誰が担保するのかと言う問題がある。

 少なくとも、通信や交流が断絶されている現状、国際連盟のような組織が成立するとは思えないし、そもそも国際連盟が何の役に立ったのかと言う問題が、人類の問題として、常にある以上、実現性には疑問がある。

 その点に関して、ちはやは、聡明に理解し、それを一旦整理した。

 そうした上で、希望的な言葉を残した。

「最初から完璧じゃなくちゃいけないなんて、そんな仕組みは存在しなかったと思います。失敗しながらでも前進できるのなら、私は、提督の考えを支持します」


「私的には、窮屈な鎮守府に閉じ込められるよりは、南の島でのんびりしたいかなぁ」

 息抜きに、私が口を出すと、「引退宣言か」と参謀に笑われた。

「儂も明石と同じ気分だ。このまま運送屋の真似事をするよりかは面白い」

 別に、私も参謀も、物凄く聞き分けが良くなったと言う訳ではない。単に、帝国海軍に倦み疲れていただけの事である。

「人類がそれで戦争を放棄できるって考えは、馬鹿らしいと思うがな。しかし、このまま、日本だの東南アジアだので、チンケな商売を続けるよりか、人類文明の役には立つだろうて。

 この国には、殆ど未練らしいものも残っていないしな」

 そこまで言ったところで、少将は諦めの境地と言った顔をして答える。

「貴方たちは、本当にお目出度いですね。敵の目の前でそんな話をするなんて――警察署で革命を語るようなものですよ」

 そう言いつつ、「僕は、艦娘の喋る事が分からないって事で通していますからね」と破顔一笑した。


 問題となるのは、提督が、それ以前に陸軍と、どういうやり取りをしていたかという事である。

 法的な問題としては、当初の拉致監禁が、長く続いたという形で決着をつけたらしい。

 合田曰く、「むしろ、日本に引き止めるつもりだから、何も考えていないだろう」との事だ。

「自分の得点を増やす事より、相手の得点を邪魔するのが重要だと考えるようになったら終わりだよ」

 参謀は吐き捨てた。


 日付も変わった頃、もう、いい加減宿に向かいましょうと、合田が提案した。

 今後の作戦――提督の艦隊がグエンの所で補給をし終わった所で、全員が行動を開始するという流れ――も煮詰まったので、会はお開きという事になった。


 あきつ丸が車の用意が出来たと呼びに来たところで、合田が提督に釘を刺した。

「……命だけは気を付けた方が良いですよ。

 貴方の考え方は、とても危険です。今までは、それこそあなた自身の価値で襲われていたのでしょうけど、今は、それを阻止できれば何でもいいという連中もいるでしょう。

 事実、欧州では幾つも危険な目に遭った訳ですから」

 すると、提督は神妙な面持ちで答える。

「物語は重要ではありません。

 客観なんて事実上ないのと隣り合わせで、主観にも価値はないんです。だから、人が主観でそれを捉えるところの物語と言うのは、重要になり得ません。

 これからの世の中では必要になるのは、構造なのです。

 "僕"と言う、この物語が終わったとしても、世界は回り続けます。それは貴方方にとっては、決定的な結論など与えませんし、僕を記憶に残す限りずっと続くのです。故に、結論から人は救われないのです。

 人を本当の意味で救済するには、構造の中で己を肯定する事ではないでしょうか」

 この意味深長なやり取りの所為なのか、鎮守府の灯りを半身に浴びた提督の暗部が、闇に消えかかっているように見えた。





「大井殿、明石殿! 大丈夫でありますか!」

 あきつ丸が必死の形相で駆け付けた。

 陸軍の制服は、夜の暗さで、喪服のように見えた。


 彼女が報告するに、提督を宿へと届けた後、宿が爆発炎上したそうだ。

 警備の兵士もかなり巻き添えになったと言う。

 貸し切った木造の料亭は、現場に引き返す間に燃え広がり、周辺住民の眠りを覚ました。

 更なる爆発が心配されたのと、負傷者の救助が優先されたため、周囲の混乱とは裏腹に、超重要人物の事など、二の次になってしまった。

 大体、陸軍御用達の料亭に海軍の人間を、それも成り行きで軍人になった人間を泊めると言うのは、そこいらの将校からしたら気分の悪い事であったに違いない。彼の命が優先されるなど、ありえない事だったのかもしれない。

 庭が大きいことが幸いして、延焼の恐れはなかったらしい。だから、消火活動は消極的だったようだ。勿論、陸軍のお歴々が贔屓にしていた店であるから、その方向での誠意――将軍のしたためた軸だの、サーベルだのは、命がけで持ち出された訳だが。


 合田は、立場上、その場に居残る必要があった為、あきつ丸を伝令に使ったようだ。

 当然、我々の命の危険性も出てきたと言う訳だ。

 現場を目にしていない我々は、提督の死を実感できないでいた。否、今まで散々死にかけた男だから、どうせ、闇夜に隠れて何処かへ姿をくらませたのではないか、とさえ思えるぐらいだ。


 しかし、事態は刻々と変化していく。

 状況が状況だけに、陸軍の警備兵は増員され、我々のところにも雪崩込んできた。

 仮に提督が邪魔になったとしても、参謀や私は、何としても必要な人材だから、それを確保する意義は十分にある。しかし、そういう混乱した状況は、むしろ剣呑な人間を、自由に活動させる。

 我々は、むしろ、その点に気を付けながら、その晩を過ごす事にした。


 陸軍の本音としては、これに乗じて我々が逃げ出すのを防ぎたい、という意図が強いのではないだろうか?

 合田の言うように、陸軍が提督の構想を知らないでいたとしたら、彼を殺そうとする人間は、今の状況で利益を汲み出せている人間である。

 欧州の軍事産業や、主戦派、危険な陸送で儲けている政商、その辺だろうか?


 犯人が何であるのか、動けぬ我々には調べようもなく、ただただ、状況に流される日々が再び始まる。

 この感覚は、いつかの鎮守府占領を思い出させる。


 前と違う事と言えば、提督の艦隊である。鎮守府の向こう側には、油槽船を横付けした大小の艦影と、そこにいるアメリカ人の気配なのだ。

 ここに、大量に抱えている彼らを、如何にしてアメリカに帰還させるのかと言う問題が出てくる。

 陸軍の連中は、上手くすれば、このまま、大和を含めた巨大な戦力を我が物に出来るのではないかと考えているのかもしれない。

 何せ、アメリカとは容易に連絡できないし、好きなように戻ることも出来ないのだから……


 そこから、長い交渉が行われている。

 交渉が決裂すれば、アメリカ人が食料供給を断られる可能性もある。かと言って、私や大井参謀をアメリカに寄越せと言うのは、あまりにも横暴であるように思える。

 無理筋な要求など出来ないが、かと言って、アメリカに帰れないままだというのは、流石に厳しい。これでは、人質になってしまったようなものだ。


 陸軍は、本件、合田が好きに動くのを好まないのか、あきつ丸を鎮守府に押し込んだまま、彼は彼で海に近づけないでいた。

 我々と艦娘の宿舎は、何者の出入りも許されず、外部からの情報も制限された。艦娘がいる限り、情報を遮断することなど出来ないのだが。


 太平洋を横断する為の食料と燃料が、交渉のリミットであるのは間違いない。そして、それが近づくにつけ、"計画"は実現に近づいていく。

 艦娘たちがざわつく。我々も、心中穏やかでいられない。

 艦娘は、どうせ誰にも見えないからよいが、我々は、脱出の準備を秘密裏にしなければならない。

 荷物は最低限に。不要な情報は残さない。

 陸軍の兵士は、突然予告もなく宿舎に立ち入り検査をする。


 そして、実行は――あの爆発があったのと同じような時刻だ。

 眠気眼の艦娘やちはやを一か所に集めると。沖合の艦隊からの探照灯が集まる。

 こちらは手鏡を使って、合図を返す。


 刹那の砲撃。


 密集陣形の艦娘に守られて、瓦礫の破片をやり過ごすと、真っ青な闇と、砂埃を照らす光線が、建屋の風通しを教えてくれる。

 上陸用舟艇を思わせる状態から、我々は立ち直ると、先に数名の駆逐艦が表へと出て行く。先行して退路を確保する為だ。

 威嚇射撃が生温く満たされた空気をつんざき、廃墟の奥まで響く。


 主に軽巡に守られながら、我々は表へ出て行く。

 もっと堂々と退出したいところだが、そんなに世界は甘くない。

 円陣の中に身をかがめて、その外側を駆逐艦が警戒する。




 我々が岸壁に着く頃には、十五米内火艇がやって来ていた。

「大和型戦艦一番艦大和です。大井大佐、明石中佐、そして、ちはやさん、よろしくお願いします」

 お辞儀する彼女の艤装は、艇狭しと前後した。

 鎮守府の艦娘たちは、海上を走りながら、なおも私達を護衛した。

 依り代の艦本体は、静かに動き出し、岸壁を離れていく。流石に、このまま一緒では大変なことになると、待機していた兵は、次々に海へと飛び込んでいった。

 陸からの発砲は散発的になり、やがて、海は静けさを取り戻した。

 我々は去り、恐らく、一時間もすれば、鎮守府は明るくなるだろう。様々な傷跡を残して。





 さて、ここからが困ったものだ。

 敵前逃亡どころか、外患誘致である。そして、ガリバーよろしく、日本の艦船を奪ってしまったのだから……

 任務中の船は、日本に戻らず、そのまま我々と合流する。

 グエンのラグーンを目指すのだ。

 艦から逃げられなかった兵士や、日本へ向かっている最中の護送船団に関わる要員など、一度、フィリピンに降ろさなければならない。

 幸いなことに、艦隊にはアメリカの海兵隊が乗船している。陸海軍の乗員が孤立して戦う気は起こさないだろう。




「実に軽率ですな」

 グエンの評価は厳しかった。

 確かに、提督の言説に絆されて、自分たちを冷遇した日本を裏切り、アメリカに与したと言われればその通りである。

 グエンにとっては、寡占状態にある海上交通を奪われるのだから面白くない。

 大体、他の国も「そうは言ってもアメリカが管理するつもりだろう?」と疑わない筈がないのだ。


 しかし、我々にとっては、そういう言葉では割り切れないのだ。

 理由の一つは、艦娘への信頼である。

 艦娘は、しばしば我が儘で、気まぐれで、実に個性が飛び出ているが、決して人類の利益を害するようなことを求める事はなかった。勿論、グエンが人を殺すような任務に駆り立てた時、不平もなくそれをやってのけた事に関しては、一考の余地があるが、それを差し引いても、我欲の為の蓄財や、豪遊を求めなかった事は、評価に値する。

 ある艦娘曰く、「人は老いるし、子供を残して死んじゃうからじゃない?」と笑われた。

 確かに、「人間は好きにさせると何処までも浪費する」と、私自身が思い込んでいながら、私自身は、そこいらの将校のように、与えられた給与を使ってしまおうと言う気も起こさなかったし、己の貯金は、工作に自由に使える予算ぐらいにしか思っていなかった。

 それは、大井参謀も同じだろう。彼女が出費を惜しまないのは、ちはやに関する事ばかりだ。


 もう一つ理由があるとすると、あの提督の神秘性だった。

 以前から、つかみ所のない男だと思っていたが、帰って来た姿は、それを強さで覆ってしまったような気配がする。

 と、同時に、そこに出来過ぎたものを感じる。


 艦娘と言葉を交わせる人間が、私や大井参謀、合田少将、それにアメリカの富豪と、要人ばかりだ。要人以外、言葉を交わす機会がなかったと理解する事も出来なくはないが、それでも鎮守府や陸軍から、数百人調査して、一人も見つけられなかった訳だし、海運に関わる人間で、誰もその力を見せる人間がいなかったのは、偶然と言うには無理があるだろう。

 それに対して、あの男は、ただの季節労働者であったのに、艦娘に最初にコンタクトを成した人間であり、その後も順調に艦娘に気に入られている。

 もし、その背後に何らかの事情があるとしたら、それに逆らうことに何のメリットがあるだろうか?


 あの提督や艦娘が、世界支配を考えているとして、それを多少邪魔したところで、我々の行動の余地が狭まるだけで、その目的は遠からず達成するだろう。

 何故なら、鎮守府から艦船を引き上げたように、グエンの所からもそれを引き上げる事は、いつだって出来るはずだ。

 彼女たちが出来ないのは、人間の交渉窓口だが、こんなに出来過ぎな状況で、彼女たちがそれを確保出来ないだろうと考える程、楽観的にはなれない。

 そう考えると、我々は、艦娘に見限られるよりも――それが癪に障るにしても、彼女たちに使われる立場でいた方が、難局に立ち向かえるのではないだろうか?

 また、別解を欲するとするなら、世界を変えるよりは、艦娘を変える方がやりやすいだろうし、世界を変えるなら、彼女たちの力が必要なのは、疑いようのない事実なのだから。




 グエンから、一定の補給は得られた。

 交換条件として提示されたのは、向こう一年、一切の不干渉である。

 一年という約束は短いと思われるが、議会を通さずに出来る約束の限界を超えることを考えると、グエンは相当な譲歩を得たと見ていいだろう。一年後、こちらがいちゃもんを付けない限り、この約束は条約となるだろうし、ここで譲歩したという事実は、今後の交渉にも暗い影を落とすに違いない。

 グエンは、そもそも艦娘が思慮ある存在だなどと信じていない。この件に関して、冷笑的な態度で我々を見送った。




 八木とも直接、情報交換ができた。

 彼は、提督の構想に関して、理念は尊重するが、人間のしぶとさと、悪質さの為に、実現は不可能だろうと笑った。

 それは、私も心得ている事だ。

「必要なのは、やってみる事だよ。失敗の歴史も、また未来を創るさ」

 そう励まされると、幾らかの技術資料を手渡してくれた。

「資材が足りなくて、なかなか試せないんだ」

 アメリカの物量に関して、彼は舌を巻き、自分もそこで研究出来たらとぼやく。


 グエンは、情報ソースとして重要だし、この辺りの海域となれば、グエンだって艦娘に一矢報いるぐらいの損害は出せるはずだ。

 だから、彼に逆らうことは出来ない。

 彼が我々を捕縛しないのは、我々に対する恩義があるからに過ぎない。

 政治的な問題を考慮するなら、グエンによる支援は、日本を向こうに回す可能性を否定出来ない。

 こんな離島での行動でもなければ、間違いなく帝国陸軍が介入してくるからだ。


 最小限の補給と、最小限の休息を経て、我々は、この広い太平洋へ足を踏み入れる事になる。





 ただ、ひたすらに穏やかな海を進む。提督が残した蔵書はなかなか壺を押さえていて、退屈はしない。

 それにアメリカ人との交流は、なかなか悪くなかった。

 その理由は、彼が意外なほど、愛想良く話が出来たという事に他ならない。

 今まで伝え聞く話では、オーストラリアでもフィリピンでも、他者との付き合いはごくごく最小限に、そして淡泊に済ます男であったと言うから、極めて不思議な評価であった。

 リベラリストが多い所為か、彼の"世迷い言"にも、一定の理解と、敬意を示していた。勿論、全面的な同意かというとそうまで行かないが、艦娘の支配する世界に対して、アメリカ連邦が一定の影響力を発揮出来るのであれば、ケチな海運稼業よりも、ずっと金になるのだと笑っていた。

 アントニア・ヒューズ女史も、恐らく、そのような考えを持っているだろうとも話してくれた。


 ヒューズ嬢は、遠目から見れば気難しく、近くにあればずっと気さくだという。

 尤も、彼女の正体を知る人は、少ないから、士官食堂でも人払いをする必要があったぐらいだ。


 大和が言うには、「とても可愛らしい方」との事だ。

「付け加えるとしたら、怖いところもありますね。

 権力者ですから」

 彼女は、さらりと心配なことを言ってくれる。




 所々島が観察され、これは、大災厄前の地図とは大きく異なる。

 アメリカ人は、ハワイの様子を気にしたが、レーダーで島影を捉えるだけに止めた。

 アメリカ人のまとめ役になっている准将は、その辺りを上手くなだめてくれた。

 今は、無事に帰り着くことが第一の任務であり、下手な上陸が、島民に如何なる影響を与えるか分からないからだ。

 また、提督が過去に離島に上陸したお陰で、乗員がコレラを拾ったなんて話もある。

 リスクが多いのは当然のことだし、二十年以上文明から切り離されたハワイを見て、士気が下がる心配もある。


 士気。なかなか懐かしい響きに思えた。

 最悪、艦娘が連れていってくれるのだから、乗員の気分などどうだっていい。かつての提督だったら、そう考えていただろう。

 しかし、准将が言うには、彼はその点もしっかり気を配っていたらしい。

 航海を前に、伊良湖さんを特訓してアメリカ人向けのアップルパイを焼かせたなんて話も聞く。

 不思議なものだ。




 交戦は、概ね力押しだ。

 いずれにしても、大きな艦隊で動いているのだから、相手が簡単に包囲出来るとは思えない。

 艦隊全体の練度は低くないし、航空戦力も強力。

 艦載機による波状攻撃と、大和、武蔵によるアウトレンジ攻撃で粗方の敵は薙ぎ払われる。軽巡や駆逐艦が接近する頃には、敵艦隊は遁走している。


 こんな、百隻を超える大軍を動かすこと自体が非常識だが、深海棲艦がそれに慣れてしまわないか心配にもなる。

 強くなる軍隊に呼応するように、深海棲艦も強くなれば、それはパワーインフレを起こす事になる。それはまさに、我々が人類から武力を奪おうという考えと矛盾しないだろうか?

 自分に都合のよい解釈をすれば、深海棲艦が強くなり、それに対抗して、艦娘への投資が集まるのなら、それは戦争を避けるインセンティブにもなるだろう。

 当然、艦娘に対する影響力に関するいざこざは避けられないが、多くの無関係な民間人へ、戦禍が及ぶ事に比べれば、ずっとマシな選択ではないか。


 勿論、こんな考えは、誰に対しても口に出して言える事ではない。

 それは、「農民が餓えれば革命への協力者が増えるから、飢えや貧しさが広がることはいい事だ」と考えるのと何一つ変わらない。

 人類の為と言いつつ、我々は艦娘を第一義に考えていやしないか?

 その時、私の脳裏に、あの提督も同じように、艦娘に意識を引っ張られていたのでは? と閃きが走った。

 人類は、それに抗うべきだろうか? 抗った結果、戦って死ぬ運命だろうか?


 私は、「私の考えに基づき、この場所にいるのだ」と、考えようとすれば考えようとするだけ、「あの男や艦娘、参謀、その他諸々の考えに誘導されているだけなのかも知れぬ」と思えて仕方なくなる。

 しかし、そうであっても、大災厄と言う、人類が生まれ変わる機会を、使わないでいられるだろうか?

 こんな迷いを持ちながら、これからも戦えるだろうか?

 海図台の上には、ディバイダと三角定規、それに航法計算盤が載っている。

「中佐、如何なさいました?」

 大和が心配そうに私の顔を覗き込む。

「いや、最近は慢心が過ぎてるなと思ってたからだ」

 咄嗟の言い訳は、多分、大和には伝わっていない。勉強がてら、艦橋で様子を見ているちはやは、無邪気にそれを信じてくれたようだが。

「あまり、思い詰めないで下さい。私達は、常に貴方方を守ります。いつ如何なる時も」


 目の前の艦隊を凌げば、もうアメリカ大陸だ。

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