「着いてみると、あっさりしていますな」
参謀からの先制パンチは、ヒューズ女史に向けられたものだ。
「海軍の方なのですから、太平洋横断ぐらいで得意気になられては困りますものね」
この二人、急に仲が悪くなった訳ではないし、そもそもお互いを憎んでいる訳ではない。ではあるが、人前では、どうにも反りが合わないような態度が出てしまう。
しかし、それをヒューズ・グループの役員会でやられては、"身内"とて困ってしまう。
当然だが、二人は見た目とは違って、中身は立派な立場のある大人である。
だから、こうしたやりあいも、心底憎みあっていると言う訳ではない。むしろ、会議の後は、ビールを飲みに行く算段をつけているぐらいだから、いい友達なのかも知れない。
とは言え、両者ともに我が強いから、こういう衝突もしてしまう。
周囲の役員は、そうした"外伝"を知らないから、目の前の状況を、座視する事は出来ずにいる。そうなると、要らぬ調整だの相談だのを、私が一手に引き受けることになってしまう。
グループは無駄に大きいので、あちらこちらへと振り回される。
「私はいつ、帝国海軍から民間に出向になった?」――と疑問を持ちながら、今日も出張だ。
あの二人は、今頃、旧カリフォルニア沖で、深海棲艦狩りだ。
振り回される身にもなれ!
こうした業務や遊びに忙殺される日々は、私たちにとって、便利なことなのかもしれない。
要らぬことを考えずに済む。
グランドデザインは、細部を描かれることなく邁進している――今は、アントニア嬢の手番だ。
それはある日のことだ、今後どうしたいかと言う話に及んだ時、彼女は、きっぱりと理想主義との決別を宣言した。
「その話はよしなさいって。
気持ちは分かるけど、全面的な賛同はしてないよ。
だって考えてみなさい、今のペースで艦娘が増えるとして、世界の交易をカバー出来るようになるのは、一体何年後よ?
(彼女が常々批判している)金本位制みたいに、産業の限界が、自ずと決められる社会って言うのは、正直、経済人としては如何なモノだと思うのよ。
経済は限界なく伸びるから、人々は自由にその未来へと足を踏み入れることが出来る。
そりゃぁ、ないよりあった方が良いに決まっている。その部分では賛成よ。
だけど、いい事だらけじゃないって事ぐらいちゃんと考えて欲しいわ。国民みんな軍人じゃないんだから」
彼女の言葉は、意外に思えた。
世界全体の富の、無視出来ない割合を握る彼女が、"末端"に関して、何か考える所があると言うのは、むしろ不思議なぐらいであった。
「もし、そんな未来が来たら、正直、困るんじゃないですか? 商売敵が増えるわけだし」
私の素朴な質問に、彼女は、出来の良い教師のように答える。
「重要なのは、割合じゃなくて量なの。
利益率が良くったって、一万ドルにもならない商売よりも、薄利多売で百万ドルになる商売の方が、目を掛けてやる価値があるでしょ?
確かに、私の仕事は、シェアを握っている事が、利益の源泉にあるけど、そんなはんなりした生活に何の意味があるかしら?
世界の富が倍になれば、私の資産も倍になる。その時、世界で一番の金持ちが、アジア人になろうと、それともアフリカや南米の人間がなったって構わないわ。
私が、艦娘に投資しているのは、そう言う世界を創るためにあるの。
平和な世界なんて、せいぜい、"政治"の世界の中でやっていなさい」
標本というのは、大量にあるから意味が出てくる。
無目的に、無制限に、そして無計画に集めた資料や情報というのは、それだけで出来の良い標本となる。
スコットランドの羊の寓話を思い出す。天文学者と物理学者、そして数学者がスコットランドを旅をした時、車窓に真っ黒な羊がいるのを見つけた。
天文学者が、「スコットランドの羊は黒いんだ」と言うと、物理学者は「少なくとも一頭は黒い羊がいるんだ」と答えた。次いで数学者が畳みかけるようにして、「違う、一頭は、少なくとも片側が黒い羊がいると言うのが分かるだけだ」と批判したという。
いま、我々の目の前に、鮫の剥製があったとして、それが一尾であったら、その鮫の骨格こそが標準的であると思い込んでしまう。
しかし、それが二尾であれば、百、千とそれが増えていけば、標準が見えてくる、そして、個別の際について、様々な知見が得られるだろう。この海域の鮫は、食性の問題から顎が広いとか、この海流に曝されると、鰭の形が変わるとか。
我々は、大量の艦娘を抱え、膨大な数の戦闘をこなしていく。
統計は命を救う。その実践は、ナイチンゲールを引くとよい。
当時の看護婦というのは、それこそ中世の傭兵団にくっついてきた売春婦からの系譜の先にあった訳だが、それを統計と科学によって、一気に近代化させたのが彼女の最大の功績である。
或いは、高木兼寛やジョン・スノウといった疫学の偉人を引くことも出来るだろう。それぞれ、ビタミンや細菌が発見される三十年も前の知見なのだ。
アントニア嬢は、その勘所をしっかり心得ていた。
例えば、あの准将は、実は、統計学のエキスパートでもあった事などが証拠の一つだ。
彼は、大災厄の後、海軍からヒューズグループに引き抜かれ、そこで実力を付けると、提督の補佐を命じられた。
どの海域に、どのような敵がいるのか、どの敵には、如何なる戦い方が効率的か、しっかりとデータが揃っている。
彼の人となりを象徴するのは、以下の台詞である。
「戦争に勝つ軍と言うのは、他よりも勇敢だとか、他より神の加護に恵まれているとか、そんな事では全然ないんだ。5%少ないコストで、5%多い生存率を得るだけで、敵の力は逓減していく。
そして、その5%は、その途上、いたるところで発生する、小さな算数を積み重ねることで達成出来るんだ」
准将以外にも、会計士として独立していた人間を捕まえて、主計のトップに据えたり、物流の現場のたたき上げ部長を、資材管理に回したりと、彼女は、見事な人材を、最大効率で使う能力に長けていた――それを支えるだけの、人材の厚みにも嘆息するばかりだが。
また、我が国であれば、戦力温存と言いながら、正規空母や大和と言った主力を出し惜しんでいただろうが、無駄が少ない分、一気呵成に修復に取りかかることが出来る。
それに軽巡夕張と工作艦明石が、こんな時に手助けになるとは思わなかった。
新兵器は次々に産まれる。レーダーに火器管制装置、主砲、副砲、高角砲。八木のくれた酸素魚雷や艦載機も量産に入っている。
豊富な開発費は、来たるべき日の為に費やされる。
そして、艦娘の研究から、新しい輸送船も作られている。物流外交の始まりは近い。
今日の人類発展の停滞、その原因の一つは、言わば、海運という血液が滞った所にある。
海運業は、本来、人類の全商売の要に近い位置づけにある筈だ。
何につけても、自分の国で手に入らないものは、海から運ばない訳にはいかない。むしろ、必要なものを自由に手に入れられるからこそ、産業が発展し、文化が生まれる。
それでも、大井参謀やアントニア嬢が運送屋と馬鹿にしているのは、今の艦隊だけでは、スケールを得られないからだ。(そんな事情じゃなかったら、これ以上に海運を重視する人もいまい)
製鉄にせよ、自動車工場にせよ、大量の資源を一括して投入するからこそスケールメリットが得られるのだ。連続的に資源の投入出来ないとなると、それは供給源として役立たずなのだ。
特にアメリカは、域内で資源を調達出来るから、効率に関してはよりシビアな条件となる。
艦娘にとって、この事は、庇護者としては優れているが、パートナーとしては依存されづらいのだ。
艦娘は、恐らく、相手から依存される事によって生きていられる。
彼女たちは、海にいる時は、深海棲艦を喰らっていたと言うのだけれど、それで何とかなるなら、人間に近付いていく理由はないのだ。その理由を本人達に訊ねても、自分でも分からないと言うような答えが返ってくる。
これを素直に、艦とはそう言うものであると理解したところで、それは謎の解明を放棄したに過ぎない。
その仮定を剥ぎ取った時、残るのは何だろう?
一つは、人間の嗜好品を手に入れる事だろう。それに、傷ついた時、それを直してくれる存在の不在だ。勿論、工作艦明石と言う存在もいるが、総量に対して充分な量ではない。
なるほど、それは尤もらしい事情だ。
しかし、それなら、もっと積極的に人間と接触すれば良いのではないか?
実際、提督が伊401と出逢ったのは、艦娘が引き合わせたからだ。
となれば、もっと戦略的な連携があると見るべきではないか?
こんな話は、きっと、多くの人を不快にするのだろうが――しかし、推測の帰結として当然出くわす考えは、人類が艦娘に踊らされていると見るべきだろう。
提督は、それを分かっていたのだろうか? あのやたらと物思いにふける男だ、私と同じ結論に至らなかったとは言えまい。否、それ以上に、艦娘は手の内を一切合切明かしていたのかも知れない。
あの男は、そもそも我が国、それ以上に、人類に希望を抱くようなタイプじゃない、人類の利益よりも、艦娘の利益を第一に考えて行動しているのだと言われても、何も驚くような事じゃない。
そうなれば、艦娘は、自分たちの思い通りに人間が動くだなんて考えているのだろうか?
仮に、歴史の重ね合わせを意識している連中だとしたら、そんなお粗末な考えで人間に接触する筈があるまい。どんな世界であろうと、人間は愚かで獰悪だ。
となれば、彼女たちの計画はご破算だろうか? それとも、新たなターゲットを狙っているのか?
参謀とお嬢が心配だ。
私のそう言う気がかりを思い切ってぶつけると、二人はそれなりに真剣に聞いてくれるが、最終的には笑い飛ばされてしまった。
私なんかが考えそうなことは、彼女たちだって考えないはずがない。
だが、そうあったとしても、手に入れたものを利用せずにいられないのが人類だという。
人間が火と言うものを手にしてから、どれだけの人が死に、殺され、殺しに使ったことか。だが、それを使わないで"人間らしい"生活を営む事は出来ない。
ヒトコブラクダは、今や野生種は存在しない。今の世界に於いて、ヒトコブラクダとは家畜となった姿こそがヒトコブラクダの真の姿なのだ。
人類は、一人の裸の個体でホモ・サピエンス・サピエンスでいられる訳ではない。社会を作り、服を纏い、道具を使って仕事をし、生活する部分を包括して、ホモ・サピエンス・サピエンスと言う学名を手に入れているのだ。
更に踏み込めば、ヒトコブラクダは、人間社会との関係があるから、ヒトコブラクダたる生き物なのではないか?
人類が、艦娘と言う力を手に入れてしまい、そしてその影響が不可逆となった今、艦娘は人間を組み入れた存在になり、人類は艦娘を組み入れた中で生存するしかない。
「もう、とっくの昔にシンギュラリティのこっち側に来ちゃってるのよ」
ヒューズ女史のこの割り切りは、経営者らしく見えた――勿論、この"経営"は軍人から見た偏見ではあるのだけど。
そして、この時は、この言葉が別の意味も含まれていたとは、私も参謀も知る由もなかった。
「例えばね、貴方が日系のオフィスワーカーだったとして、思考実験してみない?
貴方は優しいから、私を可愛がってくれると思うわ。こう見ても、第一印象の人受けはいい方だしね。
でも、ある時、貴方は私が、極悪非道の経営者だって分かったらどう思う? それも、貴方の仲のいい同僚に害をなした過去があったとしたら。
貴方は、もう、知らなかった時代の関係に戻ることは出来ない。
私と貴方との間に、何にもなくってもね」
「新型爆弾のフィルムを手に入れたよ。見てみない?」
新型爆弾と聞いて、それは当然艦載機に積むものだとばかり思っていたが、全くそうではなかった。ある資料によれば、それは「絶大な破壊力の原則的に新しい兵器」と呼称されていた。
秘書たちが映写の準備を済ませると、部屋を暗くした。
スプロケットがセルロイドを小気味よく弾く。
テストパターンが一瞬写った後、③②①――それは静かに始まった。
鉄の櫓の下に、球状の物体が置かれている。周囲の作業員は、それを取り囲み実験の作業に取り組んでいる。軍人や科学者らしい人間は映っていない。情報保護のためだろう。
球体は、150cmほどの大きさで黒かった。櫓の高さは、報告によると20mあるそうだ。
ワイヤーで上部に引き上げられていく所で、このカットは終わっている。
続いて、見渡す限りの荒野が映し出され、実験塔から16km離れている事が説明される。別カットでは科学者が遮光眼鏡を掛け、次のカットではカメラマンがレンズを向ける様子が映る。
「3. 2. 1. 0」
瞬間、画面は真っ白に飽和した。
その数秒後に浮かび上がるのは、キノコ状の雲。
報告書によると、高度12kmに及んだという。爆発力はTNT1.86万トン相当で、想像よりも大きい爆発だったらしく、測定機器が多く壊れてしまったとも書かれている。
様々な角度から、キノコ雲が成長する姿を見せるフィルムだ。
この映像は、米帝が意図的にリークさせたものだと言う。一部は、スパイからの情報であり、ここに我々の知らない情報戦がある。
公式には、弾薬貯蔵所が爆発を起こした事になっているが、関係者には公然の秘密となっている。
桁違いの威力であるが、私には実用的な兵器には思えなかった。
このままスケールアップすれば、街一つを滅ぼす事も難しい事ではないだろう。否、人類までも。
そこまでして手に入れた都市に、なんの価値があるだろう?
「物理学者による検討会を準備した。少し見に行こう」
フィルムが終わると、幹部専用のエレベーターと車寄せから、ビルの外へと連れ出される。
以前、「東海岸は、もう、酷い事になってるから、今の所、北米最大の都市だよ」と教えられた。この街とて、大災厄でかなりの被害が出たわけで、そこから二十年余りで摩天楼を築いたのは、感嘆に値する。
ビル、ビル、ビル――壁のように聳え立つ街区。
ここに来てすぐと言う風でもないのに、未だに帝都と比較して恥ずかしい気持ちになる。
車は郊外への道を進み、軍の検問を幾つか通過すると、鉄筋コンクリート製の大きな塊――そう形容すべき構造物と、事務棟と思えるずんぐりしたビルが出迎えた。
車は、裏口から駐車場に入り、緊張した面持ちの男に連れられて建物の中を移動する。
男は、軍人ではなさそうだし、スーツは上等のようだから、この施設の長か何かなんだろうと想像を巡らした。
廊下は、リノリウムの床に、しっかりとした壁紙が貼られていて、清潔感は高い。
通された部屋は、薄暗い中に、値段の高そうな椅子が幾つか並んでいる。正面の大きな一枚板の窓ガラスから外は、大学の講堂のような吹き抜けの空間があった。
アントニア嬢によると、あまり人目に触れたくないから、マジックミラーで目隠ししているのだと言う。
それだけの理由で、彼女は、あちこちのこの手の施設に、同じような構造を組み入れているらしい。
「こんな少女だと、グループの沽券に関わるからね」
朗らかに笑いながら言うが、多分、それは本当である。彼女は、人からの視線を気にするところがあり、事情を知らない人から見れば、ちょっと背伸びをしたおませさんのようだろう。
それがあるからか、彼女は、グループのトップとして、表舞台に立ちたがらないのだ。
プライベートに限れば、彼女が参謀と仲が良く、仕事上ではツンツンしているのは、きっとそんな事情もあるのだろう。
講堂では、様々な議論、様々な検討が、科学技術的側面から行われている。
そこには、国家とかイデオロギーとかは些末な問題であった。
しかし、素人目に見て、彼らはこの新兵器について、特段の驚きをもって迎えたわけではなった。否、その威力について、どよめきが起きたし、そのデーターに関して、動揺した様子がなかった訳ではない。
一方、剣や弓矢で戦争をしていた連中に、ライフルを見せる程の衝撃はないように思える。
構造や仕組みについては、ここにいる全ての学者、技術者が理解と了承をしているようだし、その考察は、具体的で実際的であったからだ。
会議が進んで、内容が煮詰まりつつあるのを認めると、ヒューズ女史は「結構」の一言で席を外した。
掻い摘んだ報告は明日には、詳しいレポートとなると週内に出るだろう。
「連邦の名誉の為に言うけど、あれぐらいのものなら、一週間あれば作れるからね」
そう言って、彼女は自分があの兵器に気分を害している理由について、「自分の持ってないものを相手が持っている」とか「軍事的脅威が増した」とか言う説明を否定した。
「使えば、多くの人が残酷な死に方をするだろう事は想像に難くないわ。
私は、人道主義者じゃないから、それがどれぐらいの人を殺すとか、その方法が非道であるとか、そういう事を心配する気もない。
でも、それが自力を高める為にどんなメリットを与えるか分からないわ」
この核兵器と言う新しいツールの、戦略的なメリットは存分にあるだろう。それは、使用よりも保持による効用を目的としたものとしてだが。
そして、これはこの兵器を、一体何発抱えていて、何発使えるのかと言う競争を産むことになる。
そのコストがどれほど大きいものかは、想像に難くないという。
「それに、その恐ろしさを、相手の魂魄に刻み込むには、こんなデモンストレーションより、実際に使ってみるしかないでしょ?」
"そこでは、人々の同意を得られないだろう"などと、楽観的に見ているのではない。
「人間には二種類いるの。機関銃でミンチにされた人を見て、相手に機関銃を捨てさせたいと思う人間と、自分が持たないとミンチにされると思う人間と」
そこで、参謀はすかさず言葉を継ぐ。
「相手が捨てたのを見計らって、自分がそれを拾うの事ばかり考える連中もいるからな」
大きな力を目にすると、人間は冷静さを失い、それを肯定するにしても否定するにしても、愚かな推論と馬鹿げた結論を導き出したりするものだ。
だからこそ、その力を手に入れる事に慎重にならなければならない。
概ね、その冷静でない人が手に入れて、酷い目に遭うのが人類の歴史ではあるのだけど。
ここでヒューマニズム的な感傷に浸ることはしたくない。かといって、その結果だけを見て得意気な顔もしたくはない。
ナイフで殺そうと、爆弾で殺そうと、人を殺しているのは人であるし、そこに至るまでの過程によって、特別な重みが変わる訳じゃないし、無味乾燥な数字が輝き出す事もないのだ。
後に、参謀が次のような事を言った。
「ま、あれはあれで、物語もあるだろうさ。
大量の物理学者に、化学者、技術者、作業員に計算手が集まっているんだぞ。それだけの人生が詰まっている。
それに誰が最初に始めようと言った? どうして参加しようと思った?
学者なら、それが桁違いであることぐらい分かっていただろうに。
それでもなお決断した。そう言う事だよ」
艦娘が、各歴史の重ね合わせの中で生きているとしたならば、彼女たちは、核兵器に関して、どういう考えを持っているのだろう?
とは言え、この質問はなかなかしにくい。
彼女たちを観察していれば、その言動や行動原理が、何らかの記憶によるものだろう事は分かる。しかし、その反応は、非常にセンシティブであるから、好き好んで、それを踏み抜くのは、避けたいと思うのだ。
勿論、大型の爆撃機を使わないと投下できないような兵器が、海戦で使われる未来/過去があるとは考えにくいが、何らかの因果がないとは言い切れまい。
こんな時、あの男がいれば、根掘り葉掘り聞けただろうと思う。
尤も、あの男がいたのなら、我々はまだ、日本で呑気にやっていたに違いない。
提督はの生死については、それらしい遺体は見つかったらしいが、損傷が激しくて確証がないと言う、役に立たない情報のまま留め置かれている。
日本の情報は、エスキモーが雑誌や新聞を持ってきてくれる以上のソースを得られないので、彼の事は相変わらず分からない。
その事が、我々の中で、彼の存在の神秘性を高めている。
あの男が帰ってきてからの事は、短い時間であったので、その内面を探る事は難しかった。目に見えるスペックは、確かに勉強や体作りの賜物であるのは間違いない。しかし、日本を出てから見聞きする、彼の面影は、明らかに成長よりも変身と言えるほど、急激な変化を見せていた。
"不思議"以上の言葉で形容できない。
無論、あの男が死亡した公算が高いのは間違いないし、それを直視したくない訳ではない。
だが、彼自身が言うように、彼の死そのものは、実はそれほど重要ではないと言う意識の方が強く働いているのだ。
我々の期待は、実に美しく、ちはやへとスライドした。
彼女は、真綿が水を吸うように英語を取得した。勿論、英語は必要だと参謀や私が予め勉強させていたが、艦上で士官や兵士と言葉を交わすうちに、我々よりも達者になったぐらいだ。
アントニア嬢は、彼女に良い学校を推薦してやり、いつも明るく登校している。
学校での生活は、幸福に包まれているようだ。
地域的な風土からか、それとも人種的な構成比率からか、学校は"異物"に寛容である。東洋人だという理由で理不尽な目に遭わされる事はないようだ。
この地域をリベラル、保守と言う二元論で語るべきではないが、この街を根城にしているヒューズグループの存在は、そのような空気をもたらしている。
様々な人種が混ざって生活と仕事をしていれば、内心はどうあれ、行動を自重する程度には分別がつくのだろう。
艦娘たちにとっては、ちはやと遊ぶ時間が減るのは不満だが、土産話を楽しみにしている節もあるし、彼女自身、艦娘との時間も大切にしているので、この種の話にありがちなすれ違いは発生していない。
しかし、同級生にとって、彼女はミステリアスな存在だろう。
人の移動の限られるこの時代に、急に転校になったアジア人、隠れつつ見えるヒューズ家の影響、軍施設での暮らし。
彼女の通う学校の生徒は、金持ちばかりだから、物質的な嫉妬は限られているが、苦手に思う友達がいるのも確かである。
自由な風を感じつつも、その手の空気の存在も、ちはやは思い切りよく吸い込んで、それでもなお明るい顔をしている。
苛立つほどの青い空。
一度裏切ったら、二度目やったって何も変わらないと考えるか、二度もやったら誰からも信用されなくなると見るのか、そこがジレンマになる。
あの提督や、大井大佐、明石中佐と、我々が決定的に違うのは、逃げ出さなくてはならないのは、大勢の技術者とその家族だという事だ。
そして、恐らく、艦娘全勢力を持っても、我々の力ではアメリカに逃げる事は出来ないという事である。
アメリカこそが自由の国だなんて思わないが、技術力と生産力は確かだ。
それに、現有戦力を西の方向へ向けたとしても、イギリス――と言うよりも、オーストラリアと浅からぬ関係のある現在のインドを乗り越え、群雄割拠の中近東を乗り越えないと、ヨーロッパには至らない。
列強のどの勢力に抱き付くか、その正しい判断を下すには、目隠しの度が強い。
かくして、グエンの監視の下、我々は今日もせせこましい仕事をしている。
技術者、科学者が、本来業務の開発よりも、生産活動に従事しているのは、別に工場での生産を馬鹿にするつもりはなくても、ストレスのかかる事だろう。
資源は内地より潤沢だと言えるが、深海棲艦との戦いは、緊迫した状態にないから、開発へのリソースの割り当ては少ない。
質を求めれば際限がないのは分かるが、慢性的なフラストレーションをどうにかして欲しい。
オーストラリアと同盟関係にあるグエンは、インド方面でも安定した関係を築いている。中国や日本とは決して気を抜けない状況にあるとはいえ、武力衝突はない。
彼を悩ませているのは、内部での反乱や、軍閥の汚職などだ。
汚職は、この政治環境に於いては、必要悪なのかもしれないが――分裂と衝突よりはずっといいが――国家運営の効率を酷く悪くする。
閉塞感と疎外感を感じている時、変化が起こるのは、大体自分と無関係なことか、状況が悪くなる時だ。
尤も、こんな風に倦み疲れてくると、「悪くなっても状況が変われば、どんなにいい事か」と思っているものだ。そんな時の"願ってもない事"とは、すぐに嫌になるのだが――冬になれば日差しが恋しく、夏になれば氷雪が愛おしくなるだろう。
その"僥倖"とは、深海棲艦は、沿岸を襲い始めた事だ。
旧式の沿岸砲は、否、人間の扱う沿岸砲が深海棲艦に有効弾を与えることは出来ないだろう。
長短多くの火砲や爆撃機により、沿岸地域は炎に包まれた。
この目で見る事が出来ないのが惜しいが、当局が検分した時の写真を見ると、建物が粗方破壊され、多くの人が、その下敷きとなり、さもなくば榴弾の餌食となったのがわかる。
その時、近隣に艦娘がいなかったため、好き勝手やられたようだ。
今まで、全くなかった事だから、東南アジアは動揺した。
当初は、何かの偶然だろうと思われていたが、活動は着実に活性化していった。
突然現れ、突然攻撃を加え、一通り攻撃を済ませると、海へと消えていく。
艦娘との遭遇戦は何度か生じて、その度に勝利を得てきたが、敵もそれを避けているのか、決して多くはない。
沿岸地域の危険以上に影響を与えたのは、海運への影響である。
今まで安全であった比較的狭い海峡や、多島海でも深海棲艦が現れたため、そこでも艦娘が必要になり、コストとリスクが増大した。
今は、せいぜい軽巡までの登場だが、戦艦や正規空母などが現れたら、もう、手が足りなくなる。
日本は、大井大佐亡命以降、貿易や人員の移動をグエンに任せきりにしていたが、この状況では、そこまで遠出する事も出来なくなりつつある。
艦娘が見たところ、日本でこの攻撃が行われてはいないようだが、近海で敵と遭遇する機会がは、あからさまに増えているという。
「ああ、そういえば、漁業への打撃もあるな」
僕は他人事のようにつぶやいた。
西海岸。我々の街は、艦娘の力によって撃退された。
沿岸に近づきつつある時点で攻撃を行った為、文民がその状況に気付く事はなかったが、世界一周ニュースに湧いた後だから、この話は、大いに宣伝された。
ただ、沿岸の都市すべてに監視の目を行き渡らせる事など不可能だから、もしもの時には、要らぬクレームが入れられるかも知れない。
連邦は、その件に関して、割と素早く動いた。
一つは、主要都市での艦娘による哨戒、もう一つは、他の地域の住民を、内陸への移住である。
これは、漁業とか、海岸沿いで貨物船を運航する会社などは、反発するし、新天地での生活も保障しないので、デモ行進にまで発展した。
米帝との国境近くでは、連邦政府への反発から、米帝への転向を願う人々も出てくる始末だ。
そうこうしているうちに、深海棲艦は、艦娘の保護の及ばない街への攻撃を始めた。
幾つかの攻撃に関しては、駆け付けて撃退した事もあるが、多くの場合、人の命と建築物は塵芥に帰した。
当然、これらの攻撃は、合衆国も米帝、恐らく南米でも起こっていたと思われる。
米帝なんかは、新型の沿岸砲で撃退したと宣伝するばかりで、本当の事は報道されない。尤も、遷都を開始し始めたので、恐慌状態にあるだろう。
彼らは、これに乗じて核兵器を使うのではないかと心配になる。
心配だ。
仮に、そうした攻撃がコストパフォーマンスの良いものだとすれば、連邦も核開発を推し進めるかもしれない。
その時、艦娘にはどう説明すればいいのだろう?
混乱は、また、我々に足踏みを強いた。
欧州への航海が先延ばしにされた。南米との交易に艦娘が必要になったからだ。
海峡に掛けた大きな橋は、深海棲艦に落とされた。物資は、艦娘の護衛なしでは手に入れられない。
こうした状況は、南北アメリカのパワーバランスに大きな変化を与えることになる。
合衆国は、連邦に近づき、南米と米帝は連絡を絶たれた。
状況打開の為に、彼らが動く可能性は充分にある。
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