2023年5月8日月曜日

トレセン学園に入らなかったウマ娘

  ウマ娘の全てがレースに出るわけではない。

 ウマ娘は全国で年間七千人ほど産まれる。殆どが中央か地方のトレセン学園に入り、デビューするのは六千人、一勝以上するのは二千人。そういう世界だ。

 それが私には無理だった。

 私のような劣等生は、普通の人間に混ざって普通に中学高校大学と進む。

 言ってしまえば、トレセン学園入学で挫折したクチだ。だから、個人的にはレースの話題はして欲しくないのだ。

 いまひとつ吹っ切れることはなかったが、学園生活は悪いものではなかった。成績もそこそこなので、そのことはすっかり頭から除外できていた。


 しかし、就職活動で悪夢が甦る。

「普通の学校に進学されたようですが、トレセン学園に行こうとは思わなかったんですか?」

 何十回とこの質問をされ、無理矢理ひねり出したポジティブな回答――もっと出来ることがあると考えたので――をしては、お祈りメールを貰うのだ。


 テイクアウト料理の配達サービスに登録したことがある。ウマ娘の脚力を利用して、そして法定上車よりも速く走ってよいことを利用したサービスは、ウマ娘の働き口の一つとなっていた。

 私は、糊口を凌ぐ為に仕方なくだ……入ってみると、他の配達員は皆意識が高く、そしていい意味でのゲーム感覚でやっていることに驚いた。

 ○○町から××町まで何分だったと言う自慢話をよく聞く。

 大概のウマ娘はそれに対抗して、自分も自慢出来るネタが一つや二つ持っているものだった。

 そして、レースの話もよく出てくる。勝った子も勝てなかった子も、その思い出を大切にしている。

 それは熱く薄れがたい青春の思い出である。

 だが私にはそれがない。

 私は、自分の足がもたなかったのもあるが、こうした煌めきを見てつらくなってやめてしまった。


 学校の就活相談で、遂に聞きたくない話を聞くことになる。

「ウマ娘ですので、レース関連のお仕事はどうでしょう? URAでしたらウマ娘を積極的に採用していますし」


 レース場は小学生の頃よく連れて行ってもらった。

 多分、親も期待していたんだと思う。

 東京レース場や中山レース場、ローカルシリーズも旅行がてら見た事もある。

 あの頃は単純に憧れでいられたなと懐かしく思う。

 でも、もう、今となってはつらい思い出だ。


「レースの仕事はしたくないなぁ」

 布団の中でSNSを見ながら呟く。

 あのウマ娘が勝っただの負けただのの、あの子が可愛い、この子が格好いい。前のレースがどうだったとか、次のレースはどうだろうとか。

 見たくなくても、常に誰かが話をしている。


 この世の中、ウマ娘の話題を避けて生きる事は難しい。

 毎週レースがあり、全国のファンが注目している。

 地方も地方でレースを開催しているし、引退したウマ娘の一部は芸能活動をしている。否、現役でも芸能人をやっているウマ娘もいるか。

 注目を浴びるウマ娘は、もはやアイドルだ。


「ウマ娘を採用した会社の話?」

 それは、ネットスラングを交えたやや人を釣るようなタイトルの記事だった。

 こういう記事は、どうせ下らないに決まっている。しかし、見ないでいられなかった。

 そして、当然後悔した。

 内容は、ウマ娘にセクハラした男が蹴られて首の骨を折って死んだというものだった。真偽不明ではあるが、それに続くコメントが余りにも下品で、ウマ娘を傷つけるものだった。

「ウマ娘なんてレースやってナンボなんだから、レースに出られなかった時点でお察しだろうよ」

 そういう目で見ている人がいるのか。ショックよりも、自分の情けなさに涙が止まらなくなった。


 翌朝も最悪な気分だ。

 でも、もう、そういう風に世の中に見られているなら、やはりレース関連の仕事をするしかないのか。

 あまり親しくない友達も「URAを受けたら?」とか無遠慮に言ってくるし、それが世間の理なのだろう。

 その日は学校も就活も何もなかったので、一日ゴロゴロしているだけだった。


 親からは、好きな仕事をすればいいからと言われるけど、選べるような状況じゃない。

 親は何かしら期待して、そして叶わないとさっさと諦めるような人だ。

 トレセン学園の入学試験で挫折した時も、サポート研修生や、地方のトレセンを勧めると言う事はなかった。

 確かに、自分は、あの時、何もかもが嫌だった。

 その時も「好きな道を歩めばいい」と言ったきりだ。

 結局、責任を持ちたくない人なのだ。


「あー、なんで勝手にトラウマになっているんだろう!」

 思い返してみれば、中学生の頃に人生の方向性が決まってしまったのがおかしいのだ。

 それで、なんでこんなに馬鹿にされなくちゃならないのか。

 鹿爪らしい顔をした大人が、努力をしなかったのが悪いと言うけれど、そう言っている人間が客観的にどれほど努力したか知れたモノではない。私だって、あの時は一生懸命だったし、現にこうして苦労しているのだし!

 ウマ娘として生まれたなら、ウマ娘として生きる事を要求されるのが正しいなら、ただのヒトはもっとマシな生き方をしたっていいじゃないか?

 一度門扉を閉ざされた扉を二度と叩いてはいけない法はない。

 ウマ娘として採用されやすいところがあるなら、そこを利用したっていいじゃないか。


 思い立ってからは早かった。

 直近で行われる説明会に参加する。


「一般枠でウマ娘は私だけか……」

 トレセン学園から入る場合は別枠なのだ。

 覚悟は決めたつもりだが、採用を目指すヒトの視線が厳しい。

 インターンシップに参加していないウマ娘がURAを受けるなんて、真面目に入社を目指すヒトにしたら目障りな存在だ。

 だけど気にしないことにした。心を殺してニコニコしていればいい。それだけのことだ。


 筆記試験を終えて、集団面接。

 皆、レースを見た思い出を語る。私は、トレセン学園の試験を落ちたことを交えつつ、この歳になって、もう一度レースに関わりたい気持ちを語った。勿論、心の中では舌を出している。

 そんな時に、一人気になる子がいた。

「では次、手作さん」

「はい。

 私、人間なのに、ウマ娘と走りたがった時期があるんです。

 その時、トレセン学園の方々や、URAの方々に大変お世話になりまして……」

 なんだこの子。

 ウマ娘と走るってどういうことだよ?

 URAの職員は「ああ、君か」と全部悟っている風だ。


 面接を終えて、家で色々と調べる。

 ハリボテエレジー?

 URAの取り計らいでウマ娘とレースした少女。

 本名、手作好。

 2015年の世界陸上、八百メートルと千五百メートルでデビューして、世界新記録を出して金メダル。

 その後、リオ五輪、東京五輪でも金メダル。

 中距離は彼女の独擅場だ。

 今年初め、就職活動の為に競技から一旦身を引く……


 ずるい!

 そう思えてしまう自分が悔しい。

 タダのヒトでも、上手くすればUARやトレセン学園に配慮して貰えると思えば、「運がいいだけのずるい奴」と思えた。

 だが、彼女がウマ娘を目指して、ヒトとしてトップクラスの努力をしたのは間違いない。

 だから、このことを酷く言えば酷く言う程、自分が苦しくなるばかりなのだ。

 別に採用枠は一つだけじゃないんだ。

 自分にそう言い聞かせて、そのことは考えないようにするしかなかった。


 集団面接が通り、個人面接に進む。

 控え室にあの子がいるのが分かったが、何も喋らないで済むなら喋らないで済ませたい。

 何が採用に影響するか分からない。他の人たちも何も喋らない。それでいい。


 面接そのものは上手く行ったと思う。

 打ち解けた雰囲気だったし、戸惑うような質問はなかった。

 今度こそ内定が貰えそうな気がする。

 気分は上々で、足取り軽く会場を後にした。

 が、その時、私の名前を呼ぶ声がする。

 嫌な予感を感じたが、無視する訳には行かない。

「あなたは……」

 手作さんだった。

「面接どうでした? もし良かったら少しお話ししませんか?」

 凄く嫌だった。しかし、嫌だと言う理由を捻り出すのはもっと嫌だったので、しょうがなく付き合う事にした。


 手作さんは、悪い意味で良い子だった。

 私の事は、ちゃんと大学を出られてエライと言う話をするのだ。自分は、スポーツ特待生で大学に通っていたが、勉強は本当にギリギリだったと言う。

 ウマ娘が有利と言う理由でURAを受けた私には耳の痛い賞賛だ。

「手作さんもオリンピックとか凄いじゃないですか!」

 あまり話すつもりもなかったが、なんだか反撃してみたかったのだ。

「そんなことないよ。ウマ娘だったら全然遅いし」

 体力を人間とウマ娘で比較する事が間違っている気がするが、それに反論したら、自分をもっと惨めにしそうだ。

「でも、金メダルなんて取ったら、何処の実業団でも引く手数多だったでしょう?」

「約束なんです。

 本当は、私、オリンピックなんか出たくなかったんですよ。

 でも、大人の間で色々やりとりがあったみたいです。

 だから、選手を続けるのはURAに入るまでだって条件を付けたんですよ。

 URAは陸上部がないし、真っ向勝負で受けるしかないんですよね」

 そう言えばこの子、面接の時オリンピックの話を一ミリも出していなかった。

 悔しいほどにまっすぐな子であった。

 私は私の欺瞞をこれ以上続けるのがしんどくなった。だが、それを彼女の前で告白することも出来ないし――する必要もなかった。


 何だかんだで、彼女と連絡先を交換してしまった。

 特に遊びに行くという事はなかったが、就活の進捗を報告し合う仲になってしまう。

 私はURA以外の会社も受けてみたけれど全滅だった。

 一方、彼女は地方のレース場やトレセンを受けて回っていた。

 あらゆる意味で勝てそうにないなと思ったのだ。


 それで……結局、私も手作さんもURAの内定が出たのだ。

 これには私も彼女も純粋に喜んだ。

 純粋に? 私は喜んでいいのだろうか?

 面接では嘘とは言えない嘘を重ねて、偽りのポジティブトーキングをして、そして面接官を騙して入職して……仕事が決まったことは嬉しい。だが、本当にそれは喜ぶべき事だったのだろうか?

 手作さんが自分が望んで選んだ仕事だけど、私は"よく言って"消去法だ。

 彼女と並んで入職していいのだろうか?


 悩んでいる所で、「仕事を始める前に一度レースを見に行かない?」と誘われる。

 何となく彼女に会いづらかったが、しかし、ここで逃げると後が辛いだろうなと思って一緒に行くことにした。今ならそこから逃げ出しても、最悪彼女との仲が悪くなるだけだ。


 「レースを見たりする?」と尋ねられると、「あんまりかな」と曖昧な返事をする。

 そんなことを言うと、彼女は今日のレースのことを色々と教えてくれる。

 「第三レースに出てくるこの子は怪我からの復帰戦なんだよ」とか、「第五レースのこの子とこの子はライバル同士なんだよ」とか、そう言う話だ。

 彼女は、なまじトレセン学園にいた事があるから、その話は凄く身に迫ってくるものがある。

 私がもしあの時入れたら見る事の出来た風景である。

 聞いていてつらい。

 だが、それを言えるだろうか? この場で。この子に。


 場内にはなんでもある。軽食からレストラン、物販のお店、レースに関するあれこれの展示や、子供向けの施設。本当にいろいろだ。

 パドックに行くと、今日デビューの子が出ていた。

 手作さんの視線が熱かった。在りし日の自分を思い出していたのだろうか。

 緊張の面持ちのその子は、上着を投げるのも不格好だ。

 少ししてレースが始まる。

 出遅れたその子は、後方から苦しい戦いを強いられた。しかし、それでも大外からの末脚が凄くて、初陣を勝利で終えることができたのだ。

「あれが七分の二……」

 勝った子は無邪気に喜んでいた。何の陰りもない笑顔だ。

 私にはあまりにも眩しすぎる。


「手作さん。私、やっぱり内定辞退しようかなって思う」

「突然なに?」

 驚いた表情で尋ねてくる。

「私、ウマ娘なら入りやすいって理由でURA受けてたの。

 でも、そんな狡い理由で入るべきじゃないよね」

 私が淡々と語ると、怒号めいた勢いで反論される。

「そんなことないよ! 頑張っていたじゃない!」

 私もかっとして声が大きくなる。

「頑張ってなんかいないよ! 頑張ってたなら、多分、私、ちゃんと学校に入れたもの」

「学校は私も入れなかったよ!」

「人間とウマ娘は違うでしょ!」

 私があらん限りの声で叫ぶと、彼女は黙った。

「ごめんなさい……」

 彼女の目が涙ぐんでいたのが分かる。

 でも、そんな彼女の真っ直ぐさが気に入らなかった。

「ウマ娘は、やっぱりウマ娘として生きるしかないんだよ。

 何も知らないで、勝手にウマ娘に憧れて!」

 本当に最低な奴だ。私は。

「私達、逆に生まれてこれば良かったのにね……」

 涙をこぼしながら彼女は語り始めた。

「どんなにウマ娘に憧れて、どんなに練習をこなしても、私、絶対にウマ娘に叶わないのにね。

 周りに煽てられて、なんかレースにも出て、勝手に調子に乗ってたんだね」

 私が心の中で殺していた彼女に対する憎悪を、自分から語り始める。

「やめて! それ以上!」

 私が止めようとするけれど、彼女は止めなかった。

「私もURAやめて、実業団にいくよ」


 私達の騒ぎを聞きつけた警備員がやって来る。

 その時、面接を受け持っていた職員が偶然いたと言う事もあり、私達二人は会議室に通された。

 端的な説明をすると、職員の人は「我々をナメて貰ったら困るな」と頭を掻いた。

「面接相手が本当の事を言わないのなんて織り込み済みだよ。

 君達はそれでも、URAの仕事をするに値すると分かったから内定を出したんだ。

 我々の仕事は夢を売る仕事だ。

 ウマ娘の夢と、観客の夢の橋渡しをする仕事だ。

 そういう仕事は、今夢を見ている人よりも、一度夢やぶれて、それでも希望を持つ人にこそ適任なんだ。

 トレセン学園からも沢山の職員を採っているけど、一勝もできなかった子の方が多い。

 分かるかね。

 確かに、夢を叶える人を見るのは、挫折した者にはつらいものだ。だが、君はそれでも夢を応援できる人だ。

 少なくとも私はそう判断した。

 だから、内定辞退なんてしないで欲しい。

 手作君も同じだ。君は誰よりもウマ娘の気持ちの分かるヒトだ。だから採用した。お願いだ。君も我々と共に働いてくれないだろうか?」


 私達はうなだれるだけだった。

 そして、内定辞退する勇気もなく入職した。


「ウィニングライブ頑張ってください!」

 その日の勝者を舞台へと送り出す。

 私と手作さんは、ウィニングライブ関連の部署に就いた。

 夢の実現を最も肌で感じる場所だ。

 私の前を沢山のウマ娘やヒトが通り過ぎる。

 夢を抱えて。


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