その子は、しばしばトレセン学園の門扉を叩いていて、トレーナーや、その他学園関係者を困らしていた。その事で、ちょっと有名であった。
「入学を認めてください!」
彼女は、段ボールで作った耳と尻尾を付けた正真正銘のヒトである。
自らの名前をハリボテエレジーと呼び、本名は不明だ。生徒の間でも「エレジちゃんまた来てる」と呼ばれるほどである。
校外と交流の少ない生徒達にとって、同年配の子との接触は小学生以来なので、少し気にされる存在ではあった。
トレセン学園はウマ娘の為の学校と言うのは、誰も疑わない。だから、入試の条件にウマ娘とは明記されていない。
なので彼女は試験を受けた。そして、筆記は合格した。
だが、問題は実技だ。実技は当然走る事になるのだが、その基準は、当然人間の足では届くものではない。
ウマ娘と一緒に走らせるのは危険だと、実技は見送られ、彼女は落第した。
それ以降、彼女はあの調子なのである。
そして今日は、ファン感謝祭だ。学園の中に入れるとあって、当然、あの子もやってきたのだ。
日がな一日、トレーナーらしき人を見掛ければ「トレーナーさんですよね!? 一度、私の走りを見てください!」と声を掛けるのだ。
いい加減、警備員につまみ出させようとしたその時、あるトレーナーが「面白そうだから、一度見せてくれないか」と答えたのである。
たづなさんが「いいんですか?」と尋ねるが、「一度、ウマ娘と走れば諦めも付くだろう」と言う。
正直な事を言えば、彼は「ウマ娘が真横を走って少し怖い思いでもした方がいいだろう」ぐらいの事を考えていた。
学園のコースが、イベントで使われないタイミングを見計らって、レースが設定された。
生徒会長もハリボテエレジーの事を気にしていたので、このレースは承認された。
プログラムにないのに人が集まっている。
感謝祭の参加者は、何事かと目を見張る。
勿論、ハリボテエレジーの名前を知るウマ娘やトレーナーも興味本位で見物している。
彼女は、その様子を見て、"期待されている"と喜んでいるようだった。
「トレーナー、こんな茶番に付き合わせるなんて……」
一緒に走らされるウマ娘二人がぼやいている。
「あとでニンジン焼き奢ってやるから」
そんな風に食い物で釣って宥めるしかない。
一般的に、ウマ娘と人間が同じ競技に出る事はない。
スピードもパワーも人間とは桁違いのウマ娘だ。同じ場にいれば、どちらも傷つく可能性が高い。
逆を言えば、彼女たちウマ娘がオリンピックや各種プロ競技に参加することは出来ないのだが……
レースは、千六百メートル芝。良バ場である。
三人の走者がゲートに入り――スタート!
二人のウマ娘がいいスタートを切る。
実質二人分の競走だ。
外枠三番から出走のハリボテエレジーは、当然その後をついていく事になるのだが……鈍い。人間だもの、仕方ない。
一分半と少々で二人のウマ娘はゴールする。
いい走りだ。
しかし、ハリボテエレジーは道半ばである。
二分と少しのところで残り三ハロンの標識を過ぎた。
必死な走りの彼女を見て、あるウマ娘が「頑張れ!」と声を張り上げた。
声は次第に高まり、無関係な感謝祭の参加者まで声援を上げるようになった。
それはさながら実際のレースのようであった。
タイムは、三分四十二秒。万感の思いでゴールした。
「これは驚きだな」
トレーナーはすぐさまある所へ連絡を入れた。
彼女は引退したウマ娘で、今、オリンピック強化チームのコーチをやっている。
先のトレーナーとは旧知の仲である。
「お、久し振り! 今日はごめんね、忙しくって行けないんだ」
彼女は電話に応答すると、選手達にもも上げを指示した。そして、トレーナーの言葉に相づちを打った。
「で、紹介したい人間がいるって? なんでトレーナーのところに?」
至極当然な質問だ。ウマ娘と人間とでは走る環境が違う。彼女もこの仕事を受けるにあたって、相当な勉強をしたものだ。
そんなお門違いのトレーナーから、人間の選手の紹介とあったら、何のことやらよく分からない。
「千六百メートルで、三分四十二秒。人間としては世界記録だ。もし、彼女が中距離走に出たら、金メダル総なめだぞ?」
彼女にとって、何が何やらだ。なんで人間が千六百走っているのか。そして、そのタイムをトレーナーが知っているのか。何より、そのタイムは、世界記録よりも一秒以上早いという異常なタイムであることも。
「一度会ってみるよ」
釈然としないまま電話を切った。
問題は、ハリボテエレジーの方である。
「君、いい走りをしてるね!」
と褒めてみたのはいいものの、一向に本名を教えてくれない。
流石に、身ぐるみ剥いで身分証明書を探し出すわけにもいかない。
ハリボテエレジーは、「トレーナーのチームに入れて貰えますよね!?」と食い下がるばかりである。
「君の事なんだが、もっと輝けるチームがあると思うんだよ」
そう言って、先に電話したウマ娘に紹介しようとした。
トレセン学園ではないのですね……としょんぼりしたが、「地方のトレセン学園なのですね?」
と、勝手に合点して喜んでいた。
痛々しさに胸を突くものがある。
オリンピック強化チームとのアポを取って一週間後。
彼女は不本意ながらトラック上にいた。
「ちょっと走ってみてよ」と言う訳である。
位置について、よーい!
ピストルの音が鳴る。
段ボールの耳と尻尾をつけた彼女は、他の走者と共にトラックを回る。ゲートはなく、白いラインがあるだけだ。
芝と違うトラック。そして人間用の靴と言う事もあり、ぐんぐんと伸びていく。
「これはまさか!?」
タイムは三分四十秒を切っている。
「速い、速すぎる……」
他のコーチ陣からもどよめきの声が上がる。
しかし、ハリボテエレジーは不満顔である。
「ウマ娘と走らせてください!」
他の選手からしたら、こんな"気の狂った"奴に負けるとは悔しかった。
何とかして説得を試みようとしたが、人間の言う事には耳を貸さず、件のコーチの話は聞だけは聞く。それでもどうやったらトレセン学園に入れるのか? と言う話しかしないのだ。
そんな事情もあって、彼女はまたトレセン学園に向かうのであった。
さて、オリンピック強化チームとしては、ハリボテエレジーをどうしても獲得したかった。
今で出れば世界記録を大幅更新しての金メダルが確実だからだ。しかも若い。あと何年金メダルが得られるものか……
そこでコーチ陣は一計を案じ、URAとトレセン学園に連絡を入れた。
「は、はぁ……」
あのトレーナーが、理事長にこってりと絞られていた。
「責任をとるよーに」
ハリボテエレジーは、一ヶ月間みっちりと練習をした上でデビュー戦と称するレースで走らせる。そこでどうせ未勝利となるので、勝てなかったら引退を突き付けようと言う訳である。
色々と酷な話ではあるが、人間さんの金メダルが掛かっているのだ。仕方ない。
人間の世界は何かとやっかいである。
それからは、校内からでも好奇の目に曝された。
ウマ娘のコーチが、人間の指導をしている。それもあの「エレジちゃん」である。
トレーナーは、彼女が音を上げることを期待して、なるべくウマ娘と同じようなトレーニングを指示した。
勿論、ウマ娘と人間では体力も違う。しかし、それでも超人的な体力でそれをこなしていく。
足の速さは相変わらず人間基準であるが、しかし、確実に力をつけているのだ。
さて、ハリボテエレジーが目指しているのはウマ娘の走りである。当然、シューズは蹄鉄が打ち付けてある。
蹄鉄は、人間の足には走りにくく、全力でコーナーに入ると滑って転けてしまう事がしばしばあった。
芝コースを走る時、チームメイトは「曲がれーっ!」と声を掛ける。
普段耳にする言葉ではないので、ちょっと目立つことになる。
勿論、チームメイトは、彼女の痛々しさを理解しつつ、それでもひたむきな姿を見て、それを馬鹿にすることは出来なかった。
レースを夢見て、勝つことを目指す姿は、ウマ娘の輝きと同じである。
ぎこちなかった会話は、次第に普通のウマ娘に話しかける時と同じようになっていく。
ハリボテエレジーも、その変化を感じ取っているのか、ハードなトレーニングに反していつも明るい笑顔を振りまいているのだ。
他の生徒も良い子ばかりなので、不慣れな感じではあるが、ハリボテエレジーを受け入れていった。
「可愛い子なんだけどねぇ」
寮長のフジキセキは、彼女も分け隔てなく「ポニーちゃん」と呼んだが、しかし、他のウマ娘との事を考えて、彼女だけ一人部屋となった。
彼女は、制服やジャージを着るのも感激するし、食堂で他のウマ娘とご飯を食べることに喜ぶし、授業も同じように受けた。休日も一緒に過ごす。
学園でも寮でも、浮いた存在ではあったが、それは僅か一週間ほどで溶解していった。
ウマ娘でない事を除けば真面目な生徒だし、明るく誰にでも打ち解ける性格の子である。
トレーニングもしっかりと受けるので、もしウマ娘であったらかなり優秀な子となるのではないか?
トレーナーは、一瞬だけその子のことをウマ娘と幻視した。
目を擦る。
その子は、ウマ娘に近付きつつあった。その心も走りも。
約束の一ヶ月はあっという間だった。
濃厚な学園生活を満喫できただろう。
今日は彼女のデビュー戦である。
勿論、それは本当のレースではない。
とばっちりを受けたのは、トレーナーのチームのメンバーである。
これでも優秀なチームで、重賞レースでそこそこ勝っている面々である。
そんなウマ娘と一緒に、しかも東京レース場で走れるとあって、彼女は有頂天になっていた。
URAはウマ娘の為の組織であるため、彼女が人間である事は伏せていた……けれど、流石に段ボールとガムテープで出来た彼女の耳と尻尾を見ればおかしなことはすぐに分かった。
彼女の出走の経緯は、各新聞社に送られたが、これをどう扱ったものかと各社悩み、そして黙殺することを決めた。
なので、東京レース場に早めに来た人々は、最初何の事だか分からなかった。ただ、物々しい雰囲気だけは確実だった。
パドックには、この一ヶ月でできた友達のウマ娘が集まる。
今日は彼女との別れの日だ。レースが終われば別れなければならない。
そう考えると、彼女を見届けないわけにはいかないのである。
「何かが起きる」
勘のいい人たちは、第一レースの前だと言うのに、パドックへと集まっていった。
物販やグルメを楽しむために来ていた人々も、自然レースが気になる。
そして、噂話が広がっていく。
「特別レースがあるらしい」
そんなものがあるなら、是非とも見たいのが人情である。
実際、ウマ娘が沢山集まっている。
これは有力な走者が出るのではないか? 噂が噂を呼ぶ。
パドックにチームメイトが次々に出てくる。
あのチームの限定レースか? 何故、この時期に、ここで?
その謎が解けたのは、最後、ハリボテエレジーが登場した時だ。
「六枠六番ハリボテエレジー」
ジャージを脱ぎ捨て、その姿を観客の前に見せつける。
堂々とした態度だ。
しかし、その耳も尻尾も段ボールなのは明らかである。
レースファンの幾人かが、秋の感謝祭の事を想いだした。
そして、名前はあっという間に伝播していく。
チームメイトと一緒に地下道を歩く。
少しナーバスになっている向きはあるが、表面上笑顔を見せる。
「お互い全力だそうね」
ハリボテエレジーの言葉は、チームメイトに重くのし掛かる。
「そうだ、全力で走らなければ、彼女に失礼だ」
全員の心は一つになっていた。
この第零レースは、きちんとした実況もついた。
これはURAの心意気のようなものだ。
ウマ娘に憧れる人間に少しでも希望を持たせたかったのだろう。
それとも、彼女を拒否しなければならない事に対する償いだろうか。
ゲートは開いた。
五人のウマ娘は、ハリボテエレジーに気遣いつつも、好調なスタートを切った。
ハリボテエレジーは、それを必死に追いかけるのである。
異常なのは一目瞭然であるが、しかし、全てが本物であった。
レース場も、ウマ娘も本物だ。実況も観客もその熱気も、レースに掛ける思いも全てが本物だ。
観客席にいる人々の中で彼女を馬鹿に出来る者がいただろうか?
「走れーーーー!」
心の底から叫ぶ人々がいる。ウマ娘もいれば、たった今事情を知った人もいる。
ターフを必死で走るヒトがいる。
ウマ娘のレースを見慣れている人々にとって、実に鈍い走りである。
しかし、彼女は全身全霊を掛けて走っている。
応援の声は、彼女が歩を進めるにつれて大きくなる。
第三コーナーに入る。
「曲がれええええええええ」
声援は最高潮に達する。
それは重賞レースばりの声である。
他のウマ娘はゴールしているが、観客達は声を枯らして叫び続ける。
「頑張って!」
「エレジー!」
彼女への声は止まない。
声援は声援を呼ぶ。熱い思いでレース場は一体になっていた。
今、そうして六着のゴールをした。
もんどり打った彼女は、仰向けに転がる。
息が苦しい! だが、その鳴り止まない声援が心に届く。
肩で息をしながら立ち上がる。そして、頭を下げると、汗に混じって涙が出てくる。
「ありがとー!」
「よく頑張った!」
全ては自分に向けられていた。
そして、そのレースで自分は負けたのだ。
レース後、トレーナーは「約束だからな……」と泣きじゃくる彼女を説得した。
「約束ですからね……私、引退します」
泣き腫らした顔は全てを覚悟した顔へと変化していく。
控え室を出ると、応援に来てくれていたウマ娘達が押し寄せてきた。
「ありがとう! ごめんね、負けちゃった」
そうして、彼女は――普通の女子中学生として、普通の中学校に通い始めた。
あれ? 金メダルは?
それはまた、別の話である。
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